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2011年2月

2011年2月28日 (月)

先住民族の村へ

ジャングルのなかにある先住民の村を訪ねることになった。
エンベラ族という先住民である。
もともとはコロンビアとパナマの国境にいたが、コロンンビアのゲリラに襲われ、逃げてきたという。
今も電気がない生活をしている。

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コロスの街から車で40分ほど走る。
パナマ政府の公認ということで、ぼくたちのバスは白バイが先導。
渋滞の中を、横からの車を遮断しながら走り抜けた。

ジャングルの入り口で、船に乗りかえる。
川をたどること40分。彼らの村に着いた。

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エンベラ族の若者たちが、肌にペインティングをして迎えてくれた。
音楽と踊りと歌で大歓迎である。
芋や魚のフライ、果物など彼ら流の食事を用意してくれた。

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ピースボートの旅がおもしろいのは、こういう先住民との交流企画が多いこと。
普通の旅ではなかなか体験できない。

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2011年2月27日 (日)

パナマ運河の戦い

パナマ運河に入った。
太平洋から大西洋へ、悠々とした運河越えである。

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しくみを簡単に言うと、三段階にわたり、水門を開閉して水位を上げ下げしながら、水位差を越えて船を通すというもの。
巨大な客船やタンカーなどが上昇した水位に乗って、海抜26メートルまであがると、ワニがいるというガトゥン湖に出る。
この湖は人工湖というが広い。
しばらく走った後、また三段階に分けて、水位を下げながら、ようやくカリブ海へと抜けていく。

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太平洋と大西洋をつなげる画期的な運河は、1914年に開通した。
15世紀末、コロンブスがカリブ海に入ったあと、このパナマ近辺に上陸している。
そして、もう一つ大きな海、太平洋があることに気がついた。
ヨーロッパの人間にとって大きな驚きであり、発見であった。
はじめて大西洋から太平洋を眺めた人間の感動は、たいへんなものだったのだろう。
地球が丸いということを推測する人間も当然、出てくる。

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パナマ運河の権利は、1999年、アメリカからパナマに譲渡された。
パナマにとって、パナマ運河の使用料は膨大な利益になる。

ぼくらが乗るこの客船クラスは、通航料が2000万円くらいといわれている。
それでも、重油の高騰を考えると、南アメリカの南端マゼラン海峡を通過するよりも、日数も少なく、コストも低い。

この運河を年間、1万4000隻のタンカーや貨物船、客船が通過するという。
アメリカやロシアは、別の国に別ルートの運河を通せないか検討しているようだ。
中国は、コロンビアにコンテナや石油を陸送できるよう検討をはじめたという。

自分の国の貿易力を強くするために、
小さくなった世界の海をどうやったら制覇できるか、目に見えない戦いが行われている。

それにしても、運河は長い。
通航中、こんな光景を見た。

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熱帯のジャングルの向こうに、金融街パナマシティの高層ビル群。
不思議な感じがする組み合わせだ。
夕日も美しかった。

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出会いが醍醐味

84歳の山口さんという方とお会いした。
ピースボートには9回、乗っているという。
世界一周の旅の反対周りを、はじめて楽しんでいるという。

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何かいちばん楽しかったか?
ぼくがそう聞くと、
「いたるところにおもしろいことあり。
いちばんおもしろいのは、予測しかなったことが起こること。それが旅の醍醐味」と答えた。

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船にはおもしろい人が乗っている。
『火宅の人』を書いた檀一雄の知人という人。
太宰治や坂口安吾とともに無頼派とよばれた作家である。

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バーでピアノを聞きながら、一緒におしゃべりをするのも、船旅のいいところだ。

2/17付けに「アルパカの帽子」の記事を、2/22付け「なつかしい顔」に写真を追加しました。ご覧ください。

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2011年2月26日 (土)

時速25キロ

船の内部を案内してもらった。

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約25キロのスピードで走っているとのこと。
常に監視しながら、問題がないときは自動操舵で航行している。

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海流や風を読みながら、時間通りに運行するのが腕の見せどころ。
近頃、重油の値段が高騰しているのが気がかりとか。

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もうすぐパナマ運河

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ペルーからパナマ運河を目指して航行中。

朝は相変わらず4時ごろには目が覚め、本を読んだり、原稿を書いたり、ブログの整理をしたり、メールの返事を書いたりしている。

熱帯のため空気中に湿気が多いのか、太陽があがるときに雲が邪魔して、美しい日の出を見ていない。

5日間の航行の間、連日、講演をしている。
4回目の講演が終わった後、若者がぼくを取り囲み、1時間ほどディスカッションした。

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まじめで、好奇心旺盛な若者たちだ。
こういう元気な若者たちと会うとうれしくなる。

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2011年2月25日 (金)

鎌田写真館~夢のあと

クスコにある有名なサント・ドミンゴ教会。
もともとコリカンチャ(太陽の神殿)と呼ばれていたが、スペインの侵略後、石積土台だけ残して、その上に教会がつくられた。

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標高3400メートルという高地のためか、空の青さが深い。

サクサイワマン城塞は、インカ時代、クスコの街を守るために築かれた。
スペイン軍に制圧され、巨石を含む石組みだけが残っている。

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不思議の国、インカ帝国の夢のあとである。

※写真は、2/16にクスコで撮影。現在は、船に乗り、パナマ運河に向け、太平洋を北上しています。

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船旅はクセになる

船のなかを少しご紹介しよう。

昼食は、ビュッフェスタイル。
夕食はディナースタイルだが、豪華客船と違い、気さくな感じ。
自分のうちの夕飯のような感じがする。

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本を読んだり、コーヒーを飲んだりするスペースもふんだんにある。
昨夜は民芸の俳優さんとご一緒した。
話が盛り上がった。

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今回乗船している人のなかで、いちばんのリピーターは11回目ということ。
船旅は、一度体験するとヤミツキになるようだ。

