« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

2011年4月30日 (土)

風ちゃんの授業

諏訪中央病院看護専門学校で、ぼくは看護哲学の授業をしている。
今年も、脳性まひの風(ふう)ちゃんに講師として来てもらった。
「私は体は不自由だけど、自由だ」
なんて哲学的な言葉が出てくる風ちゃん。
「私は体は不自由だけど、幸せ」

ある小学校に講演に行ったとき、校長先生が「不幸にして障害をもった風ちゃんは・・・」と紹介した。
バカヤロウと思ったという。
幸せか、不幸せかは、周りの人が決めるのではなく、自分が決める。

なるほどなと思った。

1104272__

エレクトンを弾くのも、絵をかくのも、達筆な書をしたためるのも、みんな足。
携帯だって、足で操る。

風ちゃんのしぼりだすような言葉は、重く、学生たちの胸を打ったと思う。
幸せとは何かを考えさせてくれた。
自由とは何かも考えさせてくれた。
風ちゃんのおかげで、哲学する姿勢を身につける、いい授業になったと思う。

写真は、看護学生に哲学の授業をする風ちゃん

|

2011年4月29日 (金)

鎌田劇場へようこそ!(73)

「キッズ・オールライト」

こんな家族があるんだと納得し、おもしろく見た。
徹底的に愉快な映画である。

子どもが2人、お母さんが2人。
お父さんはない。
2人のお母さんは、レズビアン。
同一の男性からの精子提供を受け、男の子と女の子が生まれた。

Photo

監督自身も精子提供を受けて、子どもを出産している。
なんとなく、微妙な感覚がわかるのだろう。
めちゃくちゃおもしろいなかに、ペーソスが組み込まれている。

この4人の家庭に、突然、精子提供した男性が紛れ込んでくる。
一人のお母さんが恋に落ちそうになる。
ぼくなんは、やっぱり男と女のほうがいいよなと思うのだが、そうはいかない。

Photo_2

自由に生きていた男性は、年ともにも家族がほしくなる。
4人と仲良くなれそうになるのだが、最後は、「あなたも時間をかけて、自分の家族をつくりなさい」と言われてしまう。
DNAを提供しただけでは、家族になれないということなんだろう。
血の問題以上に、時間をかけて、うれしさや楽しさ、悲しさを共有することが大事なのだ。
長女が大学に行くラストシーンは圧巻である。

家族はいろんな形があっていいし、家族っていいなと思わせてくれる、おもしろい映画だ。

                    ◇

今日からGW。
自粛ムードを打ち破ろう。
映画を見たり、旅行したり、買い物したり。
東北を支援するためにも、日本の経済を回転させたいものだ。

|

2011年4月28日 (木)

CFW

以前もちょっと書いたが、キャッシュ・フォー・ワークに挑戦しようと検討している。

救援活動として、まずはあたたかい食べ物、そして、あたたかいお風呂を提供してきた。震災初期では、命を救い、たいへんなストレスを受けている方々の健康状態を整えていくことが重要になる。
その次は、洗濯ができるようにするなど、きめ細かい視点で生活を支えていくことが求められる。

もう一つ大事なのは、雇用である。
被災した人たちが元気になっていく一つのきっかけは、仕事だと思う。
「働きたい」という人はとても多い。

Photo_3

いままでは、被災地にボランティアを送ることぱかり考えてきた。
しかし、被災した人たちが仕事を持つことができれば、避難所から出て行く人も多くなっていく。
将来の見通しもつき、希望をもつこともできる。
仕事というのは、大事な局面なのだ。

被災者雇用創出事業「キャッシュ・フォー・ワーク」(CFW)。
JIM-NETの千人風呂プロジェクトの「希望の湯」では、大型のボイラーを使っている。
被災した人のなかで、ボイラーマンの経験がある人に、低額の報酬ではあるが、仕事としてかかわってもらえないかと検討を始めた。

石巻の造船会社は、津波で流され、当面仕事がないという。
ボイラーのことも熟知しているというので、さっそく話し合いを始めている。

あたたかいお風呂はたいへん喜ばれているが、長期になりはじめ、新たな支援のあり方の検討が必要になっていると思う。
CFW、大事な視点だと思う。

写真は、湊小学校に設営した「希望の湯」の女湯。安全性を考え、あえて人通りの多いところに設置。二重のテントをはり、中の様子がわからないように配慮している

|

お花見

諏訪中央病院の緩和ケア病棟の患者さんたちが、お花見をした。
この日はあいにく、厚い雲。

1104271__

1104273__

がんの末期の患者さんのなかには動けない人たちもいる。
移動の業者に来てもらうほか、研修医6~7人、ホスピスボランティアに協力してもらった。
踊りをやっている町のおばさんたちまで応援にかけつけてくれた。

東北の人たちも、
緩和ケア病棟の人たちも
必死に、一日一日生きている。

|

2011年4月27日 (水)

