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2011年10月

2011年10月31日 (月)

鎌田劇場へようこそ!(89)

「やがて来たる者へ」

ジョルジョ・ディリッティ監督。
史実に基づいている。
1944年、北イタリアの山村でおきたドイツ、ナチス軍による虐殺事件だ。
パルチザン抹殺のためといいながら、子ども、女性、高齢者を虐殺した。

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8歳の女の子の目を通して、戦争の不条理が見事に描かれている。
質素な美しい山間の生活が、戦争によって壊されていく。

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戦争はどんなことがあってもしてはいけないと、この映画をみると思う。

岩波ホールで上映中。

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原発事故360

新規に原子力発電所を立地させるために、自治体にはらう交付金を国は積み立てている。
しばらくの間、原発施設の新規建設のめどが立たないなか、会計検査院の調べでは731億円もの積み立てがあることがわかった。
このうちの657億円は、交付金以外で有効に活用するようにと進言している。

1110234__ 木の葉が落ち、晩秋の風情の諏訪中央病院

このお金を福島県民の健康診断やホールボディカウンタの設置、市町村への食品放射線検査の測定機器の設置に充てるのはどうか。
健康や被曝量の経過をみることができる体制と、身近なところに、庭など露地ものの野菜や果物の放射線量を測定できる機械があれば、家族の健康を守る主婦たちはずいぶん安心できるように思う。
できるだけはやく手を打つべきである。

子どもたち36万人の健診に対しても、2年も待たずに半年から1年できるよう、健診や甲状腺の専門家を集めて、福島のお母さんを安心させてあげることが大事だと思う。

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2011年10月30日 (日)

原発事故359

福島県二本松市で独協医科大学と二本松市が協力して、市民の内部被曝の調査をはじめたという。
福島県内には、ホールボディカウンタが3台しか動いていない。
ベラルーシでは、人口2万人のまちベトカにも置かれて、市民の健康診断に使われていた。
内部被曝の検査が大事なのは、ただ被曝したかどうか知るということではない。
内部被曝をしても、その後、安全な食に切り替えることで、体内の放射性セシウムは尿などから放出されるので、内部被曝量は正常化することがある。
そうした健康の管理のために、検査が大事なのである。

1110184__ 諏訪中央病院の庭の木も、赤く染まっている

放射線は見えないが、数値として「見える」ようにすることはとても意味がある。
福島県でも、人口5万以上のまちではホールボディカウンタをはやく設置し、住民の健診をはじめるべきだと思う。

南相馬市立総合病院には2台のホールボディカウンタがあるが、1万人以上の予約が殺到しており、福島県民全域の検査を担うことはできない。
国と県がお金を出し合って、20台ほど県内で稼動させられるように努力すべきだと思う。

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2011年10月29日 (土)

原発事故358

食品の放射性物質の暫定基準値を早く本格的な基準値にしたほうがいいと述べてきたが、放射性セシウムの許容上限を年間5ミリシーベルトから、年間1ミリシーベルトに引き下げるという。

基準値はできるだけ厳しいほうが、風評被害を防げるように思う。
各国でそれぞれの基準値があるが、国民の信頼を得るには、最も厳しい基準値にあわせるのがいいと思う。
特に、乳幼児の食品に関しては、より厳しい基準値を設け、きちんとした検査体制をしき、市場に出るものはゼロに近いものにすることで、小さい子をもつお母さんの精神的なストレスを減らすことができるのではないか。
測定機械の検出限界に近いくらいの低い基準値にすべきだと思う。

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鎌田写真館~秋の彩り

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岩次郎小屋の周囲の田畑は、すっかり稲刈りが済んだ。

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鮮やかに色づく葉も、朝晩の寒さに縮めている。

                ◇

北陸の方からうれしい手紙が来た。
信州の鮮やかな草花や風景に心か癒されるとのこと。
このブログで、チェルノブイリやパレスチナのことなどもたくさん学ぶことができる、とおほめの言葉をいただいた。
少しでも人のお役に立てていると思うと、ますます気力が満ちてくる。

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2011年10月28日 (金)

お知らせ

明日29日(土)、「土曜朝イチエンタ。堀尾正明プラス」(TBSラジオ、5.30~)に出演する。
ぼくの出演は、6時35分ごろから。
ポスト・フクシマをどう生きるかなどを語る。

写真は、『アハメドくんのいのちのリレー』(集英社)を持つ堀尾さんと。

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朝早いですが、ぜひ、お聞きください。

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原発事故357

東京海洋大のチームの調査で、いわき市沿岸のプランクトンに1キロあたり669ベクレルのセシウムが検出されたという。
沿岸部では高い数値だが、沖合い10キロになると6ベクレルと低くなる。

1110184__葉を赤く染める諏訪中央病院の庭

沿岸部のプランクトンが汚れているということは、プランクトンを食べる魚も汚れてくるはずである。
福島県鹿島沖のイシガレイが、9/7の公表で1030ベクレル、スズキが670ベクレルだった。
原町沖のヒラメが9/14、1060ベクレル。
久之浜沖のキタムラサキウニが950ベクレル。
福島県沖のカスベやマコガレイ、アイナメなどにも汚染が見つかった。

放射線の汚染は、沿岸部から沖合いへと広がっていくことは間違いない。
沖合いが汚染されれば、回遊魚のグループもいずれ汚染されてくる。
三陸沖で獲れたものも、福島沖を通っている可能性は高い。
サンマやマグロ、いま旬の戻りカツオも、今まで以上の頻回の調査が必要になってくると思う。

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ボランティア奔走

今年はいろいろなところでボランティアをしている。
被災地への慰問や、放射線と健康についての講演会などをしてきた。
同級生から頼まれて、ボランティアの講演をすることも多い。

先日は、同級生から頼まれて、館山病院120周年の講演をした。
一度、講演をしたことがあったのでお断りしたが、どうしてもということでお受けした。
講演料はJIM-NETを通して全額、東北支援に充てることにした。

1110239__ 関東の駅百選に選ばれた館山駅

同じ日に、東京国際フォーラムで講演をした。
全国自治体病院協議会の今年の学会長がやはり同級生で、頼まれたのだ。

東京医科歯科大学の教授をしている同級生には、腎臓病と透析の二つの学会の市民公開講座でも講演をさせてもらった。
昔の仲間の応援ができることはとてもうしれいことだ。

今年も母校の大学の学生に講義をしてきた。
医学部に入ってはじめのころに、あたたかな医療の存在を知ってもらうことはとても大事だと思って、一生懸命講義をした。
学生たちもとてもいい反応で、うれしくなった。

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2011年10月27日 (木)

復興カレッジ参加者募集

この秋、NHKの震災を乗り越えて新しい東北を作るための学びの場「復興カレッジ」がスタートする。

第2回目の「復興カレッジ in 福島 チェルノブイリからフクシマへ」は、鎌田實と、ベラルーシで地域医療の第一線で活躍する医師ジミナ・ナジェージダさんが福島で、チェルノブイリの経験をどう活かし、人々、特に子どもたちの健康を守っていくのか語り合う。

日時:11月13日(日) 13:30開演
場所:福島大学キャンパス L4教室(東北本線金谷川駅下車 徒歩10分)
申し込み:NHK「復興カレッジ」ウェブサイトからお申し込みください。

申し込み締め切りは、11月3日(木)。
※お申し込み多数の場合は、抽選となります。
※当日受付の席も若干ご用意しております。

ぜひ、ご参加ください。

11/11のナジェージダ先生とのイベント「ポスト・フクシマをどう生きるか 特別編 - 語りあうことからはじめよう -」の開始時間が18時30分からに変更になりました。

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冬休みも信州で

諏訪中央病院祭のぼくのミニ講演の後、「私は福島出身です」と声をかけられた。
「福島を応援してありがとう」と言われた。
とてもうれしい。
あちこちでこういう声をかけられる。

この夏休み、茅野市は福島の母子をサマーキャンプに招いた。
JCFと信州大学が協力して行った福島の子どもたちの健康診断の結果が、マスコミに大きく取り上げられた。
経過観察が大事である。

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サマーキャンプに参加した人たちからは、いろんな声を聞いた。

「子どもたちが久しぶりに芝生の庭でごろごろ転げまわって遊んでいるのを見て、うれしかった」
「半そでで、帽子やマスクなしで飛びまわれたのがうれしかった」という声も聞いた。
「野の草にふれてはだめ、雨にぬれてはだめ、水溜りもだめ、だめだめだらけだったが、茅野では雨に濡れたも大丈夫といわれて、はじめてほっとした」
「生後8ヶ月の赤ちゃんを、はじめてのびのびと外につれ出した」
「車山高原や温泉を訪ね、そばうち道場でそばづくりをし、とてもいい経験をした」