寄港地で観光するにしても、荷物をほとんどもたなくてすむ。
観光地で疲れても、翌日船でのんびりすれば、疲労も回復する。

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80歳以上の高齢者もけっこう乗っているが、みんな楽しそうだ。
若者たちは元気に自主企画をつくり、船全体を活気付けている。

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いろんな年齢の、いろんな人たちが一緒に旅をする。
これぞ、船旅の魅力だ。

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2011年2月24日 (木)

世界を走る非核特使

ピースボートには政府が認めた非核特使が9人乗っている。
広島、長崎で被爆された方たちである。
彼らは、寄港地の各地域で平和交流をしているが、その訴える力は大きい。

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ペルーでは、パトカーと白バイが先導しての対応であった。
信号は青にできるものも青にして、調整できないものは赤のまま、横断する道は白バイが遮断し、全速力で駆け抜けた。
渋滞に巻き込まれても、車をマイクでよけさせて、突っ走るのである。

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かつて、諏訪中央病院の今井澄元院長とチェルノブイリに行ったことがある。
当時、彼は国会議員だったので、大使がいろんな配慮をして車も優先的に走らせてくれたが、これほどのことはなかった。

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非核特使は、南米の寄港地の各地域で平和交流しながら、ヨーロッパ大陸、そして、アウシュビッツに向かうという。

ピースボートの旅がいいのは、楽しい観光をしながら平和や環境について、常に考えているところである。

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豊かな絆

広島出身の日系の人たちと交流し、昼食に招待された。

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ペルーに渡った日系の人たちの多くは、サトウキビ畑でのつらい仕事をして働いた。
第二次世界大戦のときは、いじめられ、つらい思いをした。
日本に帰ることもできず、我慢、我慢の連続であったという。

やがて自分の養鶏場や、商店を経営する人たちが出て、中流階級に属する人たちも多くなった。
事業に大成功した人たちもいるという。

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彼らは、人とのつながりをつくることで、自らの命や生活を守ってきた。
そのつながりは、年をとってからも、しっかりと命を支え続けている。

日系の人たちのデイサービスに参加して、一緒に「もしもしカメよ」や「ふるさと」を歌った。
日本の歌をうたうと、涙が出るほど日本が恋しくなるが、それでもペルーが大好きだという。
日系二世のなかには、もう日本語がわからない人たちもいる。

いま、時々日本に帰るが、日本よりペルーのほうが絆が強く、過ごしやすいという。
物価が安いという面もあるが、つながりが豊かで楽しいという。

「無縁社会」「孤族」という言葉とは縁遠い社会がペルーの日系社会にあった。
日本でも、新しいきずなづくりが必要だと感じた。

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2011年2月23日 (水)

ペルーの乗り物(※追加写真あり)

その1 バイクタクシー

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ペルー郊外の町やスラム街で、人々の足になっているのが三輪車のタクシーだ。
なんともかわいい。
オートバイが、後ろの座席をひっぱっている。

その2 豪華列車

クスコからマチュピチュへは、列車を利用した。
ハイラム・ビンガムという豪華列車だ。

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ぺルーでは、インカ道が張り巡らされているが、車は通れない。
この列車でしか行くことができないという。

オリエント急行の会社が運営している。
ランチやディナーが列車のなかで食べられ、楽団が乗っている。

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出発前、インカ時代の儀式が再現された。

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うきうきするような列車の旅の始まりである。

【追記】
豪華列車で食事を楽しむカマタ

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エクアドルの西海岸

ピースボートに乗って、エクアドルの西海岸をパナマに向かって進んでいる。

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ガラパゴス島が左手にあるはずだが、島影は見えない。

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夕刻、デッキに出て、夕焼け空に感動した。

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夜になると、ピアノやバンドの生演奏がはじまる。
飲む場所は4箇所ある。

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次の寄港地はコロンビア。
水先案内人による、コロンビアの政治情勢や経済情勢のレクチャーが夜10時まで続いている。

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一日中盛りだくさんの船旅は続く。

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2011年2月22日 (火)

なつかしい顔(追加写真あり)

クスコであったインディオは、日本人によく似ている。
13歳の女の子に会った。

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算数が好きだという。
数十年前の日本の女学生みたいだ。

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将来の夢は? と聞くと、銀行に勤めたいという。
夢がかなうといいな。

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クスコの町で赤ちゃんを背負っているお母さんに出会った。
ほかほかのゆで卵とジャガイモを売っている。
冷めないように、ぬいぐるみのようなものに包んでいる。

ゆで卵をむき、ジャガイモを5つほど入れてかきまわし、香草の入った辛いマヨネーズのようなものとあえて、スプーンで食べる。
日本円で30円くらい。

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売れますか? と聞くと、なかなか売れないという。
ぼくが話しているうちに、人だかりができて、みんなが買い始めた。
ゆで卵が飛ぶように売れた。
お母さんは嬉しそうな顔をした。

戦前の日本のお母さんを撮った写真とよく似ている。
ペルーの人も、日本人も、同じモンゴロイドである。
赤ちゃんのお尻には、きっと蒙古はんがあるはず。

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我々はどこから来たのか、我々はどこへ行くのか。
2年後に書く予定の本のヒントをもらった。

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テロと戦った町

ペルーの経済は非常によい。
ブラジルのあとはペルー、コロンビア、エクアドル・・・。
こういったところが経済をひっぱっていくだろうといわれている。
半面、貧富の差が大きくなっている。

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首都リマの郊外の砂漠にビジャ・エルサルバドルという町がある。
不法占拠から始まったスラムである。

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途中から住民の意思を反映した都市計画が行われるようになり、
1987年、国連により平和の使者の町としてたたえられ、ノーベル平和賞にノミネートされた。
同時にこのころ、センデロ・ルミノソの反政府武装ゲリラが無差別テロを行い、1万4000人が亡くなった。犠牲者は特に、農民が多かった。
農村を崩壊させ、流民化現象を起させ、その流民をテロリストに巻き込もうとした作戦であった。

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しかし、ビジャ・エルサルバドルは抵抗した。
そのために指導者のマリア=エレナ・モヤノは暗殺された。
19年前の2月15日のことだ。