たくさんの善意

多くの人たちから善意が寄せられている。
たいへん感謝しています。

杉並区の和田中学校はぼくの母校。
世の中科で、東日本大震災の勉強をした後、募金活動をし、募金16万円を高田馬場にあるJIM-NET事務局に届けてくれた。
関係者の方々に深く感謝します。
母校にいっぱい借りができた。
これから母校のために尽くさないといけないと思う。

「大沢悠里のゆうゆうワイド」に出演したとき、大沢悠里さんから、視聴者の方からです、とお金を渡された。
その方はゆうゆうワイドのファンで、年金の1回分と、番組コーナー「おんなのレポート」に採用された謝礼金2回分を、鎌田が行っている支援活動に使ってほしいと、大沢さんに託したそうだ。
おそらく彼女にとって宝物のお金、ありがたく使わせていただくことをお礼状に書いてお送りした。

044

イラクでも、日本を応援するチャリティーコンサートがあり、イラク大統領や日本の大使からもメッセージをいただいた。
日本から応援を受けていたイラクが、日本の困難なときに応援してくれる。とても大事なことだと思う。
この様子が、信濃毎日新聞に掲載されている=写真(クリックすると拡大します)。

バグダッドにいる佐藤事務局長は、一昨日、昨日とイラクの2つの病院を視察したとのこと。
テロが心配されるが、町中のあちこちでパトロールが行われ、比較的落ち着いている印象だという。

先日の台湾で開いた「鎌田實チャリティー講演会」でも、約21万円の寄付が集まった。

みんなが日本を応援してくれている。

たくさんの方の応援のおかげで、千人風呂プロジェクトや石巻河北地区の地域ケアなど、手探りではじめた支援活動も軌道にのりはじめている。
土俵際で日本がふんばれるように、これらのお金を有効に使っていきたいと思う。

|

2011年4月26日 (火)

小回りの利く支援を

四国から応援に入ってくれた桜診療所の吉田先生から、石巻市医師会の訪問看護ステーションの車が流されて動けない状態になっているという連絡が入った。
せっかく訪問看護師がいるのに、足がない。

JIM-NETの理事会で承認がとれれば、募金の中から中古の軽自動車を一台寄付したいなと思い、前向きに検討中している。
石巻の河北地区で、医療、看護、介護、生活支援という重層的な支援を展開しているが、地元の訪問看護師が動けるようになれば、とてもいいパートナーになる。

JIM-NETは赤十字のように巨額のお金は集められないが、Uボートのように、本当に必要なところに必要なものをいち早く届けるという小回りが利くこと。
これが、JIM-NETの真骨頂だと自負している。

今後ともJIM-NETの応援をよろしくお願いいたします。

|

鎌田流の悼み方

「自粛」なんてやってられない。
そんなことをしていたら、世界から置き去りにされる。

東北支援のために走り回って、心は疲れている。
でも、立ち止まってなんていられない。

Img_3655

2週間、休む間もなく動き回ってきた。
風邪でゼコゼコしながら、南三陸町、女川町、石巻市、飯館村、伊達市、気仙沼市、気仙沼大島と走り回り、被害の大きさと広さに、言葉を失った。

医者だから、現場に行けば何かができる。
同時にカマタが動くことで、なにかが動き出すこともある。
そう信じて、たくさんの亡くなった方や傷ついた方を思いながら、少しでも公共への貢献ができないだろうかと考えている。

自分の足で歩き、こんなことがあるのかと思うくらい、ひどい状況と、その範囲の広さを実感する。
本当にひどい。
しかし、だからこそ、やれることを一つひとつやるしかない。

本当は黙して、死や自然をおそれて、祈り続けていたい。
そう思いながら、立ち止まれない。
これが、ぼく流の「悼み方」だと思っている。

写真は、気仙沼大島の避難所で、島の人たちと

|

2011年4月25日 (月)

4/29「いのちの対話」放送

29日放送の「鎌田實 いのちの対話」(NHKラジオ第一、午前9.05~)は、「いのちの絵本」をテーマにお送りする。
今回は、長崎県島原市から公開放送。
ゲストに、絵本作家の長谷川義史さん、画家の中島潔さん、作家の落合恵子さんをお迎えし、命と絵本の話をする。
11時くらいから、ぼくの絵本『雪とパイナップル』を元にした書き下ろしの詩を朗読する。

今週の「ニュースエブリィ」(日本テレビ系、午後4.53~)は、27日水曜日に出演。
久しぶりに小山慶一郎君と会えるので楽しみである。
おそらく、カマタのがんばらないコーナーでは、映像をまじえながら、南三陸を訪ねた話をすると思う。

28日は、「あさイチ」(NHK総合、午前8.15~)に出演する。

ぜひ、ご視聴ください。

|

2011年4月24日 (日)