放射能のことでは心配ばかりがつのるが、夏休み、子どもたちの飛び回る姿をみて、親も少しリフレッシュができようである。

「以前から聞きたかったカマタの話を聞けて、安心した」という保護者もいた。
「健康診断を受け、精神的な安心につながった」

茅野市へのおほめの言葉もいただいた。
「福島から来たというと、嫌な目に遭うという話も聞くが、茅野市ではそんなことはなくとても歓迎された」

1110183__ 色づきはじめた諏訪中央病院の庭

茅野市は、冬にも石巻や福島の人たちに、リフリッシュ休暇をプレゼントしようと計画している。
人数さえまとまればバスで送迎するとのことだ。
ゆっくり信州に来ていただき、休養をとっていてただくことはとてもいいことだと思う。

ぼくは茅野市から「縄文大使」という肩書きももらっているので、茅野市をできるだけ全国に売り出すお手伝いをさせていただいている。

茅野市はとてもあたたかなまち。
ぼくが37年間、茅野市にお世話になれたのも、まち全体があたたかいからだ。
これからも茅野市のよさを、全国の人、とりわけ東北の人たちに知ってもらいたいと思っている。

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2011年10月26日 (水)

秋の病院祭

先日、第3回諏訪中央病院病院祭が行われた。
「人と人がつながる未来」が統一テーマ。

日本中から若い医師が集まり、元気のいい病院になった。
病院祭は、医師やいろんな職種の人たち、地域の住民、地元の警察、行政などとの連携を再確認する機会になる。

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石巻の復興協議会から代表者も来てシンポジウムをし、大災害が起きたときどうすべきか考えた。
市会議員や社協の方たちも参加した。
福島からはJCFの現地スタッフとしてお手伝いをしてくれている高村さんも来てくれた。

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地域に支えられて、人と人とのつながりを実感できる一日だった。

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パッチワークのモチーフは

毎年パッチワークキルトの作品をつくってくれている遠藤さんが、今度はポーチをつくって諏訪中央病院祭の日に届けてくれた。
なんと、カマタとあんぱんマンが飛んでいる。

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今年春につくってくれた桜のモチーフの手帳カバーをずっと愛用してきた。
それにしても、なぜ、あんぱんマンなのか。

遠藤さんは、あんぱんマンのように困っている人のところまで、どこまでも飛んでいってほしいという願いを込めたそうだ。

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旅をするときには、このなかにハンカチや靴下、パンツを入れて持ち歩こうと思う。
そして、このポーチの期待にこたえられるように、困難のなかにいる人のために汗をながしたいと思っている。

遠藤さん、ありがとう。

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2011年10月25日 (火)

笹森さん世界市民賞受賞

ニューヨーク在住の友人・笹森恵子さんが、核兵器廃絶運動に取り組むアメリカのNGO「核時代平和財団」の世界市民賞を受賞した。

Img_1278 昨年12月、歌手のクミコさんと一緒に食事をしたときの笹森恵子さん(左)
笹森さんは13歳で広島で被爆したあと、作家ノーマン・カズンズの支援で、治療を受け、アメリカで生活してきた。
笹森さんのことは『それでも やっぱり がんばらない』(集英社)に詳しく書いている。
どんな困難にも負けないすてきな女性。

笹森さん、おめでとうございます!!

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イブラヒムの物語

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「イブラヒムの物語」
定価 600円
文 JIM-NET事務局長 佐藤 真紀
絵 イラクの子どもたち

ご注文は、JIM-NET事務局
TEL/FAX:03-6228-0746
Email:info-jim@jim-net.net

イラクの子どもたちが描いた絵が、絵本になりました。イブラヒムを介した、日本とイラクの友情の物語です。

白血病を患ったザイナブが闘病中に描いた絵を中心に、イラクの病気の子どもたちの絵をコラージュし、アーティスティクな絵本ができあがりました。

ザイナブは13歳のときから病院に通い始めました。今では19歳になり、病院で子どもたちに絵を教えています。


Iv3_6「イブラヒムの物語」は、2007年にJIM-NETのイラク在住ローカルスタッフとして働くイブラヒムが来日したときに制作したものです。

当時のイラクの治安は最悪で、いつも私たちはイラクの子どもたちが無事かどうかを心配していました。

しかし、2011年3月11日に起きた東日本大震災では、多くのイラク人が日本のことを心配してくれました。

そして、日本もイラク同様に放射能に汚染され、しかも汚染は日本の方がひどくなってしまいました。

この放射能に苦しむイラクの子どもたちを長い間ケアし続けてきたイブラヒムが、4年ぶりに来日するのを機に、この本を復刻することにしました。

震災の報に接し、イラクの子どもたちが寄せてくれたメッセージも加えました。

出合ったときは、戦争に苦しむ小さな子どもだったのに、この子どもたちのメッセージに今回、どれだけ勇気づけられたことでしょうか。

この本の収益はすべて、イラウと福島の支援に使われます。

(「はじめに」より)

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2011年10月24日 (月)

旅先で食べた旨いもの

少し前になるが、鹿児島に行ってきた。
奄美大島で有名な鶏飯(けいはん)ときびなごの刺身、さばの塩焼きを食べた。

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ぼくは旅が多く、しぜん外食が多くなるが、できるだけ魚を食べるように心がけている。
魚にはEPAやDHAといういい油が含まれており、血管を若々しく保ち、アンチエイジングにつながる。

こちらは横手焼きそば。

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秋田のB級グルメで有名な横手焼きそばは、卵がのっているのが特徴。
食い道楽という5年連続横手焼きそばのチャンピオンになった、行列ができるお店のものだ。

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原発事故356

群馬県で農業を営む方から野菜や土を送っていただき、JCFで放射線測定をしたところ、放射性ヨウ素(I-131)が検出され不思議に思っていた。

http://kamata-minoru.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/347-dc3a.html

I-131の半減期は短いので、残っていることが不思議であり、もしかしたら今もI-131が放出されているのではないかと不安になった。

ヨウ素はおそらくセシウムの10倍は出たが、半減期が短く早く減っているI-131のことを考慮しても、セシウムとヨウ素のバランスが合わない。

これに関して、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生に電話をして、どう考えたらいいのかうかがった。
小出先生は、一つの可能性として考えられるのは、放射線測定器の微調整が十分でないことをあげた。
何回か調整してみて、それでも不審なデータが出る場合は、サンプルを送ってもらえれば測定をしなおしをしてくれるというお話をいただいた。

1110181__ 木の葉が色づきはじめた諏訪中央病院の庭

たしかにその可能性はある。
ぼくたちJCFも、できるだけ信頼できるデータを出せるように、信州大学の理学部の専門家にかかわってもらえないかと検討をはじめている。

小出先生は時の人になってたいへんお忙しい。
しばらく電話をするのを遠慮をしていたが、以前と変わらず紳士的な対応をしていただいた。
ジェントルマンだなと思った。

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2011年10月23日 (日)

ひまわり満開

7月中旬、ピーコさんと田村市に慰問に行ったとき、特別養護老人ホームときわ荘にひまわりの種をまいてきた。
そのひまわりが悠々と育ち、大輪の花を開いた。
秋のコスモスととにも誇らしげに咲いている。

Dsc05822 特別養護老人ホームときわ荘に咲くひまわり

ひまわりは、放射性セシウムを吸い上げてくれると期待されたが、実際はそれほど効果はないようだ。
ほかのNPOが土壌の除染に役立てようとトライしていたが、残念である。
たとえ、ひまわりがセシウムを吸ってくれても、ひまわりに移ったセシウムの処理の問題が残る。
どこかに埋めるにも、大きな容積が必要になる。
セシウムを吸収してくれる微生物を利用して、汚染土壌の容積を小さくし、それが漏れないように厳重に管理する方法ができないものかと思う。

セシウムに対する期待は薄いが、堂々と咲くひまわりは美しく、ぼくたちに元気をくれるのは間違いない。

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鎌田實の一日一冊(109)

「「想定外」の罠-大震災と原発」(柳田邦男著、文藝春秋、1600円)

チェルノブイリ、スリーマイル島、東海村、広島、阪神淡路大震災、中越地震、スマトラ沖地震・・・という災害、事故からすでに警鐘は鳴らされていた。

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専門家の想像力の欠如やコミュニケーション能力の低下、志の高さを阻むシステム、情報公開の不十分さなど、なぜ想定外のことが起きたのか洞察している。

