大島への船の上で
気仙沼から大島へ渡る船に乗った。
「鎌田先生ですか」と、船長から声をかけられた。
ぼくの新聞の切り抜きを、ためてきたという。
そのスクラップも、津波で家ごともっていかれたという。
菅原さんというその船長は、3月11日の地震直後、津波が来ることがわかり、船を外洋に出そうとした。
津波は、大波というより、山のようなうねりになって向かってきた。
負けまいとして、その山に真正面から突き進んでいく。
今までに経験したことがない大きなうねり。
それは、何度もやってきた。
津波は、ものすごい速さだった。
船の後ろを振り返ると、粉々になったガレキがいっぱい。
津波の速さに負けて波に飲まれないように、前に進むしかない。
津波の向こう側に抜けるしかないと、船長は思ったという。
ようやく外洋に出ることができた後は、船をなんとか操りながら、いつ大島へ帰れるか、状況をうかがっていた。
翌朝、大島に着岸しようと近づくと、まるで世界が違っていた。
港は壊れ、大きなフェリーが陸に上げられ、家は流されていた。
津波が島を壊してしまった。
火事も出て、森も焼けてしまった。
船長は命がけで守った船を島民のために使うことを決意し、気仙沼と大島を往復するようになった。
みんなが燃料代を出してくれた。
船を利用するときには、被災した人からはお金は取らない。
ぼくたちは300円。そのお金だって、全部、被災した大島の人たちところに行くという。
すごい人だ。
みんな、あたたかい。
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