インフルエンザに注意

国立感染症研究所の発表によると、インフルエンザ患者が4週間ぶりに増加したという。
発生数が多いのは、石川、長野、宮崎など。
東北では一医療機関あたりの発生人数が、青森で8.44、岩手で2.18と比較的高い。

今まで東北にいた。
雨が降り、気温が低い。
気仙沼大島の避難所を歩いたが、体育館のなかはけっこう寒かった。
しかも集団生活。

インフルエンザはあたたかくなれば、激減する。
この2~3週間を注意してなんとか乗り切りたいものだ。

東北の避難所にインフルエンザが広がらないように、対策を徹底したい。
十分な水分はないかもしれないが、ペットボトルの水やお茶などで、一日何回かうがいすることをおすすめしたい。

東京、神奈川でははしかが流行。東北に流行しないよう祈る。

|

大島への船の上で

気仙沼から大島へ渡る船に乗った。
「鎌田先生ですか」と、船長から声をかけられた。
ぼくの新聞の切り抜きを、ためてきたという。
そのスクラップも、津波で家ごともっていかれたという。

1104234__

菅原さんというその船長は、3月11日の地震直後、津波が来ることがわかり、船を外洋に出そうとした。
津波は、大波というより、山のようなうねりになって向かってきた。
負けまいとして、その山に真正面から突き進んでいく。
今までに経験したことがない大きなうねり。
それは、何度もやってきた。

津波は、ものすごい速さだった。
船の後ろを振り返ると、粉々になったガレキがいっぱい。
津波の速さに負けて波に飲まれないように、前に進むしかない。
津波の向こう側に抜けるしかないと、船長は思ったという。

ようやく外洋に出ることができた後は、船をなんとか操りながら、いつ大島へ帰れるか、状況をうかがっていた。
翌朝、大島に着岸しようと近づくと、まるで世界が違っていた。
港は壊れ、大きなフェリーが陸に上げられ、家は流されていた。
津波が島を壊してしまった。
火事も出て、森も焼けてしまった。

船長は命がけで守った船を島民のために使うことを決意し、気仙沼と大島を往復するようになった。
みんなが燃料代を出してくれた。
船を利用するときには、被災した人からはお金は取らない。
ぼくたちは300円。そのお金だって、全部、被災した大島の人たちところに行くという。

すごい人だ。
みんな、あたたかい。

|

諏訪ナンバー

気仙沼の被害の状況を見た。
大きな船が陸にあげられている。
横倒しになっている船もある。
町も、根こそぎさらわれてしまったような状況だ。

1104231__

気仙沼大島に渡ろうと、船を待っていると、諏訪ナンバーの自動車が着いた。
トラックに荷物がいっぱい。信州の野菜やお酒などが積まれている。

トラックから出てきた人を見て驚いた。
おっ、どこかで見た顔のおじさんだ。
そう、原村診療所で、ぼくが2~3週前に薬を処方した、山小屋のオーナーだった。

山仲間から頼まれて、昨夜9時に諏訪を出てきたという。
12時間かかって気仙沼に着いた。
おじさんは68歳。ひとりで運転してきたという。なかなかやるもんだ。

諏訪の人とこんなところで会うとは思わなかった。
うれしくなった。

みんなが東北を応援している。

|

千人風呂プロジェクト~広がる輪

妻に、寝言をいっているといわれた。
千人風呂プロジェクトのことを言っていたという。
今まで、寝言なんていわないほうだと思っていたのに、よほど気になっているのではないか、といわれた。
たしかに、そうかもしれない。

石巻市の湊小学校に設置した「希望の湯」は連日大好評。
日に約150人が利用してくれている。

11040224__

このブログを見て、北海道から応援に来てくれた男性や、四国からボランティアに来てくれた女性もいる。
東北大学から2人の男子学生が来ているが、女性のボランティアも必要ということで、女子学生にも声をかけてくれた。
どんどんボランティアの輪が広がる。

Img_3593

十日町市のグリーンエナジーは、このお風呂を全面的に応援してくれているが、交代で常時2人、ボイラーの管理をしてくれている。
社長とも毎日情報交換している。
社長によると、釜石でもお風呂をやってほしいという声が出ているので検討中だそうだ。

永厳寺の「不動の湯」のクマさんチームも、本願寺系の若い僧侶の応援やピースボートのボランティアのおかげで、うまくいっている。
住民たちも、交代で自分たちのお湯を守ろうと、応援してくれている。

ピースボートが温泉を給湯してくれるというので、そのときは、みんなでイベントをしようと盛り上がっている。

Img_3587

「不動の湯」の近くで、石原軍団の炊き出しが行われた。
集まる人は、石原軍団を見に、身奇麗にしていく。
「不動の湯」の利用者たちは、長靴で泥だらけ。自分の家の泥をかくので精一杯。
なかなか炊き出しにも行けないという。