著者は福島第一原発事故の事故調査・検証委員のメンバーになった。
さすがジャーナリスト、柳田邦男の本である。

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2011年10月22日 (土)

お知らせ

10/22号の「婦人公論」に、連載「僕の好きな女性」が載っている。

「PHPほんとうの時代ライフプラス」11月号では、京都府立医科大学学長の吉川敏一先生と対談した。Photo
フリーラジカルの大家である。
放射能障害にはフリーラジカルが関連するということで、放射線もフリーラジカルなのだという。
だとすれば、抗酸化力のある食べ物を食べるということは、少しだけ意味があるということになる。
以前からチェルノブイリに支援に入っているが、あるNPOの団体が日本から味噌を持参していて、ぼくは変なことをするなと思っていたが、少しだけだが、まったく意味がないことではないと吉川先生は言う。

ぜひ、ご覧ください。

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ナージャ先生来日決定

JCFでは、チェルノブイリの放射能高汚染地域ベトカの地区病院ナージャ院長を日本に招聘する準備を始めた。
11月11日19時~は、ナージャ先生と、環境運動家の田中優さん、鎌田らの対話イベントがある。
開始時間を30分繰り上げて18時30分~になりました。

「ポスト・フクシマをどう生きるか 特別編
  ー語りあうことからはじめよう ー」

詳しくはこちら↓

http://www.earth-garden.jp/community/15827/

また、11月13日は福島でナージャ先生と鎌田の講演を計画中。
病院の敷地や保育園の除染をした話や、ホールボティカウンタの使用結果、原発事故から25年経っても50~60人の新規体内被曝者が出ている現状などを話してもらう。
食品管理の具体例など、チェルノブイリでの放射線対策についてもヒントをもらえると思う。

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2011年10月21日 (金)

ボランティアリーダーの養成

石巻や南相馬などで支援活動を行ってきたピースボートは、ピースボート災害ボランティアセンターを立ち上げ、来月、ボランティアリーダーのトレーニングを実施することになった。

そのボランティアリーダー・トレーニングプロジェクトの発表で、災害ボランティアセンターの山本隆代表理事は、東日本での活動や、阪神淡路大震災後、アルジェリア大震災、スマトラ島沖地震、アメリカのハリケーン・カトリーナなど、世界各地の被災地で展開してきた緊急支援の様子を語った。
そのノウハウを活かし、被災地での状況とニーズを把握し、集まってくるボランティアをまとめ、的確に指揮をとっていくボランティアリーダーを養成していこうという。

実際、東北でのピースボートの活躍は突出していた。
ボランティアをしたいという人ならば、サラリーマンも受け入れた。
外国人も受け入れた。
50社ほどの企業とも連携している。
こうしたピースボート災害ボランティアセンターの活動を、石巻復興協議会の会長も高く評価している。

1110141__

ぼくもピースボートの応援団の一人。
日本テレビの生放送に出演した後、ボランティアリーダー・トレーニングプロジェクトの発表会場まで大急ぎで駆けつけた。

ピースボートは今回の震災でさらに、タイムリーに支援を送り込む力が備わってきたように思う。
世界中に人脈をもっていて、言葉の壁もほとんどない。
外国で災害が発生したときも、いち早く緊急支援を行うこともできるようになると思う。
さらに医師や看護師などと連携をとれば、厚みのある支援が期待できるのではないか、と山本さんと会場で話した。

すぐれたボランティアリーダーが育成されることを楽しみにしている。

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2011年10月20日 (木)

鎌田實の一日一冊(108)

「できる!を伸ばす弁当の日」(竹下和夫著、共同通信社、1000円)

ぼくは、この本の帯をこう書いた。

「ぼくは、この本を読みながら、感動し、涙した。
日本中に広がっている。
納得だ」

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竹下先生は元中学校校長。
子ども自身がつくる「弁当の日」を提唱、展開してきた。
弁当をつくることで、子ども自身が変わり、親が変わり、地域が変わっていく。
四国の学校で始まったこの取り組みは、今日本中に広がり、800校で行われるようなった。

子どもの心を伸ばしてくれる弁当の日。
わかりやすい本ができた。
読んでみてください。

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3校合同の小学校

JIM-NETのイブラヒムと佐藤事務局長が相川小学校を訪ねた。
バグダッドで日本を応援するコンサートを開いたときに集まった寄付金を、運動会の帽子を買うのお金としてプレゼントした。
相川小学校の校長先生は、新品の運動会の帽子が手に入り、ありがたいとお礼を言ってくれたという。

Img_4640 都心から見た夜明け。毎日、必ずのぼってくる太陽は、とても律儀だ。

相川小学校は大きな被害を受け、5/19から吉浜小学校とともに、橋浦小学校で合同で学校生活をスタートした。
1つの学校に3校の校長先生がいて、子どもたちは同じ教室を使って学習している。
3校合同ということでいろいろな課題がありそうだが、子どもたちにはその壁を突破しもらいたい。

毎日新聞の連載「さあ、これからだ」で、相川小学校の瓦礫の山からトランペットとアコーディオンを見つけ出した子どもの話を書いた。
すると、それを読んだ方から相川小学校の鼓笛隊にアコーディオンを寄付したいと申し出があった。

毎日新聞の担当者のところに校長先生から、「さあ、これからだ」の精神で、一歩一歩前進してきたいと話があったという。
いま、子どもたちは10月半ばにある学芸会に向け、3校一緒に取り組んでいるそうだ。

いつか、相川小学校の子どもたちと深い交流ができたらいいなと思っている。

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2011年10月19日 (水)

地医研の全国大会

10/29、30は、地域医療研究会の全国大会2011in高知が開催される。
テーマは、「地域医療と社会保障」。

29日13.10~14.0の特別講演は、鎌田が「地域医療の心をどう伝えるか」と題して講演する。

地域医療研究会は全国にあたたかな地域医療に取り組む医療機関や医療人、市民らでつくるネットワーク。
30年以上、地域医療を広げる役割を担ってきた。
鎌田は、数年前まで会長をしていた。

ぜひ、高知の全国大会にいらしてください。

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10/22病院祭

10月22日は、諏訪中央病院祭。

病院祭のテーマは「人と人がつながる未来」。
一日楽しんだり、役に立ったりする催しがたくさんです。
午前中は、鎌田も記念講演をし、シンポジウムを聞きます。
石巻からゲストを招き、もし災害が起きたときにはどうしたらいいか、お話をうかがいながら、リスクマネージメントを考えます。

1110053__ コスモスが咲く諏訪中央病院

秋の諏訪へぜひ、お出かけください。

病院祭の詳しい内容はこちら↓

http://www.suwachuo.jp/temp_page/carnival/carnival2011.html

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石巻国際まつり

東日本大震災から7ヶ月目の10/11、石巻国際まつりが行われた。
海外で支援活動をしている日本のNGOが集結した。
その数、60団体以上といわれている。

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外国ではかなり評価が高い活動しているNGOでも、日本では知名度が低く、今回の震災で自治体に入るとき、「怪しい団体」と思われてしまったという話を聞いた。
JIM-NETやJCFはありがたいことに比較的、名前が通じるようになってきたが、今回のようなイベントは地域の人に名前と活動内容を知ってもらえるチャンスになったと思う。

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石巻国際まつりは、世界の貧困問題を解決しようという「スタンド・アップ テイク・アクション」キャンペーンと連動し、海外からゲストを招いている。
南アフリカからは、レイプの被害に遭いHIVに感染した女性。
同じように暴力を受けた女性たちがいきやすいようにコミュニティーをつくったという活動を報告した。
スリランカからは、津波の被害に遭ったが、貧困者を出さないように活動するオーガナイザーの感動的な発表もあった。
JIM-NETのイブラヒムも、イラクから参加。
絶望のなかから立ち上がろうとする世界の取り組みを報告しながら、最後に会場のみんなで「スタンド・アップ テイク・アクション」と声を上げて、メッセージを発信した。

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会場の一つは、かめ七呉服店に貸していただいた。
商品や展示会をしていた反物などすべて津波で流された。損害は、何千万円。
ようやく20日に呉服店を再開する前段階として、国際まつりに協力してくれたのだ。

Img_4638 かめ七呉服店のおやじさんと

石巻アイトピア商店街では、郷土芸能や演歌のコンサートなどもあり、イベントを盛り上げた。
被災地支援をしてきたNGOだが、今回の国際まつりでは商店街や地元の議員の方たちのご厚意で、はじめて自分たちの色を出すことができた。
石巻と国際支援をするNGOの距離が、また近くなった一日だった。

