チェルノブイリへの旅①
昨日は、諏訪中央病院看護専門学校の文化祭にピーコさんに来ていただき、感動的な講演をいただいた。
講演に続いて、ピーコさんとぼくの対談となり、だれかのために生きることの大切さを語り合った。
■やさしさが起こした奇跡
実は、ピーコさんの講演を楽しみにしていた人がいた。
肝臓がんの末期のおばあちゃん。
車椅子で何とか会場につれていくつもりだったが、当日、肝性昏睡に陥ってしまった。
残念である。
若い医師が、ピーコさんにそのことを告げると、ピーコさんはそれなら私が病室に行きましょう、とおばあちゃんの病室を訪ねてくれた。
「本物のピーコさんですよ」
みんながおばあちゃんに呼びかける。
すると、不思議なことに、おばあちゃんが目を開けた。
しばらくぼうっとしていたが、そのうちに意識が戻ってくる。
「うそっ、ホント? ホント?」
おばあちゃんは、目の前にいるピーコさんに驚き、信じられないようすだ。
そして、なんと体を起こして座り! みんなで記念写真を撮った。
本人も、ご家族も、大喜びである。
ピーコさんも、大きな病気をしている。
きっと、病む人の気持ちがわかるんだ。本当にやさしい人だなあ。
その後、ピーコさんと一緒の列車で東京へ。
夕方、JCFに多額の寄付をいただいた方と夕食をともにしながら、子どもたちの命をどうしたら救えるのか、語り合った。
知らない国の子どものために大切なお金を寄付してくださる。
日本はあたたかいなあと思う。
そして、今日、いよいよチェルノブイリへ向けて発つ。
■19年前の命がけの旅
ぼくがはじめてチェルノブイリを訪ねたのは1991年1月。
ウクライナ共和国からベラルーシ共和国へと車で移動中、前を走る車が跳ねた石が当たり、フロントガラスが粉々に割れてしまった。
真冬の1月、極寒の大平原を、車はオープンカーになってしまった。
急遽、ぼくが下着を包んでいたビニールの風呂敷を風防がわりにガムテープで貼りつけて、風をしのぎながら走った=写真。
しかも、雪の平原を100キロ近いスピードで飛ばしていく。
スパイクもスノータイヤも履いていない。まったくのノーマルタイヤで。
寒いし、怖いし、もう死ぬかと思った。
もう絶対に来ないぞ、と思ったものだ。
あれから20年近くも続けることになるなんて、あのときは思わなかった。
今回は、現地から報告ができそうもない。
そこで、今日からしばらく、15~19年前に撮った写真を使いながら、ぼくたちJCFの今回の旅程を簡単に紹介していきたい。
詳しい様子は、帰国後にご紹介できると思う。
では、行ってきます!!
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