先日、「不動の湯」を訪ねると、このお風呂がどんなにありがたいか、こそばゆいほど感謝された。
一緒に入りませんかと誘われて、ぼくもついに「不動の湯」に入ってしまった。

Img_3581

体がぽかぽかとあたたまる。
循環風呂なので、湯もきれいだ。
たくさんの応援もある。
やってよかったなと思った。

もう寝言で心配しなくてもいいかもれない。

|

2011年4月23日 (土)

原村へ、一時休暇に

南三陸町では、日本社会福祉士会が開く福祉相談、介護相談のコーナーが設けられていた。
全国から来た社会福祉士が常時4人、交代で相談に応じている。

ぼくが会った人は、新潟から来たという。
被災地を歩いていて、「新潟から(支援に)来た」という人によく会う。
新潟は、新潟中越地震、新潟中越沖地震と被災経験があるので、被災した人の力になりたいという思いがあるのかもしれない。

1104232__

茅野市の林先生から頼まれていたことを、宮城県災害医療コーディネーターで、南三陸町医療統括本部の責任者である西澤先生や地域包括支援センターの西木部さんに伝えた。

長野県の原村では、被災した人を受け入れる準備があるということだ。
長期的な移住はもちろん、短期的なリフレッシュ休暇としても利用してもらいたい。

南三陸町にかぎらず、被災地の役場の職員たちは、自らも被災者であるのにもかかわらず、町民のためにほとんど休みなく働いている。
震災から1ヶ月半たち、体力的にも精神的にも、限界に達していると思う。
これからも町のために働いてもらうには、一週間ほど休暇をとって、心身をリフレッシュしてもらうことが必要なのではないか。
そのときのリフレッシュ休暇に、原村を利用してもらいたい。

西澤先生は、とてもいい話だと喜んでくれた。
実際は、休暇をとる余裕はなさそうだが、原村はいつでもあたたかく歓迎するという。

写真は、気仙沼の漁港に打ち上げられたマグロ漁船。

|

南三陸町、非常事態から軟着陸

昨日、朝5時半に起きて、羽田から仙台に飛び、宮城県南三陸町に入った。
南三陸町では、諏訪中央病院の兄弟病院であるリバーサイドクリニックの前原先生と、茅野市で開業している林先生がボランティアをしている。

今回、ぼくが訪ねたのは、宮城県災害医療コーディネーターで、南三陸町医療統括本部の責任者の西澤先生にお会いすることが目的だった。
被災地域では、ゴールデンウィーク以降、医療支援グループが撤退するといううわさがある。
南三陸では、どんな医療態勢を整えているのか聞きたいと思ったのだ。

1104233__

現在は、45箇所の避難所に対し、15グループが分担して巡回診療をしている。
4月末まではこの態勢でいき、5月13日くらいまでに縮小していく。
14日からは、仮設診療所を中心に、非常事態から平常の運営に軟着陸させる予定だと、西澤先生は言う。

南三陸町では、震災以前、公立志津川病院の医師は5人、開業医が数人いた。
非常事態の現在は約40人の医師がいる。
14日からは医師5人態勢でやっていくとのことだ。

公立志津川病院は、4階までが津波が押し寄せ、使うことができない=写真。
イスラエルの仮設診療所を受け取り、そのまま公立志津川病院仮設診療所として使用していくという。

震災以前に比べて、行政や保健師、介護、生活支援との連携が密になったので、いい地域医療が展開できるのではないかと西澤先生は言う。
ただし、日常的な医療体勢ができるまでは応援は必要。数人の医師に依頼しているという。

震災でたいへんな被害を受けたが、これを機につくりあげていく地域医療を、この町の武器にしたいと意気込んでいる。

|

2011年4月22日 (金)

動画:南相馬市長と対話

2011年3月26日。鎌田實が南相馬市の被災地を訪ねたときの様子。街は壊滅的な被害。その中で、不眠不休で市民のために力走する南相馬桜井市長と、今後の支援体制など­について話し合った。

|

次は、東北へ行こう!

病や障害をもっていても、旅することができる。
旅の感動や高揚感に背中を押されて、いつの間にか元気になっている。
自信もわいてくる。

鎌田實と旅に行こうと呼びかけて、毎年、春と秋、バリアフリーツアーを企画してきた。
今年の台湾は、親日的な台湾の人たちに歓迎され、とてもいい旅となった。
震災直後は、迷ったが、自粛ムードを打ち破る意味でも、決行してよかったと思う。

Img_3323

いま次の秋のツアーを計画している。
「鎌田實と東北へ行こう!」
東北へ行き、地元のおいしいものを食べたり、地元のものを買ったりすることで、東北を応援したい。
病や障害をもつ人たちと、できたら200人くらいで行きたい。
予定は、9月27~29日の2泊3日。
東北のどこになるか、具体的な場所はいま考えている最中だ。
具体的なことが決まり次第、ご紹介したいと思う。

