希望の湯、閉湯
湊小学校の避難者の多くは仮設住宅に移った。
いぜん70人は残って避難生活を続けるものの、湊小学校の避難所は一つの節目を迎える。
これに伴い、校庭に設営した希望の湯も、本日16日で閉湯となる。
その直前に、利用者が2万人となった。
記念として、鎌田の本『希望 命のメッセージ』『へこたれない』『アハメドくんのいのちのリレー』にサインして、プレゼントした。
希望の湯利用者2万人を記念して、プレゼントした本
2万人目のおじいちゃんは松浪町からやってきた常連さん。
2万1人目は、川内町のお父さん。
2万2人目は、タオルを巻くお手伝いをしてくれていた湊小学校避難所のおばあちゃん。
このおばあちゃんには被災者でありながら、いろいろな形で応援していただいた。
お祝いの本を喜んでもらえた。
2万3人目は、いつもクールで伏し目がちにバンダイの前を通り過ぎるお兄さん。この日はとてもにこやかだった。
2万4人目は、初めて来たとき、お風呂の縁が高くてまたぐのが怖いといっていた避難所のおばあちゃん。3日目からは慣れたから大丈夫と言い、同じ部屋のおばあちゃんとおしゃべりしながらお風呂に来るようになった。
1万9999人目の方には、イラクのサブリーンの絵がかかれている手ぬぐいをお贈りした。
2万人目の常連のおじいちゃん
2万2人目と2万4人目の利用者さん
たくさんの人たちに愛された希望の湯は、いよいよフィナーレ。
本日16日には閉湯式を行い、みんなに惜しまれながら閉じることになる。
閉湯式には、ご協力いただいた地元や東京、新潟の企業や関係者の方々も出席する。
きょうは最後の湯を楽しみに、150~200人が来るという。
京都の一澤信三郎帆布のご厚意で、本日の利用者みんなにバッグをプレゼントする準備もしている。
ぜひ、ご近所の方も最後の「希望の湯」に入りにきませんか。
◇
みなさん、ありがとう!
希望の湯は、本当にたくさんの方々にお力をお借りした。
十日町市の株式会社グリーンエナジーの小海社長には、どんなガレキでも燃やせる高機能のボイラーを長期間お貸しいただき、上水道や下水道が機能しなかったときから協力し合って、被災者の方々がお風呂に入れるようにしていただいた。
新潟で自らが被災した経験から、お風呂が大切なことを実感し、いち早く大型テントやボイラーなどを石巻に運んでくれた。
被災地に技術を伴った献身的な協力を行った中小企業に対して贈られる賞を受賞されたそうだ。
ボイラーのご協力をいただいた朝田商会、濾過機のご協力をいただいたサイエンス、のぼり旗をつくっていただいたり、いろいろなメンテナンスをしていただいた小西造型。
仙台から来た人は、大型のテントを専門的に設置してくれた。
ボランティアは、北海道から四国まで日本中から集まった。
仕事を休んで参加してくれたサラリーマンも、学生も、被災者みずからもボランティアをしてくれた。
多くの企業からは、ミニ化粧セットなど、物資の寄付もしていただいた。
JIM-NETの一員の「アラブの子どもとなかよくする会」の西村陽子さんは、ヨルダンで活動していたが、大震災のために帰国。
お風呂の横に小屋をつくり、4月からの5ヶ月半ずっと希望の湯を支援してくれていた。
アラブ支援を行っているご主人も、日本に来たときには一緒に、希望の湯をもりたててくれた。閉湯後、西村さんはしばらく後片付けをし、ヨルダンに渡ることになる。
そして、このブログをご覧のみなさんにも、たくさんの応援をいただいた。
今日まで「希望の湯」を続けることができたのは、たくさんの方々のおかげである。
被災してお風呂に入れなかった方たちに、感染症予防と血行改善、そしてなにより、心も体もあたたまるお風呂を提供できたと思う。
心から、深く感謝いたします。
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