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2011年1月 9日 (日)

鎌田實の一日一冊(95)

「聞書き<ブント>一代」(石井暎禧著、市田良彦著、世界書院)

ぼくは、この本の帯をこう書いた。

「バリバリの左翼から、凄腕の病院経営者へ見事な変身。ときには左翼と、ときには闇の権力と、ときには日本医師会と戦ってきた実戦家。よく生き延びたなあと思う。すごい!」

かつて学生運動をした人にはぜひ読んでもらいたい。
あの時代がどう動いたのかわかり、なるほどと思う。

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ぼくはこの本を読んで、諏訪中央病院の今井澄元院長がどんな政治的な役割をしたのかやっと見えてきた。
この本には、新潟にあるゆきぐに大和病院のあと、諏訪中央病院のことが書かれている。
「諏訪中央病院は、もともと外科医師連合系だったということもあり、連中は今井を別にすれば、医療思想として特に左翼的ということはなかった」
そうなのである。
鎌田の名前も一か所出てくるが、左翼の活動家としては書かれていない。
諏訪中央病院は、今井を除けば、ほとんど活動家らしい活動家はいない。

「ただし、今井の近代派ブ・ナロード路線は、佐久総合病院などの長野の病院運動を引き継ぐものとして、病院全体を牽引していたといえます。先端的医療を田舎へ移植しようという発想。東京からその手の連中をつれていくんだけど、ある意味では大学病院のコピーをつくろうとしていたんです。病理なんかも東大からひっぱっていった。研修重視の姿勢はぼくなんかよりも先に強く打ち出します。だから、大学に対抗して医局をつくる路線だといってもいい。東大での医局解体路線がそういう形にしようされた。それと外科は手術するんだから、病院でないとやれないでしょ。在宅だけではたちゆかないんです」

たしかに、諏訪中央病院は今井先生とぼくがタッグを組んで、在宅医療とともに、救急医療や高度医療を展開した。
政治的な色は、今井先生しかついていなかったが、それも途中からなくなっていっていったように思う。
20世紀の後半、どんな病院がいいのかということを純粋に追求していきたことが、この石井さんの言葉からも見えてくる。

ぼくが一時、会長をしていた地域医療研究会がどんな形でできたのかも、ここには書かれている。
1960年から80年にかけて、日本が政治の季節だったことがよくわかる。
これを読みながら、ぼくが「遅れてきた青年」だったこともよくわかった。
そのおかげで、政治的季節にあまり翻弄されず、今は自由に、ニュートラルに、いろんなことを考えて動けている。

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