このスラムで、広島や長崎の被爆者と、テロの被害者たちの交流会が行われた。
市役所の職員や議員などが参加した。
熱烈歓迎された。

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ビジャ・エルサルバドルは、今では40万人が住む住民自治の町になった。
貧しいが活気に満ちている。
若者たちは、サーカス団や新しい視点の劇団などを立ち上げている。

ペルーの経済が本格的によくなり、この街の人々にも仕事が与えられるようになれば、この発展は確かなものになるだろう。

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2011年2月21日 (月)

ペルー料理

リマのレストラン『ラ・ロサ・ナウティカ』で、ペルーのおいしい料理を食べました。

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コンチータ・ア・ラ・パルメサーナ(ホタテ貝のチーズ焼き)、セビーチェ(魚のマリネ)、カラマリ(イカフライ)などの前菜

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アロス・コン・マリスコス(魚介類の炊き込みご飯)

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パリウエラ(シーフードスープ)

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ルクマ(ペルー原産のフルーツ)のタルト

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ナスカの地上絵

人はなぜ、こんな不思議な絵をかくのだろう。

ナスカ文化は、紀元前後から800年くらいの間に栄えたといわれる。
プレインカの時代である。
海岸から、乾燥地帯の山のなかに移った。

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何のために、どんな思いで巨大な地上絵をかいたのかはわからない。

ハチドリやコンドルなどは一筆書きでできている。
線は20センチほどの幅があり、この上を歩くことができる。
人々が祈りながら、この線の上を歩いたのではないという説もあるが、宇宙飛行士といわれている絵は一筆書きではかけない。
お百度参りのようにこの線の上を歩いたという説は、少しおかしい。

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おそらく、呪術的な力を使う神官が存在していたのだろう。
神殿の代わりにつくられた文様ではないだろうか。

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宇宙にいる多様な神と交信するための文様だったのではないか。
当時の土器にも同じ文様がかかれている。
土器も、生活雑器でもあったが、同時に祈りの道具でもあったはず。
おそらくハチドリやコンドルは祈りの対象だったのだと思う。

人間は無駄なことをする動物である。
効率を考え、合理的に生きようとするが、心があるから無駄なこともする。

地上絵は、だれが何のためにえがいたのか?
この問いに対する答えは、人間は無駄なことをするのだということを示しているのではないかと思う。
「われわれはどこから来たか」というテーマで本を書こうと思っている。
その本では、この謎解きをもう少し掘り下げられたらいいなと思う。


※2/20付に、「パラカス半島」の記事をアップしましたので、ご覧ください。

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エコハウスを見てきた

本日、発売する月刊「日経マネー」の鎌田の連載はエコハウスの現場を取材。
鎌田が、トステム住研の研究ハウスを突撃取材している。

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廉価なわりには、いろいろ工夫されている。
たとえば、床は弾力性があり、転んでも骨折にしくいし、音を吸収して響きにくい。
太陽光発電や太陽熱発電も上手に組み合わせて使われている。
これにより、維持費は20年間で1000万円くらいダウンができるという。
庭の日よけなども、季節ごとの太陽の高さを計算。冬には部屋の奥まで光が入るように、夏には光が入らないよう木陰をつくるような設計になっている。
照明も、よく考えられている。

快適で、自然環境を考えた家をつくることは、とても大切なことである。
ぜひ、お読みください。

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2011年2月20日 (日)

パラカス半島

ペルーの首都リマから車で40分ほど南下すると、パラカス半島がある。

そこは国立保護公園になっているが、実になにもない。

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砂漠である。

何もない砂漠にいると、自分のなかを見つ.めはじめる。
いろんなことを考えはじめる。
詩のようなフレーズも生まれてくる。

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何もないということは、いっぱいあるということだ。

~~☆~~☆~~☆~~

おかげさまで、PVが200万アクセスに到達しました。
たくさんの方々に訪問いただき、感謝いたします。

200万人目の方には、鎌田の本(サイン入り)を一冊プレゼントいたします。
諏訪中央病院 鎌田宛に、手紙でご連絡ください。

これからも、「強くて、あたたかくて、やさしい」生き方を目指して、さまざまな話題をお送りいたしますので、ぜひ、お楽しみに!

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和平のチャンス

三冊目の絵本作りは、順調にすすんでいる。
イスラエルとパレスチナの間で行われた命のリレーを物語にした。

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60年以上憎しみ合いが続く両国。
そのイスラエルが珍しく、和平交渉の再開を言い出した。
和平交渉を打ち切っているのは、多くはイスラエルであった。
しかも今回はリップサービスをしている。
ガザに発電所や下水処理などのインフラ整備をするという。
西岸の一部の治安権限もパレスチナに譲るという。
なぜこんなことを言い出したのか。

エジプトに政変がおこり、イスラエルに理解を示してたムバラクが失権する。
その後、イスラム教原理主義者が政権をとると、イスラエルは非常に厳しい状況に追い込まれる。
イスラエルに接しているパレスチナ、ヨルダン、エジプトという国々が反イスラエルになる前に、パレスチナ側と妥協点をみつけたいのである。
この機に乗じて、イスラエル側にできるだけ多く譲歩させて、和平交渉を成立させるべきだ。
これから大事な局面が来る。

ぼくの絵本が平和をつくりだすのに役立つとうれしいなあ。
絵本の発売は、4/26の予定。
お楽しみに。

写真は、冬晴れの八ヶ岳

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2011年2月19日 (土)

鎌田劇場へようこそ!(70)

「英国王のスピーチ」

これぞ、映画。
映画ってやっぱり、いいなあと思わせてくれる名作である。

ジョージ6世の伝記を元にした、実話である。

厳格な父ジョージ5世に厳しく育てられた。
兄との関係、乳母との関係にも悩む。
内気で、吃音に悩んでいた。
コンプレックスの塊である。
それを、スピーチセラピストが、独特の方法で癒していく。