たくさんの人が参加してくれたらうれしい。
東北を応援することになるし、日本の経済を活気付けることにもなる。

みんながあたたかい連鎖を起こすとき。
閉じこもらず、元気を出そう。

写真は、ドリームフェスティバルin台湾のツアーの様子

|

いい旅、台湾

台湾を旅して、日本人がどんなに愛されているかがわかった。

東日本大震災の被災者のために集められた募金は140億円。
それは今も続いている。
5月下旬には、台湾から日本の被災地を訪ねて、募金を届けてくれるということだ。

日本人も自粛ムードに流されないで、もっと台湾に訪ねてほしい。
そして、台湾からも日本に来てほしい。

Img_3379

Img_3388

Img_3431

ツアーの参加者が、台湾の人が日本の人に並々ならぬシンパサイズをしている、日本はそのことに気がついていないのではないか、と言っていた。
イラクでも、日本を応援するチャリティーコンサートをやろうという話が出ている。
日本は、世界から応援されていることを実感した旅だった。

                   ◇

20日にシェラトン台北で行われた鎌田實のチャリティー講演会では、約21万円の募金をいただいきました。

この募金は、JIM-NETを通して、千人風呂プロジェクトや石巻市河北地区の地域ケアのために使わせていただきます。
河北地区では、医療、看護、介護、生活支援という多重的なサポートを展開しています。

Img_3438

台湾の方々の思いを、大切に、東北に届けたいと思っています。
ありがとうございました。

|

2011年4月21日 (木)

河北地区、連休明けの心配

2日間ほど、風邪様の症状がひどく、体を動かすのがつらかったが、だいぶよくなった。
年齢を感じてしまう。

今日、鎌田は東京に戻る。
夕方からは日本テレビ系のニュースエブリィに出演する。
その後、すぐに宮城から岩手の南側を訪ねようと思っている。

石巻市の河北地区で地域ケアを展開している川添看護師から連絡が入った。
地元の保健師さんから、2地区の非指定避難所の健診もお願いされたという。

現在、河北地区では、カナダから来ている米田先生や、四国の吉田先生のグループ、プライマリケア学会などが連携。巡回診療が入っていない医療の空白地帯を無くそうとネットワークをはり、治療の必要な人がいれば、治療を開始したり、地域の開業医につなげるなどして、地域ケアを展開している。

大型連休明けには、各地から来ている救援チームが撤退するのではないかという心配があるが、何とか、今のメンバーと連携しながらしのいでいけそうだという。
もし、応援が必要になれば、諏訪中央病院の浜口院長から、長野県の国保の病院と相談して、応援を出せるかもしれないという心強い言葉をもらっている。

人手が足りていそうで、足りていない。
なんとも微妙だが、JIM-NETではほかのグループとうまく連携をとりながら、無理せず、着実に地域ケアを展開していきたいと思う。

今後も応援をお願いいたします。

|

2011年4月20日 (水)

千人風呂プロジェクト~雨の中でも多数の利用者

19日の千人風呂プロジェクトの報告が入った。
あいにく石巻は土砂降りの空模様。
そんななか、午後4時から8時まで、「希望の湯」には88人が入りにきてくれたようだ。
お年寄りの姿も多かった。

Photo

「希望の湯」は開湯まもないが、シャワーの水が足りなくなるという問題が生じている。
上水道が壊れているため、水をどう供給するか、大きな問題だ。
上下水道が壊れると、どんなに生活にダメージを与えるか、実感している。

東北大学と大学院の学生が、大学が被災して休校になっているため、「希望の湯」にボランティアで来てくれている。
理工系の学生のため、ボイラーに興味をもってくれているとか。
たいへん心強い応援団だ。

永厳寺の「不動の湯」にも雨の中、50人の利用者があったそうだ。
たいへん順調にいっている。

どちらの湯も雨が上がれば、利用者はもっと増えると予想される。
たくさんの人の協力のお陰で、千人風呂プロジェクトは着々と進んでいる。

写真は、「希望の湯」の薪ボイラー

|

花博や夜市を観光

バリアフリーツアー「ドリームフェスティバルin台湾」には、障害をもつ人たち38人が参加。
トラベルサポーターの応援を得て、花博や故宮を観光したり、夜市の屋台のラーメンを食べたり、アクティブな一日を過ごした。

Img_3362

詩人の今井君はもうすぐ詩集を出そうというとき、誤嚥性肺炎になった。
昨年秋から入院していたが、この旅に参加することを目標にして、必死によくなった。
お母さんと妹さんがサポートについている。

肺炎の間、筋力が低下し、トーキングボードも触れなくなった。
トーキングボードは詩を書くときの大事なキーボード。
今井君のなかには、すばらしい世界があることをぼくは知っているが、そのすばらしい感性を表現する方法が失われている。
ぼくと会話するときも、はい、いいえ、と指でサインを出していたが、それもできなくなった。
この旅をきっかけにして、今井君が元気になることを願っている。
彼が詩集を出すときには、ぼくは応援したいと思っている。

