豊かな絆
ペルーに渡った日系の人たちの多くは、サトウキビ畑でのつらい仕事をして働いた。
第二次世界大戦のときは、いじめられ、つらい思いをした。
日本に帰ることもできず、我慢、我慢の連続であったという。
やがて自分の養鶏場や、商店を経営する人たちが出て、中流階級に属する人たちも多くなった。
事業に大成功した人たちもいるという。
彼らは、人とのつながりをつくることで、自らの命や生活を守ってきた。
そのつながりは、年をとってからも、しっかりと命を支え続けている。
日系の人たちのデイサービスに参加して、一緒に「もしもしカメよ」や「ふるさと」を歌った。
日本の歌をうたうと、涙が出るほど日本が恋しくなるが、それでもペルーが大好きだという。
日系二世のなかには、もう日本語がわからない人たちもいる。
いま、時々日本に帰るが、日本よりペルーのほうが絆が強く、過ごしやすいという。
物価が安いという面もあるが、つながりが豊かで楽しいという。
「無縁社会」「孤族」という言葉とは縁遠い社会がペルーの日系社会にあった。
日本でも、新しいきずなづくりが必要だと感じた。
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