報告・放射能のまちを訪ねて①
8月2日から10日間、チェルノブイリ原発事故で深刻な被害に遭ったウクライナ共和国やベラルーシ共和国を訪ねてきた。
旅の予定は「チェルノブイリへの旅」として書いてきたが、これからは実際に訪ねた現地の様子を報告したいと思う。
今回の旅は、石棺から始まった。
コンクリートで固めた石棺はひび割れが進み、放射能漏洩を防ぐために、ドーム状の防御壁をすっぽりかぷせる工事が進行中。
のはずだが、実際にはほとんど進んでいなかった。
ガイガーカウンターは17マイクロシーベルトを示した。
地上に置くよりも、空中にかざしたほうが放射能は高い数値を示した。
残留放射能というよりは、いままさに石棺から放射能が放出されているためと思われる。
チェルノブイリ原子力発電所の4号炉が爆発したのは、1986年4月26日未明。
それから36時間後に5万人近い市民が、1200台とも1300台ともいわれるバスを連ねて、緊急避難を開始した。
事故後1~2日後には、スウェーデンが異常な放射能をキャッチ。
アメリカのNASAが、1000台を超えるバスが移動しているのを人工衛星でとらえている。
旧ソ連の時代、ゴルバチョフはグラスノスチをすすめていたが、まだ十分ではなかった。
ウクライナの新聞に、5行ほどの小さな記事が載ったのは5月1日。
2日ごろになって、風下にある村に口コミで伝わっていく。
ゴルバチョフ大統領が声明を発したのは、ようやく5月16日になってからだった。
チェルノブイリの周辺で、子どもたちにたいへんな健康被害が起こっている。
その支援の要請がモスクワから入った。
20年前、ウクライナ共和国のキエフから、ベラルーシ共和国のゴメリに移動する途中、原子力発電所跡に近づこうとしたが、5キロ圏のところで封鎖され、入ることはできなかった。
原子力発電所に連なる建物の中まで入り、視察することができたのは1995年。
今回は、ぼくにとって15年ぶりの再訪となった。
写真は、事故があったチェルノブイリ原子力発電所4号炉
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