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2011年10月18日 (火)

10/20イブラヒムの講演会

JIM-NETの現地スタッフ、イブラヒムは先日、石巻に入り、国際祭りへの参加や仮設住宅の訪問、相川小学校の訪問、東京での議員勉強会などを行った。

そのイブラヒムが20日、東京のカタログハウス本社で講演会を行う。

被災地を巡り、イブラヒムが感じたことを話す。
また、劣化ウラン弾で汚染されたイラクと、原発事故のフクシマ、どう手を取り合ってこの困難を乗り越えられるのか皆さんと考える。

ぜひ、ご参加ください。

100人集会!
イラク人イブラヒムが見た
バスラとフクシマ、放射能汚染を考える

◆日時:2011年10月20日(木)18:30開場 19:00開演
◆会場:カタログハウス本社
東京都渋谷区代々木2-12-2
http://www.cataloghouse.co.jp/seminar/map_tsem.html
◆参加費:1000円(絵本イブラヒムの物語つき)
◆共催:JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)
イラク戦争の検証を求めるネットワーク
◆協力:カタログハウス
◆問い合わせ
TEL/FAX 03-6228-0746
MAIL info-jim★jim-net.net (★を@に変えて送信してください)

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鎌田劇場へようこそ!(88)

「ベニスに死す」

1971年のルキーノ・ヴィスコンティ監督の作品が、今、銀座テアトルシネマなどで上映されている。
かつて、この映画も原作のトーマス・マンの「ヴェニスに死す」も感動したが、ニュープリント版のこの映画を見て、やはり感動した。

ヴィスコンティがいかに天才がわかる作品である。
映像が美しい。
ノーベル賞作品の「ヴェニスに死す」の文学を、言葉ではなく映像美と音楽で表現しているのは、ヴィスコンティの面目躍如である。
音楽は、グスタフ・マーラーのアダージェット。
この音楽が流れると、主人公の音楽家の苦悩と歓喜、恍惚と絶望が、スクリーンから現れてくる。
完璧な映画である。
死の臭いがする映画である。

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映画にあまりに感動したので、原作の「ヴェニスに死す」も再び読んだ。
講演で各地を移動中、夢中になって読んだ。
言葉のひとつひとつが収斂され、研ぎ澄まされている。

映画のほうは主人公が音楽家として描かれているが、原作のほうは作家。トーマス・マン自身が主人公のようである。
映画の音楽家というのは、おそらくマーラーをイメージしているのだろう。

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生きるということは立派なことをしなくても、美しいものに感動したり、酔いしれたり、楽しいことに没頭したり、それでいいんだと思わせてくれるような小説と映画である。
何かに夢中になること。そのすばらしさが、見事に描かれている。

人生はむずかしく考えなくていい。
感情の冒険家になって、自分の感覚を研ぎ澄ませ、感動することに貪欲になればいいんだ。
そんなことを、電車の車窓に映る秋の風景を見ながら考えた。

映画「ベニスに死す」のHPはこちら↓

http://death-in-venice.net/index.html

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2011年10月17日 (月)

丁寧に生きる

関西の山の中で生活している大平光代さんの家に行った。
家のなかはとてもきれい。
5歳の女の子を慈しみ育てていた。
当たり前の生活を、どんなに大事にしているかわかった。

お昼ごはんに、手料理を振舞ってくれたのだが、その料理に驚いた。

鯨のしょうゆ漬け。いい鯨が手に入ったという。ショウガが利いていてすばらしい味だった。

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新鮮な鯛は、せいろ蒸しに。

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おいしいソーセージを使ったポトフ、ベトナム春巻き、なすとゴーヤの味噌煮、ぶり大根。
なんとも手の込んだ、ぜいたくなお昼だった。

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そして、それを食べる雰囲気もいい。窓からのすばらしい景色も、料理の一品だ。

大平光代さんは命がけで勉強し、司法試験を突破して弁護士になった。
なのに、今は弁護士としてほとんど活動していない。
「もったいなくない」と言う。
ご主人と子どもを大事にし、美しくあたたかな家庭を築いている。
絵本を手作りし、子どもが使う椅子やテーブルまでも作ってしまう。
ガーデニングも楽しんでいる。
当たり前の生活をこんなに大切にしている人を、ぼくは見たことがない。

実に丁寧な生活ぶり。
幸せという、一つの形がここにあるような気がした。

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原発事故355

もともと自然放射線というのがある。
宇宙線や花崗岩などの鉱石から出ている自然の放射線である。
体内に取り込んだカリウムからも、放射線が出ているという。

日本では年間1.5ミリシーベルト前後、自然放射線を浴びるといわれている。
自然放射線の体内被曝は、年間約0.3ミリシーベルトという。

今回、福島原発事故が起きて、自然放射線以外の放射線を浴びることになった。
放射線は、プルトニウムやストロンチウムなど核種によって生体へのダメージの違いはあるが、自然か人工かという点で、差はない。

自然放射線を出す花崗岩は西日本に多く、原発事故前の自然放射線量は西日本では毎時0.15マイクロシーベルト、東日本では0.02マイクロシーベルトであった。
西日本のほうが自然放射線は高いのだが、西日本のほうががんが多いという明確なデータはない。
インドのケララ州では年間70ミリシーベルトというところもあるが、特に病気が多いという研究データもない。
イランのラムサールでは、温泉から毎時17マイクロシーベルトが出ているところがある。

余分な放射線に当たることは極力避けたいが、ほんのわずか浴びたからといってダメだと思い込まないことだ。
精神的に不安になりストレスをため込むことのほうが、がんを起こすトリガーになる可能性がある。

暫定規制値以下の食物でも、放射線量はゼロではない。
それを知らないで食べさせられてしまったら、不安になる。
だから、できるだけ放射線を測定し「見える」ようにして、食べるか食べないか自分で判断すべきなのだ。
ぼくは、暫定規制値以内なら知っていて食べる。

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2011年10月16日 (日)

がんばらないTシャツ

諏訪の開業医の宮坂圭一先生は今年5月、信州で開かれた在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワークの全国大会の大会長を務めた。
大会の講演を、ぼくがお引き受けしたことで、いろいろな支援をいただいている。

ぼくの文字をデザインして、こんなTシャツを作り、
その売り上げ20万円を寄付していただいた。
さらに講演料5万円をいただいた。

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諏訪中央病院の若い医師が石巻の在宅ケアや仮設の雄勝診療所、東松島の石垣クリニックで支援活動をしており、吉沢副院長が若い医師の評価のために石巻に入る。
そこで、吉沢先生にお渡し、宮坂先生の思いを有効に使っていただくように託した。

感謝、感謝、感謝。

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鎌田實の一日一冊(107)

『55人が語るイラク戦争 9.11後の世界を生きる』(松本一弥著、岩波書店、2520円)

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アメリカ、ヨーロッパ、イラクを取材し、イラク戦争とは何であったのか、50人以上のキーパーソンの証言をまとめている。

そのなかに鎌田も登場する。
鎌田がなぜ、劣化ウラン弾が落とされた地域の子どもたちの支援に入ったのか。
チェルノブイリ原発事故では、被害実態を打ち消すように「被曝ノイローゼ」と言われた時期があった。日本の水俣病でも因果関係を証明するのは一筋縄ではいかなかった。
劣化ウラン弾と、小児がん、小児白血病との因果関係を、鎌田は証明したいのだろうと、著者は書いている。

9.11は、「やられたらやり返せ」という負の連鎖を起こした、その片棒を日本も担いでしまった、などの鎌田の言葉も出ている。

イラクで医療支援活動を続けているJIM-NETの井下医師や川添看護師らも登場する。

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2011年10月15日 (土)

看護学生からの応援

諏訪中央病院看護専門学校の学生たちが文化祭で、鎌田の文字をあしらったチャリティーうちわを作って販売した。
専門学校の先生や多くの人たちが協力してくれて、1万4000円集まった。

その募金を、東日本大震災の被災地支援活動に役立ててほしいということでJCFとJIM-NETに半分ずつ、寄付していただいた。

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ぼくは、看護専門学校で看護哲学や医学概論の講義をしているが、毎年、学生たちがぼくの活動を応援してくれる。
忙しくて講義をするのは荷が重いが、いつも学生たちが応援してくれていると、なかなか引退できない。
とてもありがたいことだ。