91歳のおばあちゃんが、車椅子で参加してくれた。
女学校のころ台湾で生活していたということだ。
七十数年ぶりの訪問だという。

町のなかを、ぼくたち車椅子の一行が通ると、台湾の人はあまり見かけない光景なのか、ちょっと驚いた様子をみせる。
でも、あたたかいまなざしを向けてくれている。

写真は、台湾の古い市場

|

台湾は元気であったか

ぼくにとって台湾は7年ぶり4回目。
もともと親日的なので、いつ来ても気持ちがいい。

それに元気だ。
東日本大震災の義援金も140億円も集まったという。
お金持ちがドンと出したというのではなく、国民一人ひとりの心からの支援で集まったお金である。ありがたいことである。

Img_3303

台湾を訪れる観光客は年間800万人。
一昨年まで日本人が100万人と一位だったが、昨年からは中国人に抜かれたという。
旅行関係者もホテルの関係者も、日本人を歓迎したいと言っていたが、その背景には、中国との複雑な関係が感じられる。

シェラトン台北に泊まっている。
バリアフリーがしっかりしているが、今回のぼくたちのツアーのために、手すりを設置するなど配慮してくれた。
この高級ホテルが人であふれている。
内需も大きいという。

いま日本は縮こまっていて、内需を拡大できないでいる。
旅行会社もホテルも映画館もみんな困っている。
自分の国を救うためには、輸出だけでは生きていけない。

アジアはとても元気。いずれ日本は抜かれていく可能性だってある。
強くて、あたたかくて、やさしい国になるには、内需の拡大が大事。
外国の風評被害をなくし、部品の調達をする。そして秋から輸出の反転攻撃をかければいい。

いま必要なのは内需の拡大である。みんなでお金を使おう。
それが東北を救うことになり、新しい日本をつくることになる。

写真は、故宮を訪ねるツアー一行

|

2011年4月19日 (火)

ドリームフェスティバルin台湾

Img_3273

今回のツアー参加者と記念写真。
38人の参加者のなかには、重症の方もいる。

詩人の今井君は、誤嚥性肺炎のため指の力が弱くなり、トーキングボードをさわることが難しくなり、詩が書けなくなった。
それでも、カマタと一緒に旅に行きたいとお母さんにねだり、ツアーに参加している。

Img_3276

みんないろんな事情をもちながら、命がけで生きている。
東北の人たちも命がけ。
がんや障害をもつ人たちも命がけ。

|

2011年4月18日 (月)

千人風呂プロジェクト~雇用のチャンス?

本日の「希望の湯」はシャワーの故障の修理と、お風呂の廃水をどう流すかで苦労している。
1トン以内の廃水ならば、ハセヤンが作ってくれたポンプで湊小学校の屋上にくみ上げ、トイレの水として使うという、一石二鳥のプランも実現できるかもしれない。
だが、1トン以上だと難しい。
入浴の希望者が増えたとき、それに対応できない心配がでてきた。

Photo

東北大学の学生がしばらくの間、2人ずつ交代で応援で入ってくれることになった。
神宮寺の高橋卓志さんも、明日、石巻市に入る。

JIM-NETの佐藤事務局長が1週間ほど東北を離れることになった。
イラクのアルビルに常駐する新しいスタッフが入ったので、連携している方たちに紹介するためにイラクへ飛ぶことになった。
その間、JIM-NETの一員である西村さんが急遽、アラブから帰国し、「希望の湯」の担当になってくれた。

西村さんを中心に、新しいプランを検討しはじめている。
千人風呂プロジェクトを運営していくために、仕事として、避難所にいる人たちを雇用できないか、ということだ。
たくさんのボランティアが支援するスタイルも大事だが、被災した人たちに雇用のチャンスが広がることも大事だと思う。
避難所にずっといるよりも、仕事があるほうが精神衛生はよいのではないか。
そんな議論をはじめたところだ。

多様な取り組みをしながら、千人風呂プロジェクトを進めていきたいと思う。

写真は、16日の火入れ式の様子。「希望の湯」開湯のためスタッフはほとんど徹夜の作業。
ボイラーに薪がくべられると、教室の窓から拍手がわきおこった。

|

悲しい報告

こうちゃんのお母さんから、電話が入った。
緑のトレーナーを来た3歳くらいの男の子が見つかった、これから確認に行ってきます、という。

しばらくして再び電話があった。
こうちゃんだった、という。
お母さんは、悲しい、悲しい、悲しい、と繰り返した。

だけど、ちょっとだけほっとしたという。
海に流されてしまったら、かわいそうだとずっと思っていた。

昨日の朝、再び、電話が来た。
眠れたという。
小学校4年生のこうちゃんのお姉ちゃんのためにも、必死で生きていくしかない、という。

「鎌田先生がどんな人か知らなかった。探してあげるよと言われたけれど、どんな方法かわからなかった。友だちや近所の人が、ラジオで鎌田先生が呼びかけているのを聞いたと聞かされ、約束を守ってくれているのだとうれしくなった。そうやって探してくれる人たちがいたから、こうちゃんと再会できました」

