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2011年9月27日 (火)

原発事故345

ホールボディカウンタの検査も少しずつ行われてきたが、あまりにも検査の開始が遅かった。
1ミリシーベルト以下の微量の放射性セシウムが見つかった人が若干名いるが、健康に影響はなく、経過観察ということになっている。
だが、セシウムの体内被曝が認められたということは、もっと早い段階で検査していれば、放射性ヨウ素(I-131)も見つかった可能性がある。
放射性ヨウ素は、セシウムの10倍は出たと推測されている。
I-131の半減期は8日と短いため、3ヶ月で2000分の1に減る。
放射性ヨウ素が体内被曝で検出されないからといって、問題がないとは言えないのだ。

Img_3210 ベトカの診療所に通院しているおばあちゃん(2010年8月撮影)

このブログで述べてきたとおり、福島原発事故はチェルノブイリに近い大きな被害を出していることはもう間違いがない。
ドイツは原発問題に関して倫理委員会をつくっているという。
そのメンバーには哲学者や宗教者、社会学者が入っているという。

哲学が大事だと思う。
ぼくは看護学校で「看護哲学」を教えているが、看護だって哲学が必要である。
もちろん、最先端の生殖医療や移植医療、遺伝子医療などにも必要である。
原子力も哲学が必要だといつも思ってきた。
『なさけないけどあきらめない』(朝日新聞社)は、ポスト・フクシマを生きる哲学をどう構築するか、考えた本である。

二項対立の○か×かで、○の生き方を探す時代ではなくなった。
○に近い△の生き方を探さざるを得ない状況をぼくたちは生きている。
今後、日本の原子力をどうするか、哲学が問われているように思う。
ドイツのように政府の諮問機関である倫理委員会を設け、原子力の専門家だけでなく哲学者や宗教者、社会学者がエネルギー問題を議論するというのが必要ではないか。

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