彼らにとっては貴重なお金。
有効に役立てたいと思っている。

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にもかかわらず

PHP11月号で、「にもかかわらず」という生き方について書いた。
「にもかかわらず前を向く」ことで、絶望から希望を見出していく。

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いろいろなメディアで取り上げられている絵本『アハメドくんのいのちのリレー』(集英社)は、この「にもかかわらず」がキーワードになっている。
東日本大震災の被災地を支援しながらも、「にもかかわらず」という生き方の強さ、すごさを感じている。

「にもかかわらず」という不思議な言葉、ぜひ、お読みください。

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2011年10月14日 (金)

斬新な春慶

ぼくは子どものころ、母が入院がちであり、父は夜遅くまで働いていたため、よそのうちでご飯をよばれることが多かった。
その癖は、今のぼくを形作っている。

大学時代は、アルバイトをしながら生活していた。
市川の酒屋さんの息子を家庭教師したことがある。
そこは大家族で、食事時にいつも一人くらい増えてもなんともなかった。

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ぼくも図々しいもので、マージャンに疲れて、勝手な時間に行って勉強を教えた。
お風呂に入れてもらって、おいしいものをおなかいっぱい食べさせてもらって、泊まらせてもらうこともあった。
教えた息子は早稲田大学に入学。
ぼくの弟分みたいになった。
家族ぐるみ、親戚みたいな付き合いが続いている。

その妹が飛騨高山の山田春慶店に嫁いだ。
先ごろその長男が結婚した。
お祝いの手紙を書いたら、式場に大きく張り出したという。
お礼にいただいた春慶は、斬新な作品。
フィンランドのマリメッコの布を使ったという春慶の入れ物で、新郎新婦が工夫して作ったという。

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お父さんの山田英俊さんの春慶もユニークで、飛騨でも評判の春慶塗の名手である。
春慶は塗りが強く、上品で、何年使っても光沢が消えない。
使えば使うほど味わいが出てくるというのが、春慶のすごさである。
その春慶塗のなかでも、山田春慶の作品は優れている。
新郎も、才能を持っていそうである。
もっとも新郎の山田晃輔君はウェブデザイナーとして大変有名らしい。

飛騨高山に行ったときには、ぜひ山田春慶店にお寄りください。

ぼくは、甘え上手でいろんな人にご飯を食べさせてもらって、今がある。
甘えたり、困っている人を支えたり。
これからもバランスよく、生きていこうと思っている。

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2011年10月13日 (木)

39年ぶり

先月、骨髄バンクの講演の後、坂巻君の家に招かれた。
大学の同級生で、39年ぶりに会った。

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彼はエリートだが、鎌田はクラスで下から二番目だった。
坂巻君は血液を専門とし、都立駒込病院で骨髄移植を何例も行ってきた。

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自宅に有名な出張料理人、小暮さんを呼んで、フランス料理のコースを振舞ってくれた。
ぼくの隣は、バイオリニストのジョン・チャヌさんと、NHKの村上信夫アナウンサー。
『なげださない』(集英社)の文庫版で解説を書いてくれた、上野創さん夫妻もいる。

楽しく、おいしく、なつかしい時間だった。

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福島の研修医

福島や宮城で臨床研修の希望者が減っているという。
もともと東北は医師不足が顕著であったが、特に福島県は今後、医師の確保が厳しくなる可能性が高い。

1109262__ 山歩きの得意なおじさんが、立派なシメジを届けてくれた。今年は地熱が高くてキノコが出てこないとか

福島県では、16病院が146人の研修医を募集しているが、10月初旬で第一希望者は54人のみ。
希望登録の締め切りは10月13日なので、まだなんとも言えないが、前年同期に比べれば、10人減である。
放射能問題も考えると、希望者が一気に増えるとは考えにくい。
非常にピンチだと思う。

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2011年10月12日 (水)

原発事故354

原子力は、国家の信義を崩壊させている。

経済産業省の原子力安全・保安院がシンポジウムでやらせの指示をする。
各電力会社の社員が進行台本を用意し、その台本に基づいて、社員や下請け企業の職員がシンポジウムで発言。
原子力推進のムードをつくっていく。それをすすめる県知事もいた。
全部、出来レースなのである。
この問題行為を最終報告書にまとめておいて、なおかつ、プルサーマルの認可には影響はなかったと白々しくいう。

Img_3224 ベラルーシの放射能汚染地域で暮らすお年寄り

東電は、国会議員のパーティー券を年5000万円以上購入していたという。
その国会議員が原子力推進に協力するかどうかを評価し、パーティー券の購入枠を決めるという。
不潔な方法である。
こういうことをしなければ推進できない事業は、企業を不潔にする。そこで働く人もピュアではいられなくなる。
不潔な政治屋を操り人形のようにしておもしろいかもしれないが、こんなことをしていては人間が腐るだけである。

原子力を推進するために、政治や経済をどれだけ汚してきたか、今回の原発事故でよく見えてきた。
原子力は、いったいどれほどの対価を払って、国民の信義を失い、政治を腐敗させたのか。
民主主義を壊してまで、原子力産業を推進しなければならないのはなぜだろうか。

原子力推進という思想にそろそろ終止符を打つ必要がある。
まず、原発はもう作らないことを明確にすること。
核廃棄物問題が解決できない以上、これ以上原発を増設しないことを明確にすべきだ。
そして、原発依存からどう脱却するか、工程表をつくり、大学、産業界、資源エネルギーの活動家らが協力して、新しいシステムの開発と導入に全力を投入すべきだと思う。

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鬼うどん

社団福祉法人明正会10周年の講演会のため、埼玉県の本庄早稲田に行った。
小麦の産地だという。

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地物の小麦粉を使って打ったうどんは、「鬼うどん金田」。
今まで食べたなかでいちばん太い。
あまりに太くて、すすることもできない。
あごが痛くなるほどのかみごたえもあった。
豪快なうどんだった。

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ドイツから支援

ドイツのローマ市立音楽・芸術学校 ニルス・シュナーシュテットからJIM-NETに寄付をいただいた。
チャリティーコンサートを催し、日本の復興に向けて、応援してくれたようだ。
当日は、テレビ局も取材に来て、ニュースになったという。

チャリティーコンサートでは、1469ユーロという寄付金が集まった。
鎌田のブログを見てくださっているようで、食べ物の放射線量測定器やガイガーカウンターなどの購入、原発事故で大変な思いをされている方の救済にお使いくださいというメッセージが添えられていた。
心から感謝である。

フランス、ドイツ、アメリカ、イタリア、イラク、台湾からご支援をいただいた。
各国からのあたたかいご支援、ありがたいことだ。

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2011年10月11日 (火)

雄勝の再生

石巻市の河北地区にある高齢者施設に行った。
JIM-NETの川添、重岡看護師がお世話になっている施設だ。
地域ケアを行いながら、被災して障害があるお年寄りをショートステイさせてもらったりしている。

この施設は被災しながらも、しばらく周辺の施設などを結ぶ物品のセンターになったということだ。

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この施設の系列のケアハウスで、ある老夫婦とであった。
二人の家は雄勝にあり、3月11日は、午後2時からご主人が入浴サービスを受けていた。
入浴が終わって一息ついていた2時46分、地震が発生した。
入浴サービスの人たちは、おじいちゃんとおばあちゃんを入浴車に乗せて、一緒に逃げた。
高台を目指して、山際のトンネルのところまで来たところで雄勝地区を振り返ると、津波がまちを飲み込んでいた。
もし、あのまま家にいたら、どうなっていたか。

近くにある雄勝病院では院長をはじめ、職員や入院患者のほとんどが亡くなった。
雄勝は大打撃を受けた。

二人は、入釜谷の公民館や河北のビックサイトで避難生活を続け、4月から施設で生活している。
命を救った入浴サービスのスタッフは、3回ほど二人を見舞っている。

おばあちゃんはこう話した。
「私たちは家を流されすべてを失ったけれど、こうして生きて一緒に暮らせるのだけでありがたい。
人のあたたかみに感謝しています」

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崩壊した雄勝病院は、仮設の診療所となり、JIM-NETと諏訪中央病院の医師が応援を続けている。
これからできる雄勝診療所に着任した小倉先生にごあいさつに行ってきた。

小倉先生は、もともと整形外科医だが、総合診療を学び、離島診療を経験したり、中国の地震やスマトラの津波など災害救援に入った経験をもつ。
経験豊かな、雄勝には心強い医師なのだ。
しかも、なかなかの好人物。