こうちゃんは、渡波地区で見つかった。
何度も探したはずなのに、見つからなかった。
そのたびに、いつも左肩が痛んだ。
こうちゃんが見つかってからは、なぜか左肩は痛まなくなった。
こうちゃんが、ぼくはここにいるよ、と言っていたのかもしれない。

ブログをご覧の皆さま、こうちゃんのこと、探してくれてありがとうございます。
悲しい結果になりましたが、お母さんはもう一度、こうちゃんに会えました。

地震や津波が憎らしい。
それでも、立ち上がって、生きていくしかない。
今後も応援をしていくつもりです。
どうもありがとうございました。

|

2011年4月17日 (日)

避難所のおでんパーティー2

2011年3月25日。南相馬市の避難所で、温かいおでんとトン汁、それからほんの少しのビールがふるまわれた。避難所の方々に、ほんのひととき、喜んで頂くことができた。

|

2011年4月16日 (土)

千人風呂プロジェクト~本日、希望の湯オープン

今日は、石巻市の湊小学校の「希望の湯」がオープンする。
岡谷市の人が、炊き出しで500人分のうどんを用意してくれている。

Dscn3788

お年寄りや障害のある人も入れるように、介護福祉士やヘルパーがついて介助できるような準備もはじまっている。

渡波小学校の避難所から涌谷町の温泉に行く‘バスツアー’は、5回実施され、たいへん好評であった。
来週も続けていく予定だ。
もちろん、永厳寺の「不動の湯」も絶好調。

千人風呂プロジェクトは、少しずつだが、前に進んでいる。

写真は、永厳寺にできた「不動の湯」

|

2011年4月15日 (金)

在宅ケアの復旧を急げ

4/15付の毎日新聞によると、岩手県沿岸部にある市町村で、少なくとも30ヶ所の介護事業所が全壊、宮城県では291事業所が被害を受けているという。
やはり、在宅介護が大きく傷ついていることがわかってきた。

JIM-NETでは、石巻市の河北地区に入り、在宅ケアをすすめている。
川添看護師のコーディネートで、介護を必要とする高齢者が、震災から一ヶ月はじめてお風呂に入った。
在宅ケアが入れなかったために、じょくそうが悪化した人が3人いる。
訪問介護をなどを行う介護事業所が崩壊したために、ケアを受けられていない高齢者や障害者はもっといるかもしれない。
そういう人を見過ごさないように、スタッフは懸命に努力している。

河北地区の南部にある針岡地区は、道路が寸断されて石巻からは入れなかった。
他の地域からの支援の手が少し入っていたようだが、今回、道路が開通し、石巻側からはじめて入れる。
まず針岡地区にローラー作戦を行い、ケアの必要な高齢者や障害者の情報を集めていきたいと思う。

|

千人風呂プロジェクト~いよいよ「希望の湯」開湯

4/16の「希望の湯」開湯を目指して、湊小学校にお風呂の工事が進んでいる。
巨大なお風呂だ。

Dscn3774

16日には、ほかのボランティアグループが炊き出しをしてくれるという。
あたたかい食べ物と、あたたかいお風呂。

たくさんの人が喜んでくれるといいなあ。

写真は、永厳寺に設置した「不動の湯」。一足先に開湯し、多くの人に喜ばれている。

|

2011年4月14日 (木)

台湾でチャリティー講演会

バリアフリーツアー「ドリームフェスティバル イン台湾」の出発が、いよいよ近づいている。
ツアー参加者は44人。
みんなは17日に出発するが、ぼくは福島で仕事をし、一日遅れで合流する。

台湾では、日本からの観光客が激減して困っているという。
日本も、海外からの観光客も減っている。
京都などを訪ねる客も、かなり減り、日本の観光業は大打撃を受けている。

こうした自粛ムードを打ち破りたいと思い、ぼくはたちは迷ったが台湾を旅行することにした。
台湾は親日的。
東日本大震災のことを心配し、応援してくれる人も多い。

20日夜開催する鎌田のチャリティー講演会にも声をかけあってくれているようだ。
李登輝さんに会えるか、メッセージをもらえるか、交渉してくれる人も現れた。
こうしう時期に、李登輝さんのあたたかなメッセージをもらえれば、日本も勇気付けられるのではないかと思う。

チャリティー講演会は、20日午後5時~6時半まで、シェラトン台北で開催する。
その後、7時からさよならパーティーを開く。

講演会では、大震災や原発事故の話、旅の話、そして困難のなかにいる人を救うための経済の話をしようと思っている。

ばりばり働き、ばりばり旅をしよう。

|

2011年4月13日 (水)

