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2010年8月27日 (金)

報告・放射能のまちを訪ねて⑫

1週間近い視察や調査、診察を無事に終えて、ゴメリ駅を発った。
夜行列車に15時間揺られてモスクワに到着。
久しぶりの赤の広場からクレムリンを見た。

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モスクワで新聞を読んで、驚いた。

モスクワでは連日42度の猛暑。
死者は、毎日平均380人が、700人を超えているという。
ロシア中で山火事が起こり、モスクワはスモックで汚れていた。
驚いたのは、ロシアの西端部にあるブリャンスクの森のことだ。
この森は、高い放射能で汚染されている。
グリーピースが、このブリャンスクの森も山火事になっていることを発見した。
この森が燃えれば、放射能が大気中に散らばってしまう危険性がある。
この地域では、山火事は二重の意味で恐ろしいのだ。

チェルノブイリ原子力発電所の周辺には、消防隊が整備されていて、狐色の森を厳重に守っていた。
絶対に山火事を出してはいけないのである。

メドベージェク大統領は、森林火災に対して迅速な対応ができなかった理由で、海軍高官を更迭している。
その後、必死の消火作業が功を奏し、ぼくたちがモスクワに着いたころには完全鎮火していた。

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それにしても、ぞっとしたのは、ブリャンスクの森といえば、ぼくたちが訪ねたベトカに近いこと。
ロシア国境に近いニグルブルカ村を訪ねたのも、この森に火の手が延びようとしていた時期と重なる。
すぐ近くの森では、山火事で多くの放射能を飛び散らせていた可能性がある。
ブリャンスクの山火事のニュースは、日本でも報じられたようだが、知らぬはぼくたちだけだったのだ。

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ニグルブルカ村には、1999年にタジキスタンからやって来たアジズ夫妻が住んでいた。
国内戦争で荒れているタジキスタンから出て、仕事を求めてやってきた。
来るまでは、放射能の汚染地域であることは知らなかったという。
ほかにも、周辺国から移住してくる人たちがいた。
放射能のまちのほうがまだまし、と考える人たちがいるのだ。
この現実をどうとらえたらいいのだろうか。

放射能汚染の地で、生きていくことの恐ろしさをあらためて感じた。そして、ぼくたちも、目に見えない放射能の脅威と隣り合わせで生きていることを、思い知らされる旅だった。

                 ◇

チェルノブイリの報告を読んでいただきありがとうございます。
連載は、いったんこれで終わります。

ウクライナやベラルーシの食事や絵、音楽などの話題は、少し間をおいて、後日お送りしたいと思います。
お楽しみに!

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