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2011年2月22日 (火)

テロと戦った町

ペルーの経済は非常によい。
ブラジルのあとはペルー、コロンビア、エクアドル・・・。
こういったところが経済をひっぱっていくだろうといわれている。
半面、貧富の差が大きくなっている。

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首都リマの郊外の砂漠にビジャ・エルサルバドルという町がある。
不法占拠から始まったスラムである。

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途中から住民の意思を反映した都市計画が行われるようになり、
1987年、国連により平和の使者の町としてたたえられ、ノーベル平和賞にノミネートされた。
同時にこのころ、センデロ・ルミノソの反政府武装ゲリラが無差別テロを行い、1万4000人が亡くなった。犠牲者は特に、農民が多かった。
農村を崩壊させ、流民化現象を起させ、その流民をテロリストに巻き込もうとした作戦であった。

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しかし、ビジャ・エルサルバドルは抵抗した。
そのために指導者のマリア=エレナ・モヤノは暗殺された。
19年前の2月15日のことだ。

このスラムで、広島や長崎の被爆者と、テロの被害者たちの交流会が行われた。
市役所の職員や議員などが参加した。
熱烈歓迎された。

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ビジャ・エルサルバドルは、今では40万人が住む住民自治の町になった。
貧しいが活気に満ちている。
若者たちは、サーカス団や新しい視点の劇団などを立ち上げている。

ペルーの経済が本格的によくなり、この街の人々にも仕事が与えられるようになれば、この発展は確かなものになるだろう。

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