あたたかな応援

ぼくは、杉並区立和田中学校の出身。
昔の同級生からFAXをもらった。
23日、和田中で全校世の中科の勉強会があり、震災について学んだ後、被災した方々を応援する活動をするという。
鎌田が活動するNPOにも募金してくれるという。

涙が出るほど、うれしい。
みんな、あたたかい。

あたたかさの連鎖を、東北まで届けたい。

                  ◇

3.11以来、日本は大きく変わってしまった。
特に原発事故は、ぼくたちの命や生活、生き方の哲学まで、根幹をゆるがす危機をもたらしている。
「原発事故」と題して、緊急記事を連日、頻回にアップしてきた。
だが、東北を支え、新しい日本をつくっていくには、もっと広い視野で考えていく必要がある。

たとえば、日本の経済。
「自粛」ムードに流されず、映画をみたり、旅行にいったり、おいしいものを食べたりすることで、経済は回転する。
ばりばり働き、ばりばり遊ぶ。
それが、東北の復興を助けることにもなり、さらには新しい日本をつくる足ががりになる、とぼくは思う。

あの日から1ヶ月が過ぎた。
今後は「原発事故」も追い続けながら、時事ネタや健康情報、映画や本の紹介、旅先で出合ったB級グルメなど、通常の話題にも少しずつ目を向けていきたいと思う。
当たり前の生活のありがたさを実感した今だからこそ、当たり前の生活の話題を届けたいと思っている。

いつもご愛読、感謝します。

|

3歳の子を探しています

元気に帰ってきてください
早く会って、だきしめたいです
おかし、たくさん食べさせたいです
愛しています
生きていること、信じています

 こうちゃんへ、ママより

宮城県女川町で、あるお母さんから一枚のメモを託されました。
お母さんは、たくさんの人に手書きのメモを渡し、3歳の息子を必死に探しています。
「鎌田先生もメモを受け取ってください。息子を探してください」と強く頼まれました。

遠藤康生(えんどう こうせい)君。3歳。
石巻市渡波町に住んでいました。
3月11日、緑色のトレーナーを着ていました。
髪型は、少し伸びた坊主頭。
ろうと胸(胸がへっこんでいる)という特徴があります。

042

どこかの避難所で、元気でいることを祈っています。
お心当たりの方は、JIM-NETまでメールでご一報ください。
こちらからあらためてご連絡させていただきます。

お母さんは、現在、女川町のご実家に身を寄せています。
こうせい君には小学校4年のお姉ちゃんがいます。
洋服とお菓子を送ったのですが、届きませんでした。
こんな状態なので、電話も通じません。
応援したい気持ちが空回りしていましたが、本日ようやくお母さんと連絡がとれ、ぜひ、このブログで呼びかけてほしいと頼まれました。

よろしくお願いいたします。

|

2011年4月12日 (火)

看護師になる夢を応援します

諏訪中央病院看護専門学校では、東日本大震災で被災した方2人を特別に受け入れることにした。

他の看護学校に合格し、この4月から入学予定だったが、学校が被災し休校するなど学ぶことができなくなった方が対象。
その学校で合格していれば、諏訪中央病院看護専門学校では面接のみで、筆記試験は行わない。

今年度の新入生として4月から学んでもらい、3年間勉強して国家試験に合格すると、正看護師になることができる。
卒業後は、諏訪中央病院に勤務する必要はない。
自由に勤務先を選ぶことができる。もちろん、東北に帰って働くことも可能だ。

看護師になりたいという人の夢を、諏訪中央病院看護専門学校は応援します。
興味がある方は、ぜひ、お問い合わせください。

http://www.lcv.ne.jp/~skango/

|

避難所でのおでんパーティー

2011年3月25日。南相馬市の避難所で、はじめての温かい食事。おでんとトン汁がふるまわれた。避難所の方々に、ほんのひととき、喜んで頂くことができた。

|

2011年4月10日 (日)

南相馬市 避難所の様子

2011年3月25日。南相馬市の避難所の様子。83名が中学校の体育館で避難生活をしている。JCFの神谷事務局長らは21日より南相馬に入って医療支援活動を開始。第二陣として鎌田も南相馬に支援に訪れた。

|

2011年4月 7日 (木)

南相馬市原町地区

福島第一原発から30キロ圏内にある南相馬市原町地区。 2011年3月25日、鎌田が視察。すべてが流された惨状を目の当たりにして、言葉を失う。

|

2011年4月 4日 (月)

宮城県女川 被災地

2011年3月30日。 宮城県災害医療コーディネーターの石井先生に石巻の避難所を案内された後、夕方、鎌田は女川地区へ向かった。そこには想像を絶する光景があった。

|

2011年4月 3日 (日)

南相馬市立総合病院

3/25 早朝諏訪中央病院を出発し、9時間かけて、福島第一原発半径30キロ圏内にある南相馬市立総合病院へ。

|

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »