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2010年8月19日 (木)

報告・放射能のまちを訪ねて④

ゴメリ州立病院付属産婦人科病院を訪ねた。
この病院は、ゴメリ州全体のリスクの高い出産をカバーする重要な任務を負っている。

チェルノブイリ原発事故から24年。当時生まれた子どもたちが、適齢期になり、出産の時期を迎えようとしている。
ぼくたちは、安全な出産ができるように、産婦人科医療をサポートしてきた。
以前、生化学検査の機械を送ったが、今回は、その機械で必要な試薬を1年分届けて来た。

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16年ぶりに、ゴメリ医科大学を訪ねた。
2年前に研修に来た医学生ジーマ君が学んでいる大学だ。

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ジーマ君に案内してもらい、懐かしい大ホールをのぞいた。
この大ホールは、1994年に開かれた日本ベラルーシ国際チェルノブイリシンポジウムの会場だった。

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カザコフ保健省大臣や、ゴメリ医科大学のバンダブジュスキー学長、そして、ぼくが、この演壇に並び、挨拶をした。
日本からは、信州大学の当時の小児科教授、小宮山先生や、第二外科で甲状腺を得意とする飯田教授らが出席し、ベラルーシ、ロシア、ウクライナなど東欧の専門家たちにレクチャーをしている。

ベトカ地区病院のナジェージダ院長と、再会を喜びあった。
彼女は、3ヶ月前、研修のため来日した。
日本大好きドクターである。

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ベトカが大好きで、放射能汚染の地にある病院に一生をささげる覚悟をもっている。
自分がやらなれば、この地域の健康は守れないと思い、積極的に五十数人の医師を集めた。
そして、出産、育児を支えるために、若いお母さんたちを往診するシステムや、人口2万1000人のまちで、7000人の検診を実施している。

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汚染地ベトカでは、フェイシェルの存在が大きい。
医師と看護師の中間的存在で、地域に出ていき、住民の健康を守っている。
ぼくも、フェイシェルと一緒に往診に出かけた。

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