原発事故317
読売新聞8/14付で「原発マネーに後悔」というのが社会面で大きく出ていた。
1965年ごろ漁業補償として、請戸地区の漁師に約200万円。
1975年ごろには、福島第二原発の建設に伴う補償金として約1000万円、2000年には第一原発の7、8号機の増設にからんで、一人当たり数千万円が配布にされたという。
ぼくが現地を訪ねたときには、確認はとれていないが、一人当たり5000万円という噂を耳にした。
漁師たちはみんな大きな船を買い、家を新築した。原発御殿という。
その家のほとんどが、津波で流された。
家族を亡くした人が「原発に反対した人が正しかった。自分たちは金に目がくらんだ」というようなことを語っている。
この町は、第二次世界大戦末期、米軍の艦載機による機銃掃射を受けた。
「あの戦争だってこんなにひどくなかった」と、請戸の漁師たちは大震災と原発事故のひどさを言う。
6/11、許可を得て20キロゾーンに入った。
請戸の港をまわったが、町が跡形もなくなくなっていた。
しかも、放射能の問題で漁港は再開の見通しがたたない。
お金に目がくらんだのだとしたら、あまりにも代償は大きい。
写真は、原発から20キロ圏内にある請戸地区
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