地域医療の再建に熱が入る。

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原発事故353

来春から設置される原子力安全庁に、外部の有識者から意見をきく原発事故再発防止顧問会議がつくられることになった。
そのメンバーに、批判的有識者も加わるとのこと。
原子力開発に批判的な飯田哲也さんら名前があがっている。
実にいいことである。
経済産業省の総合資源エネルギー調査会の委員にも、批判的有識者を加えるとのこと。
とてもいいことである。

1110052__ 諏訪中央病院の庭

批判的有識者を加えることで、単なるガス抜きに終わらせないでほしい。
新しいエネルギー政策に向けて、具体的に考え方を前進させるために、議論を活性化させてもらいたい。
野田首相の脱原依存という明確な方針のもとにどうすべきか、批判的有識者の声を活かしたほうがいいと思う。
再三言ってきたが、2022年までに原発を廃止するドイツと技術競争して、日本はそれよりも早く原発依存から脱することができるように、前向きな議論をする会議であってほしい。

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2011年10月10日 (月)

松島の旅⑤

今回の旅で、ぼく自身が救われる思いがした。

石巻市の雄勝地区に住んでいた女性は、津波で家を流された。
なんとなく手足がおかしいと思いつつも、がれきの撤去をするなど、忙しく働いていたという。
しかし、6月になるととうとう歩けなくなった。
病院に行き、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された。

JIM-NETの川添看護師がサポートに入った。
女性は、突然の聞いたことのない病気に戸惑った。
あれよあれよという病気は進行していくが、彼女は納得がいかない。

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この松島の旅に招待しようということになった。
クラブツーリズムは、彼女のほか、脳梗塞により高次機能障害のある男性と、JIM-NETのスタッフ2人、JIM-NETが石巻で地域ケアをするときにお世話になっているショートステイのケアマネジャーを招待してくれた。

ALSの女性にもこの旅を楽しく過ごしてもらいたい。
そう思っていたときに、なんと九州から精神科のドクターが参加しているのがわかった。
ドクターも、ALSを発症して2年という女性だった。
ぼくは、石巻のALSの女性と話をしてもらえないかとお願いしたところ、快く受けてくれた。
二人で松島の遊覧船に乗り、いろんな話をしたようだ。
ピアカウンセリングである。
だれが支えるよりも、もっとも心強い。

アランが「勝利」という章のなかで、「自由な行動のなかでこそ人間は幸福なのだ」と述べている。
このドクターの行為は自由である。
自分の自由意志で九州からやってきた。
自由だからこそ、病の苦しみを横に置いて、同じ病の人に手を差し伸べる。
だれかにやれと命令されてやることでなく、自由意志でやることが人間にとって尊い行動なのである。

ドクターと語り合ううち、石巻の人は目に光が宿り出した。
頭をもたげはじめた。
表情が見違えるようになってきた。

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幸福というものは、人が思っている以上に意思の力が働いているものである。
やさしさとか、親切さとか、明るさというものが、人に大きな力を与える。
そして、同時にまわりまわって自分にも大きな力を与えているのではないかと思う。

このドクターがいなければ、ぼく一人の力では短期間に彼女の心を元気にすることはできなかったのではないか。
このドクターのお陰で、石巻の彼女もぼくも救われた。
そして、ドクター自身も生きる意味みたいなものを得たのではないかと勝手に想像した。

こうやって人間の絆は築かれていくのだろうと思う。
絶望的な震災のなかで、あたたかく助け合いながら生きていくこと、それが日本の再生につながると信じている。

  ※今回の「松島の旅」のご報告はこれで終わりです。

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秋の行楽はぜひ、東北へ

これから紅葉の季節。東北に出かけてみてはどうだろうか。
楽しみながら、東北を応援することになる。

来年の「ドリームフェスティバル」は、5月は久しぶりにハワイへ、秋は東北のどこかの観光地へ行き、みんなで応援したいと思っている。
まだ日程は未定だが、ぜひ、参加してみてください。
楽しいですよ。

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2011年10月 9日 (日)

松島の旅④

1966年、エネルギー革命のなかで炭鉱は閉山を余儀なくされた。
福島の常磐炭鉱も山を閉じた。
ここに常磐ハワイがつくられ、炭鉱労働者の娘さんたち18人がフラダンスショーを始め、それがセンターの目玉になった。
奇跡の復興を遂げたのである。
現在は、スパリゾートハワイアンズとして運営されている。
3月11日と4月11日の二つの大地震で建物にかなりの被害が出た。
修復するのに半年かかった。

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その間、フラガールは「全国きずなキャラバン」として全国でショーを披露してきた。
キャラバンの最後のショーは、松島でぼくたちのツアーで締めくくった。

おじいちゃんたちがぐっと身を乗り出して見ている。
フラガールたちは明るくて、美しく、いい笑顔である。

早く、福島の観光が息を吹き返すといいなと思っている。

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松島の旅③

東北への旅は、まさに応援の旅である。

地元の写真屋さんに写真をお願いすることにした。
震災前までは、全国から300校ほど修学旅行があり、その記念写真で食べてきたという。
しかし、今はわずか10校ほどになってしまった。

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ぼくたちのツアーに3日間お願いした。
集合写真は、多くの人が買ってくれた。
写真屋さんが撮ってくれたスナップは、主催者が参加者にプレゼントした。
写真屋さんも、3日間の仕事を得、ツアーの参加者も写真をプレゼントされ、どちらにもうれしい。

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松島の帰りには、福島の観光果樹園でぶどう狩りをした。
前もって、放射線測定をして、ぶどうの放射線量が不検出(ND)であることを確認していた。

多くの人がこちらのほうも参加し、バス5台を連ねて訪ねた。
例年なら当たり前の光景かもしれないが、震災後はめったにない。
ぼくたちのバスを見て、歓声をあげて歓待してくれた。

このときの感想が、あずま果樹園のブログで紹介されている。

絶望のなかでニヒリズムに陥ることなく、無常を知ったからこそ、お金や物ではない、絆というものに価値があることを実感している。

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2011年10月 8日 (土)

松島の旅②

松島の遊覧船では、えびせんを投げるとかもめが集まってきた。
ボートの上で歓声が上がる。
明るい人たちが多い。
自分のことを「便所の100ワット」と笑い飛ばす車椅子のおばさん。
自分のなかではつらいものを抱えながらも、周囲を大笑いさせている。
アランの「幸福論」にある「幸せだから満足しているのではなく、満足だから幸せなのだ」という言葉を思い出した。
「足るを知る」という言葉に近いかもれしない。

困難を抱えながら、それでも自分の状況を受容し、いいことを頭に描きながら満足する。
そうやっているうちに、幸せや成功がついてくるのではないか。

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車椅子で生活していきたが、卵巣がんが見つかったという人がいた。
二重苦と闘っている。
それでも突き抜けたように明るい。
「永遠回帰」や「超人」を語るニーチェは好きな哲学ではないが、「ルサンチマン」(恨み、嫉妬)、あるいはアランの「情念」というものの価値を転換しながら、ルサンチマンに打ち勝っていくことが、まさに人生のプロセスであるというのは納得できる。

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ルサンチマンを横に置くことができた人たちは、病気や障害があったとしても突き抜けた明るさがあるように思う。
そして、やさしい。
親切である。
穏やかである。

東松島の被災地をバスで見た。
海岸沿いの大破した状況を見て、みんな涙を浮かべていた。
まだ応援しなくちゃいけないことを感じたようである。

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松島の旅①

9月下旬、東北を応援しようと、250人の障害や病をかかえる人たちと松島に行った。
「ドリームインフェスティバル イン松島」と題した、2泊3日の旅である。

参加者は、北は北海道から南は鹿児島まで。
体は不自由かもしないけれど、それぞれの自由な判断で、東北を応援しにやってきた。

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震災直後、松島の観光客数は前年比12%に減った。
ツアーの一行が泊まった大観荘のおかみと話をすると、従業員を解雇しないといけない厳しい状況に陥ったが、なんとか解雇せずにやってきたという。
5月の連休前に、マスコミが応援しようと一時的に盛り返したが、5月の連休ですら前年比25%だった。
8月になり、ようやく40%までもどったが、厳しい状態は続いている。
警察やボランティアの人たち、救援に来ている人たちがホテルを利用していることが命綱のようだ。

こんな状況は松島だけではない。
ツアーの参加者に山形の人や青森の人がいたが、震災の被害は比較的少なくても、観光は大打撃だという。

被災者への義援金はなかなか行き渡らないが、観光することで直接、応援することができる。

この松島のツアーを企画したとき、93歳のおばあちゃんがいの一番に参加を申し込んでくれた。
いつも鎌田實の「ドリームフェスティバル」に参加してくれている。
これまでグアムや諏訪の温泉をご一緒した。