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国王になりたくもなかった。
次男だったので、ならなくてもよかった。
だが、長男が許されぬ恋を選び、一年で王位を去る。
王になる必要がなかった男が、王にならざるをえなくなる。

王位継承評議会のスピーチで失敗し、私は王になれないと泣き崩れるジョージ6世。
その男が見事に立ち直る。

ヒトラー率いるナチスドイツとの開戦が避けられなくなる。
国民は国王のスピーチを待つ。
国家がいちばん苦しいときに、世紀のスピーチがはじまる。
強くて、あたたかくて、やさしい国王のスピーチが行われる。
感動の実話である。
真のリーダーに必要なものとは何かが見えてくる。

アカデミー賞のダークホースである。
アメリカのためのアカデミー賞ならば、当然「ソーシャルネットワーク」が選ばれるだろう。
しかし、世界が難問を抱えている今こそ、こんな映画が選ばれてもいい。
人々の心を奮い立たせ、新しい物語を待っている人たちに送る映画、それがこの映画である。

ぼくは物語を語ることの大切さをずっと語ってきた。
そして、日本のリーダーは物語を語るべきと訴えてきた。
国のリーダーだけでなく、地域のリーダーも、会社のリーダーも、病院のリーダーも、自分の物語を語るべきである。

感動度95%。
2/26からロードショー。
ぜひ、ご覧ください。

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2011年2月18日 (金)

なぞの空中都市

空中都市マチュピチュまでやってきた。

マチュピチュは、1911年にハイラム・ビンガム氏が発見したとされている。
アメリカ人で、インディー・ジョーンズのモデルになったといわれている歴史学者だ。

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スペインにクスコが征服されたのが、1533年。
それまで、ここマチュピチュには500人ぐらいの人が住んでいたといわれているが、その後、どこかにいなくなってしまったという。
どこに行ったかはわからない。

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マチュピチュの東には、アマゾンにつながるジャングルがある。
ジャングルに行ったと言っている人たちもいる。

戦った跡もない。
これだけの空中都市を作ったインカの人々が、この街を手放した理由は大いなるなぞである。

太陽の神殿があり、太陽神への祈りやかなり高度な天文学が行われていたようである。

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段々畑(アンデネス:アンデスの言葉の起源)では、とうもろこしを作っていた。

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ウエットな資本主義⑧

国民健康保険の収納率88%台と、過去最低になった。
原因の一つは、景気悪化によって、払えない人が多くなっているということである。
もう一つは、ルールを守らない日本人が多くなってきているという、悲しい現実もあるようだ。

本来は95%くらいの収納率を維持したいところである。
この10年ほど、国民の範となるべき政治家たちが、きちんとルールを守って政治活動をしていない。
それを反映して、国民のルールを守ろうとする規範意識も低下しているのではないか。

貿易立国として、経済的にも強い国になりながら、社会のルールをしっかり守りつづけることができる日本をはやく取り戻したいものである。

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2011年2月17日 (木)

クスコで昼食

クスコでの昼食をご紹介しましょう。

ジャガイモが原産国であるペルーには、900種類のジャガイモがあります。
そのジャガイモ料理「パパ・ア・ラ・ワンカイーナ」

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黄色い唐辛子とチーズ、その上にオリーブがのっています。

ペルーの家庭料理「ロモ・サルダドール」

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やわらかい肉とたまねぎとトマトを、塩、こしょう、醤油で味付け。
野菜炒めにして、横にごはん添えてあります。
野菜炒めの汁がかかって、ごはんが美味しいです。
なんと、ペルーではよく醤油を使うらしいです。
驚きです。

「トゥルーチャ・ア・ラ・プランチャ」

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湖のマスを、香料と塩で味付けしています。
日本人の舌にぴったり合います。
とてもさっぱりして美味しいです。

案内してくれたのは、ガイドで通訳で日本語ベラベラのSAYDI(通称ペルーの吉永小百合)さん。
案内を頼むときは、984-77-1827(日本語OK)まで。

レストラン「ESTANCIA del INCA」

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窓からの景色が抜群でした。

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アルパカの帽子

ペルーのクスコに着いた。

クスコは、3400~4000メートル近くの高原都市。
インカ帝国の首都であった。

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16世紀、スペイン艦隊によって陥落した。
1000万人の人口があり、堅固な石組みの城塞を持ちながら、たった数十名のスペイン兵に敗れた。

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敗因は、インカ帝国が南北で争っていたこと、鉄をもっていないかったこと、などがあげられる。
何よりも、戦う体制がとれていなかった。
夜は戦わないという習慣があったという。

夜陰に乗じたスペイン軍により、堅牢なサクサイワマン城塞はあっという間にのっとられたのである。
なんともドジな話だが、このドジさがインカのいいところであろう。

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クスコで、アルパカのセーターと帽子を買った。
アルパカの帽子がえらく気に入った。

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ウエットな資本主義⑦

アメリカの雇用が4万人弱増え、経済が回復しているという。
しかし、まだ1386万人の失業者がいる。

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アメリカはさらに金融緩和を強力に推し進めるという。
この金融緩和がありあまったお金をつくり、穀物や原油や金属などコモディティの相場に流れ、ものの値段を上げている。
インフレになり、貧困層にとってはつらい状況がおこりはじめている。
これが北アフリカを中心に過激なデモを起こす大きな要因になっている。

しかし、アメリカでは、量的緩和を行うと、そのありあまったお金を利用して経済活動をしようとする人間がいる。資本主義としてはまだまだまっとうだ。

日本は量的緩和を行っても、そのお金を借りて、積極的な経済活動をしようとする人が少ないために、量的緩和が市場に反映されにくい。
内向きで萎縮傾向にある日本と、
利子がわずかでお金をどんどん貸してくれるなら、それを使って一旗揚げたいと思うアメリカでは、
気質が違うのかもしない。

バーナンキFRB議長が量的緩和をするのは失業率を改善するためと腹をくくっているようである。これは大事なことである。
雇用改善のためには危険な策も使うということである。