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本当に若々しい。
お化粧はしていないようだが、肌はぴかぴか。
彼女を若々しくしているのは、前向きな心と好奇心。
「東北を応援できて、自分も楽しめるなんて、こんないいことはない」
と、今回も参加してくれた。

そして、こんな思いの人が250人集まって、一緒に旅をした。
あたたかな旅のはじまりである。

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本日、毎日新聞で鎌田の連載「さあ、これからだ」が掲載されています。
松島の旅のことを書いたので、あわせてお読みください。

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2011年10月 7日 (金)

原発事故352

総括原価方式に対してずっと批判してきたが、東電の資産査定を行っている第三者委員会「経営・財務調査委員会」の調べで、過去10年間で6000億円の電気代の取りすぎが判明しはじめているという。

まったく資本主義のルールに則っていない。
総括原価方式なんていうルールの下で、企業努力なんか起きるわけがない。
総括原価方式はやめるべきである。

そのためには、電力の自由化を推進し、競争させることだ。
電力を作る事業と、電力を送る事業の分割も当然必要になってくる。
これだけの大きな過ちをした企業は、デフォルトされてしかるべきである。
東電をいくつかに解体し、それぞれ競争する企業が入りこみやすいようにする必要があるように思う。

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新刊発売

『ここから。』(ベストセラーズ、1365円)が出版された。
鎌田とコピーライターの山本高史さんの共著である。
心と言葉にこだわって本をつくった。

編集者は「心の探検家」とぼくにレッテルを貼った。
山本さんには「言葉の達人」とレッテルを貼った。
山本さんは、かつて電通にいて、いまは広告会社の社長。
言葉のプロである。

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実はこの企画の話をいただいたとき、忙しいのでお断りをした。
山本さんから手紙をもらった。
最後にこう書かれていた。

「ご事情はうかがっております。断っていただいても、先生のこと大好きですよ」

メールではなく、こんな手紙をもらうと、なんとなく断りにくくなる。
言葉のプロの術中にハマッタのだ。

山本さんはキャッチコピーづくりの名人である。
小泉元首相の「この人、変人」というキャッチフレーズをつくった。
「人は人との摩擦であたたまる」
「絆を叫ぶ国の危ない絆」
「ウエットな心でドライな成果を」
「社会に文句を言っている自分も社会の一部なんだ」
「擦り傷だらけになってつくる、まあまあの社会」
「相手の心を動かす言葉、相手の体を動かす言葉」
「人間は面倒くさい生き物だ。だから、その面倒を避けていてはつながることなんてできないのだ」・・・

山本さんと本をつくっているうちに、いい言葉は自分のなかで何度も繰り返され、自分を変えることに気づいた。
いままでにない鎌田の本ができた。

言葉の感覚を研ぎ澄ましながら、試練と苦難の時代をどう生きるべきか考えてみた。
本当の絆のつなぎ方を考えてみた。
ぜひ、お読みください。

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平田さんの帽子

帽子デザイナーの平田暁夫さんが毎日ファッション大賞を受賞した。

ぼくは帽子好き。
玄関には平田さんの帽子が3つかけてある。

平田さんお店で帽子を2つ買ったら、平田さんが出てきて、「銀賞(の帽子)だな」と言った。
「金メダルの帽子をつくってあげます」
それから1ヶ月半ほどして、メチャクチャかっこいいパナマ帽が送られてきた。

Photo 今年6月、平田さんのお店で

そろそろ冬の帽子がほしい。
お店にうかがい、お祝いがてら、冬の帽子をつくってもらおうと思っている。

86歳、かわいくて、かっこいい。
平田さん、おめでとうございます。

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2011年10月 6日 (木)

うれしい再会

又野亜希子さんに3年ぶりにお会いした。

亜希子さんは、2004年交通事故に遭い、頚髄損傷により、胸から下がマヒした。
2006年、杏子(ももこ)ちゃんを出産。
下半身マヒの彼女が、生まれた赤ちゃんを育てていく。

Img_4530 3年ぶりに再会した又野亜希子さんと杏子ちゃん

その様子をテレビカメラが追い、みのもんたさん司会の「いのちの輝きスペシャル」(TBS)で放送された。
このときぼくはコメンテーターをおおせつかっていた。
秋田の高校で講演が入っていたため、収録に間に合わせるために、高校のグラウンドからヘリコプターで飛び立ったのを覚えている。

不自由な体で、杏子ちゃんをどう自由に育てるか。その発想が感動的だった。

そして、あの杏子ちゃんと再会。
ずいぶんしっかりした女の子に成長していた。
お母さんの足の代わりになっているのだろう。

骨髄バンクの20周年の記念の講演会の会場に、話を聞きに来てくれた。
TBSのスタジオ以来の、うれしい再開だった。

亜希子さんは家族の愛のなかで、必死に子どもを生み育ててきた。
その子どもの存在にどんなに救われてきたか。
『ママの足は車イス』(あけび書房)という本も出ている。

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原発事故351

大熊町は町内167箇所で放射線測定をし、独自の放射線マップをつくった。
最高値は、原発から3キロ地点で、毎時103マイクロシーベルトだった。
50マイクロシーベルトを超えるところが広範囲にあった。

昨年、チェルノブイリに行ったが、原発から3.5キロのプリピャチで測定したとき、毎時17マイクロシーベルトであった。
原発事故から25年たっても、この高さである。

Img_3033 原発事故から25年たつプリピャチ

大熊町の103マイクロシーベルトはかなり高いと考えなければいけない。
ここを除染するというのは、よほどきちんとした計画をたてなければ困難なように思われる。

伊達市もみすがら放射線量を調査し、マップをつくった。
伊達市での最高値は、飯舘村との境にある月舘という地域で6.15マイクロシーベルトだった。

自主的に自分たちのまちの状況を測定し、公表する傾向がではじめた。
とてもいいことである。

見えない放射線を見えるようにすること。
そして、現実を受け止めながら、対策を考えていくことが大切だ。

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2011年10月 5日 (水)

津軽へ

少し前のことになるが、父のふるさと青森の八戸に行ってきた。
せんべい汁を食べてきた。

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星野リゾートが経営している青森屋というホテルに泊まった。
うまいな、さすがに星野リゾートと思った。

星野リゾートは、全国各地でホテルに泊まったり、病院の若い職員の結婚式でリゾナーレ小淵沢などに行ったことがあるが、この青森屋はほかの高級旅館とは空気が違う。
青森屋は、古牧温泉が斜陽になったときに、買い取ったようである。
津軽三味線が聞けたり、若いスタッフがスコップ三味線世界一の腕を見せたり、津軽の雰囲気を出している。
朝食も青森らしい食材が盛りだくさん。
温泉も抜群にいい。

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しかし、どんどんチェーン化するなかで、何かほころびが出はじめているような気がしないでもない。
どんなにうまくやっても、チェーン化することでマイナス面が出てくる。
大きくなることに、懐疑的な鎌田でした。

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信濃毎日の反響

昨日の朝から大忙しである。

信濃毎日新聞は10/4朝刊で、信州大学とJCFが協力して行った福島の子どもたちの血液検査の結果を1と3面に大きく取り上げた。
それを受けて、テレビ各局がJCFや諏訪中央病院にやってきたので、できるだけセンセーショナルにならないように対応に追われた。

1110053__ コスモスが咲く諏訪中央病院の庭

今夏、白樺湖に来られた福島の母子約1000人のうち、健診を希望した130人の子どもの甲状腺検査をしたところ、甲状腺刺激ホルモンが基準値より高い子が7人、低い子が1人、サイログロブリンという腫瘍マーカーが高い子が2人いた。
サイログロブリンが上がるのは、甲状腺がんや急性甲状腺炎、甲状腺機能亢進症の可能性が考えられるが、あくまでも目安として用いられるマーカーなので、数値が上昇=甲状腺の病気というわけではない。
もちろん、将来、甲状腺がんになるというわけでもない。

サイログロブリンが上昇した2人に関しては、被曝が原因して甲状腺組織が壊れたことは推測できるが、断定できない。
おそらく時間とともに正常値になっていくと思うが、経過観察が必要だ。
大事なことは、健康診断をして、病気ではないけれど、基準値を超えた子に関しては慎重にフォローしていく体制をつくること。

全国のみなさんにも応援していただき、いずれ福島県内のいくつかのクリニックを拠点にし、子どもたちの甲状腺健診などが受けられるところを増やしていこうと思う。

JCFのスタッフブログに信濃毎日新聞の記事が載っているので、ご覧ください。

http://www.jcf.ne.jp/cp-bin/blog/

JCFが認定NPOに発展できたのは、最初に信濃毎日新聞賞を受賞し、県民の信頼を得たお陰。
記者がチェルノブイリを取材するなど、JCFに密着したこともあった。

これからも福島の子どもたちを守る活動を続けていきたいと思う。
ぜひ、ご支援をお願いいたします。

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2011年10月 4日 (火)

原発事故350

原発事故の賠償請求の現物を見た。約150ページの大部である。
ぼくが訪ねた飯舘村のおじいちゃんやおばあちゃんがこんなもの書けるとは思えない。
東電は、何を考えているのだろうか。

原子力損害賠償紛争審査会がつくられているが、そのメンバーの一人にNさんという学習院大学の教授がいる。
同時に、日本エネルギー法研究所の所長も務めている。
研究所には、週3回ほど出て、報酬は月約20万円とか。
教授のほうの仕事は、どうなっているのだろうか。

日本エネルギー法研究所はまったく中立だとコメントしているが、電力業界から電力中央研究所に年間合計300億円が出され、そのうちの1億数千万円が毎年、日本エネルギー法研究所にまわっている。
電力会社の職員も、日本エネルギー法研究所の事務をしている。
これが中立といえるのだろうか。

賠償問題で紛争が起きたときの審査会のメンバーに、こんな立場の人を選んでいるなんて信じられない。
民主党は、目を覚まさないといけない。
人事はものすごく大事なことである。
旧政権と同じような人選をしてどうするのだ。
政権交代した意味がないと思う。

もっと若手の国会議員を使うなどして、メンバーを選ぶときはきちんと身元調査をしたほうがいい。
しっかりしてほしい。

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原発事故349

南相馬市の桜井市長を久しぶりに表敬訪問した。
震災発生から半年以上、苛酷な仕事をしてきている。
心配していたが、元気そうであった。

夏休みが明けて、南相馬市の小中学生300人も戻ってきた。
お話をうかがったのは、緊急時避難準備区域が解除される前だったが、今後、一度避難して戻ってくる人が多くなるとみて、その準備をすすめていた。
その一つとして、保育園や小中学校のグラウンドの表土の除去を行っているという。

Img_3238 ベラルーシの林のなかにある泉。周囲の林は放射線で汚染されているが、この泉の水からは放射線は検出されていない

ぼくと同行した南相馬市でクリーニングをやっている高橋さんが、主婦の立場で語りだした。

「住民としてはもちろん自分の家に戻りたい。
でも、子どもがいる人たちはものすごく心配している。
学校だけでなく、道路も、家の庭も、何とかまち全体の除染をして安心できるようにしてほしい」

桜井市長は、東電への不満を述べた。
除染に対して、金銭的なことは何も示さないという。
要求すると、「職員をボランティアで出します」と言う。
のれんに腕押しにような対応らしい。

日本中から注目されるなか、いろいろな考えをもつ市民のリーダーシップをとっていかなければならない。
どんなにいいことをしても、立場が違うことから必ず批判がでる。
やってられないなと思うこともあるだろうな、と勝手に想像しつつ、市長室を後にした。

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イブラヒム来日

JIM-NETの現地スタッフ・イブラヒムは、イラク南部のバスラの子ども病院で院内学級の先生をしている。
そのイブラヒムが来日する。

10月7日19.0~、東京で講演会がある。
場所は、池袋の「月の砂漠」(JR池袋駅西口徒歩1分、マツモトキヨシ裏)。
会費は、ハーブティー付きで2500円。
イラクへの応援をかねて、ちょっと高いが、お茶を飲みながらイブラヒムに話が聴けるチャンス。
ぜひ、ご参加ください。

イブラヒムは10月11日、石巻にも入る。
JIM-NETらが共催する「石巻国際まつり ちょっとだけ世界に行ってみよう」に参加する。
イブラヒムのほか、貧困問題に立ち向かう海外ゲストらを被災地に招き、被災した方々との絆を深めるためのイベントを行う。
鎌田も40分ほどのミニ講演をする。

詳しくはこちら↓

http://www.standup2015.jp/event/ishinomaki.html

10月17日は、JIM-NETの総会にも出席し、帰国する予定。

東京か、石巻か、ぜひ、イブラヒムに会いに来てください。

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2011年10月 3日 (月)

大震災の意味

『希望-命のメッセージ』(東京書籍)が、信濃毎日新聞の9/25付の社説で取り上げられた。
「復興と未来 文明と生き方問い直そう」と題した社説は、国内外の論客の言葉を引いて、大震災の意味を考えている。

http://www.shinmai.co.jp/news/20110925/KT110924ETI090001000.html

『希望-命のメッセージ』はいろいろなところで紹介されている。
お読みではない方は、ぜひ、お読みください。

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95歳、負けてない

老人保健施設やすらぎの丘の看護師さんから、久しぶりに電話があった。
95歳のおばあちゃんが「鎌田先生に会いたいなあ」とつぶやいたという。

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胆汁を体の外に出す治療を受けているが、いつも前向きなおばあちゃん。
相変わらず頭の回転はよかった。
ぼくのことをしっかりと覚えていて、うれしいよう、うれしいようと何度も繰り返す。
ぼくにとっても、待っていてくれる人がいるというのは、うれしいことである。

病気に負けていない。
95歳という年齢にも負けていない。

こうやって年をとりたいな。
この方のように、かわいいじいちゃんにぼくもなりたいなと思った。

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不動の湯は続く

JIM-NETの千人風呂プロジェクトは、今も続いている。
湊小学校で行ってきた希望の湯は先月、利用者2万人を突破して閉湯した。

もう一つの不動の湯は5月初旬から永巌寺の境内で行ってきたが、7月15日、仏事の都合で永巌寺の境内から駐車場に移転し、今も続いている。
8月15日からは、JIM-NETから地元町内会に運営が移行。
今も、熊さんが手伝いながら、町内会がリーダーシップをとっている。
松本の神宮寺の高橋住職が、檀家さんの協力を得て、11月まで運営経費をもってくれることになった。

利用者は毎日50人前後。
形を変えながらも、千人風呂プロジェクトは続いている。

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2011年10月 2日 (日)

初もの じごぼう

今年初めてのじごぼうを、味噌汁にして食べた。

じごぼうとは、なめたけのようにぬめりがある、信州ではなじみのあるきのこ。
ちょっと不気味な形をしているが、味はおいしい。
ぼくは大好き。

前の家のおじさんが、山で採ってきてくれたものをおすそわけしてくれた。
畑で採れた枝豆やトマト、大根なども、いつもたくさんいただいている。
田舎生活のよさだ。

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ぼくの幸せそうな顔をみてください。

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2011年10月 1日 (土)

鎌田實の一日一冊(106)

『「ぐすぐす」の理由』(鷲田清一著、角川選書)

鷲田清一の文体が好き。
わかりやすく、ときには詩のような言葉が展開されていく。
鷲田さんの文体のおもしろさがこの本を読んでよくわかった。

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「律動と情調」というテーマでこんなことを書いている。
「そんなんあかん、あかん」「おしえてなあなあ」というふうに、大阪の人はよく言葉を重ねる。
「しゃあないなあ、わかった、わかった」
言葉を重ねるということによって、念を押すこともあるが、たたみかけるように言うことでおもねり、甘えをこめるということもある。
このリズムの向こう側に、何か大切な心を哲学者は読みとろうとする。
実におもしろい。

この本には、師・三木成夫先生の文章も載っている。

「われわれはマターmater(母)が、マーレmare(海)というラテン語に通じていることを見逃してはならない。そして、そのことは「海」の漢字に「母」の字が含まれ、「うみ」の大和言葉が「生み」に通じることでも端的に表現されている。
現代の生物学は生物発生の場が古代の海であったことをわれわれに教えるのであるが、古代人はもっと生き生きと知っていたのであろう。
すなわち、彼らは、自分の母親の姿、すなわち母性のなかに遠い海のおもかげを紛れもなくみていたのだろう。海の化身としての母の姿を」

三木先生の文章も美しい。
こういう話を21歳の医学生のころ、三木先生から直接聞けたことは、ぼくにとって奇跡的な出会いだったと思う。

『「ぐずぐす」の理由』は、刺激に富んだ本である。

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