若者の雇用を広げるためにも、日本人も、しばらくアリの生活からキリギリスの生活になる必要があるのかもしれない。

写真は、雪の岩次郎小屋

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2011年2月16日 (水)

ミニシアターの灯を守ろう

全国で、ミニシアターがつぶれている。
昨年の秋、渋谷シアターTSUTAYAがつぶれ、ヒューマントラストシネマがつぶれ、11月にはシネマ・アンジェリカが閉館した。
そして、今年になって恵比寿ガーデンシネマがつぶれ、2月末にはシネセゾン渋谷が閉館するという。

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40年ほど前には2億5000万人いた観客が、1億7000万に減っている。
しかし、2010年の興行収入は2500億円、年過去最高になった。
「アバター」が156億円、「アリスインワンダーランド」が118億円。
みんな3Dである。
興行収入の高さの背景には、入場料の高さがあった。

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ぼくは青春時代から、ミニシアターに通っていた。
ミニシアターによって、知らない国の文化を知り、掘り出し物の映画を見つける喜びを味わった。
ミニシアターごとに、上映作品にカラーがあるのもいい。
好きなミニシアターに行けば、はずれが少ない。

地方の一般上映館も、ピンチに立たされている。
350館近くあったのが、5年くらいの間に150館に減っている。

2010年の興行収入2500億円という華々しい数字。
その影で消えていっているミニシアターやコミュニティーシネマの灯を大事にしていく必要があるのではないか。

写真は、雛人形。先日、「鎌田實 いのちの対話」の出演者と食事に行った浦和の二木屋に展示されていた

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2011年2月15日 (火)

ヒューストンより

~こちらヒューストン、こちらヒューストン
感度良好です。

鎌田は元気です。

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空港でのお昼ごはんは写真の通り、特大のハンバーガー、
これが実においしい。
ヒューストンはカウボーイの町だからかもしれない。
ローストビーフサンドイッチもローストビーフがとてもおいしい。
ヨーグルトシェークも特大です。

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しかも、コップに入れられない分は作ったコップに入れて持ってくるという
日本では信じられないサービス。

空港の中では日本のメーカーの名前は一切なし。
SAMSUNGが目立ちます。

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アメリカですら韓国製品に負けてる感じです。
SonyやPanasonicはもっとがんばらないといけない。

ヒューストン空港はとにかく巨大。
ジョンソン宇宙センターや、世界の最先端医療の研究機関が集まるメディカルセンターへの玄関口となっている。

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ハブ空港としては成田も羽田も限界。
北海道の千歳空港のほかに巨大なハブ空港を作り、
メディカルセンターも誘致し、日本のいくつかの大企業もそこに持っていき
アジアの拠点にしたほうがいい。
今の政治家では発想の転換ができそうもない。
20年先を考えられるリーダーが必要だ。

と、巨大なハンバーガーを食べながら考えた。

以上、ヒューストンからでした。

~☆~~☆~~☆~~

もうすぐ200万アクセスに到達しそう。
200万人目の方には、鎌田の本を一冊(サイン入り)プレゼントいたします。
諏訪中央病院 鎌田宛に、ご送付先を書いた手紙をいただければ、お送りいたします。

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雪のシカゴからヒューストンへ

シカゴは雪で覆われていた。
3時間のフライト待ちをした後、ヒューストンに飛び、一泊した。
現在、最高気温23度と暖かい。

ここのところ忙しく寝不足ぎみだったので、よい休養になった。
時差ぼけでなかなか寝付けなかったが、デパスでぐっすりである。

こちらの料理は量が多い。
サラダはどんぶりで、鶏はハーフで向こうが見えないほど大きい。

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朝食はビュッフェだった。
ヒューストンは、日本でいうと鹿児島のような気候で、果物も野菜も豊富そう。
甘いデザートがついてきて、なんだか太りそうだ。
「ドクターかまちゃんの寒天ゼリー」を持ってくればよかった。

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2011年2月14日 (月)

心強い応援団

TBSの夕方のニュース番組で、JIM-NETのチョコレート募金のことを取り上げてくれた。
写真は、鎌田が取材を受けているところだ。

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高田馬場にあるJIM-NET事務局の近くに、鉄板焼・大都会がある。
年に一度、ここのステーキをJIM-NETのスタッフにご馳走しているが、おいしくて、みんな幸せになる。

この地下のギャラリーでは毎年、社長のご厚意で、イラクの子どもたちの絵画展を開かせてもらっている。
今年は本日のバレンタインデーまで開催。

チョコレートは、おかげさまで12万個が完売となった。
こうした心強い応援団に、JIM-NETは支えられている。

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南米の旅が始まった

今回の旅は、たいへんなスケジュールだ。

成田空港を発ち、アメリカ北部のシカゴに入る。
3時間の飛行機の乗り換えをして、南部のヒューストンへ向かい、そこで一泊。
ヒューストンからペルーのリマへ飛ぶ。
リマで飛行機を乗り換えて、かつてインカ帝国の首都だったクスコに行く。
移動だけで3日近くかかる。

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クスコから列車でマチュピチュを訪ねた後は、再びリマに戻り、飛行機でナスカへ。
そして、ペルーのカヤオでピースボートに乗船し、太平洋を北上してパナマ運河を通り抜け、コロンビアへ。
洋上では四回ほど講演をする予定だ。
待っていてくれる人たちもいる。
楽しい出会いもきっとあると思う。

旅の最後は、ガラパゴス諸島に渡り、生物の進化を感じてこようと思う。
ガラパゴスからエクアドルのキトに行き、帰途につく(笑)。

ハードだけれど、おもしろい旅になりそうだ。

~~☆~~☆~~

旅の様子は、PCとスマートフォンを駆使し、できる限りこのブログでご紹介していきます。
現地から送れない日は、日本で書き溜めたネタをお送りします。
お楽しみに!

写真は、成田空港で

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2011年2月13日 (日)

口蹄疫

韓国の口蹄疫の勢いがとまらない。
殺処分の対象は270万頭にものぼった。

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殺処分された豚は、韓国の豚の四分の一に達しているという。
市民が、豚を食べれなくなっている。

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日本にひろがった口蹄疫の遺伝子は韓国のものと同じということなので、再び韓国から日本に入ってくる可能性がある。
なんとか、とめる手立てを考えなければ。
厳重注意である。


写真は、先日、原村に往診に出かけたときのもの。強風が雪を舞い上げて視界が真っ白になったが、少し立つと青空が見えてきた。

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2011年2月12日 (土)

出発前に、日本のお寿司を(追記あり)

静岡、熊本、新潟、そして再び熊本と、連日講演が続いた。

あわただしくとんぼ返りをしながら、少しの時間を割いて、おすしを食べ歩いた。
静岡では生シラスのおすしや桜海老のすし。
熊本はアナゴがおいしかった。意外なことに有明海では、冬よりも、春から夏にかけてのほうが、熊本でしか食べられない魚が食べられるという。
冬のおいしい魚は、日本海ということで、新潟へ。
甘エビがおいしかった。
深海にいるというアラという魚も歯ごたえがあり、なかなかおいしい。

日本を旅していると、狭いながらも、気候がまったく違うことがわかる。
食べ物が違うこともわかる。
とれる魚も違う。

今、熊本にいる。
明日は成田空港へ向かい、いよいよ大変な旅がはじまる。
今回は、クスコ、マチュピチュ、ガラパゴスなどを訪ねる南米の旅。
数年かがりで、「われわれはどこから来たのか」というテーマで本を書く予定だが、今回の旅からいい刺激をもらえそうだ。

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【追記】

熊本には、熊本日日新聞の講演会のために訪れた。
2年ほど前から依頼を受けていたが、ようやく実現した。

南米へ行く前に、日本のおいしいものを食べておこうと、熊本では刺身やカラスミ、辛子れんこんを食べた。
目当てのおすし屋さんが休みで、熊本城のそばの青柳というおすし屋さんに入った。
中トロをゆず胡椒で食べたり、えびに揚げにんにくが載っていたりと、ぼくには初めての食べ方で、なかなかおもしろい創作すしだった。
名物の馬刺しのすしもいただいた。

熊本滞在中、熊本ラーメンも食べた。
こてこてのとんこつに、揚げにんにくをたっぷり載せる。
濃厚なスープで、とてもうまかった。

中南米の旅行中は、しばらく日本食はおあずけ。
たっぷりとすしやさかな、ラーメンを堪能した。

中南米では、どんな食と出会えるか、楽しみである。

写真は、こてこての熊本ラーメン

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2011年2月11日 (金)

差別を超えたゴール

サッカーのアジア杯の決勝で、ゴールを決めた李忠成のことが韓国の新聞でも大きく取り上げられたという。
彼は一時、韓国代表を目指し、韓国に渡った。
しかし、在日に対する差別に直面し、日本に戻り、家族の反対を押し切って日本人になった。
韓国はその経過も含めて、李選手のゴールを賞賛した。
なかなか韓国は大人の対応をしていると思う。

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李選手がなぜ韓国代表になろうとしたのか、日本にも問題がある。
日本でも差別があるのである。

在日の人たちは、日本で差別を受け、韓国でも差別を受けるという話はよく聞く。
李選手のすばらしい活躍を称えながら、日本も、韓国も、出自で差別しないように学んでいく必要がある。

とにかく、差別はよくない。

写真は、雪の八ヶ岳

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2011年2月10日 (木)

御礼

チョコレート12万個が、完売しました。

たくさんの人たちに協力していただきました。
あたたかいご支援をいただきました。
幸せなことだと思っています。
世界の病気の子どもたちを救いたいと思っておられる方たちが、たくさんいることがよくわかりました。

草加市の町工場の製缶工場の3人の方々は、心をこめてきれいな缶をつくってくれました。
川崎市のはなみずきの方々は、12万個の梱包と発送で大変だったと思います。
注文の電話を受けたり、発送の手配をしてくれたスタッフもお疲れさま。
みんな、本当にありがとうございます。

田園調布学園では、図書館のコーナーにぼくたちのチョコレート募金を置いてくれたようです。
https://www.int-acc.net/chofu/2011/02/01/

こんな形の応援がいたるところで行われて、12万個が完売しました。

感謝、感謝、感謝。

                                                    ◇

今週発売号の週刊ポストに「ドクターかまちゃんの寒天ゼリー」のことを書きました。
読者からすごい反響があり、JCFには注文の電話が鳴りっぱなし。

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寒天ゼリーの収益は、チェルノブイリやイラクの病気の子どもたちの医療支援のために使われます。
もちろん、食べていただく人の健康づくりにもなります。
問い合わせ、ご注文はJCFへお願いいたします。

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2011年2月 9日 (水)

鎌田写真館~雪の朝

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今朝はいつもより早く、4時に起きた。
静かで、少しあたたかい。
雪のにおいがした。

外を見ると、やはり雪。
空が少し明るくなるのを待って、青い世界を撮影した。
雪景色は大好き。
心が落ち着いてくる。

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先日は、この季節に雨が降って、諏訪湖の御神渡りを心配したが、今日はまた寒さが戻ってきた。
なんとなくうれしい。

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2月の雨

2月前半なのに信州に雨が降った。
今年は寒い日が続き、今年は諏訪湖の御神渡りが見られると期待していたが、この雨では無理かもしれない。
気候がおかしいのだろうか。
冬はやはり寒くなくてはいなけない。

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先日、スキーで大転倒し、左ひざの半月板を損傷してしまった。
年だ。
歩くときも、足をひきずっている。
そのため、スキーがまったくできない。
スキー場が元気なのか、心配だ。

信州でも外国人のスキーヤーが多くなっている。
もっと若者にもスキーをしてもらい、スキー産業も元気なるといいな。
スポーツも、遊びも、元気でないと、日本も元気にならない。

写真は、お正月にスキーを楽しむ鎌田

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2011年2月 8日 (火)

下町散策

月刊「日経マネー」の取材で、アイフルホームというハウスメーカーの取材をしてきた。

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安くて長持ちするエコな家をつくっているという。
なかなかいい品質であった。

取材場所から、歩いて5分ほど離れたところに、柴又の帝釈天があった。

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取材の後、寅さんがふらりと出てきそうな下町を歩きながら、食堂に立ち寄った。
お昼ごはんに食べたのは、これ。

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天丼!
甘いたれの昔風の味であった。

どんぶりで大満足。

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2011年2月 7日 (月)

タイガーマスク現象に思う

いつもは木曜日に出演している「ニュースエブリィ」(日本テレビ系、16.53~)だが、今週は、9日(水)に出演する予定だ。
久しぶりにNEWSの小山慶一郎君と一緒で、楽しみ。

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鎌田のがんばらないコーナーでは、タイガーマスク現象について取り上げようと思っている。
すばらしい運動だが、匿名であるために一時的に盛り上がって、終わってしまう可能性がある。

いいことはできるだけ続けたい。
それにはどうしたらいいのか。
プロ野球選手の和田選手や鎌田の「ぼくのルール」を紹介しながら、いいことが一過性で終わらないための提案をしたいと思っている。

ぜひ、ニュースエブリィにチャンネルを合わせてください。

写真は、岩次郎小屋から見た雪景色

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2011年2月 6日 (日)

2/11「いのちの対話」放送

「鎌田實 いのちの対話」が2月11日(午前9時05分~11時50分、NHKラジオ第一)、放送される。

今回は、埼玉県蕨市から公開放送。
テーマは、「いのちをいただく」。食と命についての話をたっぷり約3時間。
充実した時間になると思う。

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ゲストに迎えるのは、子どもがつくる「弁当の日」を提唱している元校長の竹下和男先生。
「弁当の日」によって、子どもや親や地域がどう変わっていったのかを、『空気は読まない』(集英社)にも書かせてもらった。
出張料理人の小暮剛さん、野菜スイーツパティシエの柿沢安耶さんも出演する。

さらに、蕨市に住んでいる坂田明さんが、スペシャルゲストとして参加する。
ぼくの書き下ろしエッセイの朗読のバックで、演奏してくれるかもしれないというから、豪華な話だ。

おもしろく、感動的な食の話が聞けると思う。
ぜひ、「鎌田實 いのちの対話」をお聞きください。

写真は、雪をかぶる信州の山

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2011年2月 5日 (土)

財政の健全化を

政府は、2020年度のプライマリーバランスが23兆2000億円赤字になると予測した。
たしか2020年には黒字化を目指していたはずなのに、である。

現在、日本は832兆円以上の赤字を抱えている。
もちろん、国はお金がないが、国民はお金をもっているので、国債を買う力が国民にあるうちは国家の破綻にはならないだろう。
だが、一つに、借金が1000兆円を超えたときには、世界から見放される可能性がある。

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おそらく今のまま借金を重ね、ばら撒き予算を行っていると、2015年には1000兆円を突破する。
4年後だ。
かなり危機的な状況が、すぐ目の前にやってくる可能性がある。

子ども手当て2兆2000億。
農家の戸別所得補償9000億。
これだけの厳しい状況のなかで、お金を有効に使うには、国がよくなっていく物語が語られなければならない。
物語のないところでいくらお金をつぎ込んでも、ばら撒きにしかならない。
そこのところに、政府の無能さを感じる。

二国間の自由貿易協定でも、TPPでもいいのだが、貿易立国として自由化しながら、農家を守るために、たとえば1兆円を使うという物語を語ってほしい。
子ども手当ても、しかり。
国民全体はなんとも冷ややかだが、子育てをしているお母さんたちからも、大歓迎されているとは思えない。

経済は魔物である。
経済の半分は、心が支配している。
その心の部分を動かすのは、政治家の仕事である。
まるで、数字を動かすのが政治家の仕事のように思いこんでいるところに、この10年間の政治家たちの無能さを感じてしまう。

今までも、すぐれた政治家たちは国民の心を揺さぶるような演説をしながら、国家を動かしてきた。
国民の心を感動させ、納得させる必要がある。
小泉さんのやったことは好きではないが、小泉さんは、国民の心を揺さぶる能力があった。
国民の心を揺さぶる政治家が出てきてもらいたい。
小沢さんは、能力はあるかもしれないが、国民の心を揺さぶることはできないだろう。

菅さんは、この国をどういう国にしたいのか物語を語らなければならない。

写真は、雪の積もった岩次郎小屋のデッキ。朝日に照らされた木が、長く影をのばしている。

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2011年2月 4日 (金)

あたたかいニュース

先日、「ニュースエブリィ」(日本テレビ系)のアナウンサー全員とプロデューサー、小山慶一郎くんらと韓国料理店に行き、新年会をした。
デザートは、ビンズというカキ氷。

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氷あずきにドライフルーツときなこがかかっている。
初めて食べたが、さっぱりしていておいしかった。

ニュースエブリィは、チームワークがいい。
殺伐としたニュースやつらいニュースが多いが、そのなかにも、あたたかなニュースを届けたいと意欲にあふれている。

今年は、がんについて深く取り組んでいこうと企画中。
視聴率も上がってきて、この時間のトップに躍り出ているという。
鎌田は、木曜日を中心に、コメンテーターとして出演している。
ぜひ、ご覧ください。

写真は、韓国のカキ氷、ビンズを食べるチーム・ニュースエブリィ

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2011年2月 3日 (木)

ガンバレ宮崎③

残念なことに、全国で鳥インフルエンザの感染例が報告されている。
宮崎でも、感染が認められ、養鶏の殺処分が行われた。

昨年12月に韓国で鳥インフルエンザが確認され、約400万羽が殺処分されたという。
観光や貿易のことを考えれば、人が移動しないことを望むわけにはいかない。
人が移動しながら、どうやってウイルスをひろげないようにするかを考えていく必要がある。

                         ◇

宮崎を応援したいと思い、名物のチキン南蛮を食べてきた。
延岡で昭和40年代に生まれたという。
チキンカツのコロモがパン粉ではなく、片栗粉と卵で揚げたものに、甘酢で味をつけ、タルタルソースで食べるというスタイルが多い。
チキン南蛮のお店は町中にいくつもあるので、違ったスタイルのチキン南蛮もあるようだ。

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チキン南蛮は、もともとまかない食だった。
B級グルメとして評判になり、町中の食堂で出すようになった。
有名なのは「直ちゃん」。
しかし、並んで待つのが嫌いなぼくは、駅前の津山食堂に入った。

なんとなく寂れている。
入り口のチキン南蛮ののぼりが、風情ありげにはためいている。
お店のなかはもっとすごい。
自転車やらバケツやらが置かれ、所帯道具が店のテーブルに並んでいた。
ぼくが往診にいく、信州の田舎のおじいちゃんとおばあちゃんのうちに入り込んだような錯覚をおぼえた。
ある意味、いい雰囲気の店だった。

おばあちゃんがおもしろかった。
大正時代から三代続いているお店だという。
高千穂のほうへいく電車の起点でもあり、延岡には人が集まった。
旭化成の工場もあり、駅前は栄えたという。
この津山食堂も、駅の待合室のようにごった返した時代があった。

しかし、ぼくがいた12時半から30分ほどの間、お昼時というのにお客さんは誰一人来なかった。
いまは、駅前全体に人がいないのだ。

食べ終わり、タクシーに乗って講演会場に行く途中、運転手さんとチキン南蛮の話になった。
年配の運転手さんは「チキン南蛮なら、直ちゃんにいかないとだめだ」と言った。
でも、ぼくは津山食堂でよかったと思う。
じいちゃんとばあちゃんがやっている、どこかなつかしい店が気に入った。

写真は、宮崎名物のチキン南蛮。駅前の津山食堂で、雰囲気ごと味わった。

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2011年2月 2日 (水)

ガンバレ宮崎②

宮崎県延岡市は、日本ではじめて地域医療を守る条例をつくった町だ。
平成15年から消化器内科、神経内科、眼科、精神科、麻酔科などの医師の退職が相次いだ。
その後も医師不足が続き、平成20年には厳しい状態に陥った。

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そこで条例をつくり、自分たちの命を守る地域医療を、市民たちが自分たちで守ろうとしはじめた。
深夜のコンビニ受診などを市民自らが戒めながら、市民と医師会と病院の医師たちが協力しあって、地域医療の崩壊を防ごうとしている。

条例のなかで、健康長寿を目指すという目標も掲げている。
その目標達成のために、「めざせ天下一健康長寿 延岡」という行動計画書がつくられた。
一に運動、二に食事、三に健診受診をすすめている。

その発足会に呼ばれた。
1300人の会場はあふれて、しかも、入れない市民もたくさんいたという。

医師不足は全国的な問題だ。
問題解決には時間がかかるかもしれないが、市民が一体となっているところがいい。
条例をつくったことで、行動に移しやすい。

尾道もまた別のスタイルで地域医療を守る条例をつくっている。
それぞれが個性的でパワフルである。

日本の抱えるピンチを、チャンスに変えようと必死になっている。
期待できると思う。

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2011年2月 1日 (火)

ガンバレ宮崎①

昨年12月に宮崎県の都農町に講演に行ってきた。
口蹄疫でダメージを受けた町に元気になってもらいたいと、ボランティアで講演した。
そのとき、泊ったシェラトンは、旧シーガイア。
シェラトンとして再スタートを切り、やっと客が増えはじめて、今年はボーナスがでるかもしれないと喜んでいたところに、口蹄疫の風評被害でお客さんが激減した。
ホテルのなかのおすし屋さんは、一日おきに開業して、危機をしのいできたという。

身につまされた。
「もう一回泊りにくるよ」と約束した。

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先日、延岡に講演に行った。
空港から直接、延岡に向かうほうが便利であるが、約束を果たすべくシェラトンに泊りに行った。

夜8時ごろに着いた。
あのおすし屋さんに行こうと思っていたら、なんと満員でしばらく待つという。
ああ、お客さんが戻ってきたんだなとうれしくなった。
それなら、宮崎牛を食べようと思い、ホテルの中のステーキハウスに入った。
ここも混んでいてしばらく待たされたが、宮崎牛を堪能した。

前回、宮崎に来たとき、畜産業だけでなく商業も観光もたいへんなダメージを受けていた。
都農町の人たちが、ぼくの講演会を機に少しずつ明るさを取り戻していると聞いたが、
韓国では口蹄疫が、再び広がり出しはじめているという。
牛や豚は240万頭殺処分された。
再び宮崎県に口蹄疫が広がらないことを願っている。

東国原さんはいい気なもので、自分の野望のために、まだ苦しみのなかにいる宮崎から離れていく。

まだまだ応援しなくちゃいけないと思っていた矢先に、今度は鳥インフルエンザ。
新燃岳の噴火も心配だ。

また、風評被害が出ないといいのだが・・・。

ぼくたちは、ちょっと、風向きとか、空気に弱すぎる。
空気や風評に負けない、強くて、あたたかくて、やさしい国に変えていこうではないか。

写真は、宮崎の美しい海にのぼる朝日

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鎌田写真館~薄明

1/30の午前6時過ぎ―。

夜明け前の空を、三日月の細い月が青く照らしていた。
近くに輝いているのは、おそらく明けの明星、金星だ。

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前夜に降った雪を踏みしめて、外に出た。
キーンと寒さが身にしみた。
耳は千切れるほど。

夜明け前の一瞬の光景は、地球が見せてくれたごほうぴ。
美しい光景が、ぼくの心をあたためてくれる。

しばらくすると、八ヶ岳の裾野から太陽が昇り、透明な青い世界は白い光にかき消されていった。

今日も新しい一日が始まる。

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