2011年を振り返る⑤
来年も応援を
大変な一年だった。
東日本大震災が起きてから、時間をつくっては東北に通い続けた。
9ヶ月を過ぎても、東北の復興はまだまだだ。
震災による死者は1万5841人、行方不明者は3493人。
傷は深い。
ぼくが出演している「ニュースエブリィ」のがんばらないコーナーで、宮城県山元町の夫婦を取材させてもらった。
今も27歳の娘さんを捜している。
死亡届を出しても、なかなか心の決着がつかない。
海を眺めながら、お母さんが「海にいるんだろうね」と言う。
お父さんも「海にいるんですよ」とつぶやく。
12月、何人かのお母さんがぼくと話をしたいということで、巡回診療に南相馬に行った。
お母さんたちと、仮設商店街に再開した双葉食堂にラーメンを食べにいった。
隣の席にいたおじさんは、原発から20キロ内にある小高地区で漁師をしていたという。
家を失い、船を失い、息子を失ったという。
ぼくが「海に出たら元気になるじゃない」と言うと、「いや、眠れなくてね。海が怖い」と言う。
海岸から3キロの地点に立つだけで、身が縮む思いがするそうだ。
傷は深いなと思った。
夕映えの富士山
小さな男の子を今も捜している若いお父さんと、その子がいなくなった海岸沿いで話を聞いた。
家は海面から10メートル高いところに建っていた。
地震の直後、3メートルの津波が来ると放送が入った。
3メートルといわれ、だいじょうぶと思ってしまった。
地震で倒れた家具などを直しはじめ、その後の放送はもう耳に入らなかった。
そこに大きな津波がきて、たくさんの人が流されてしまった。
9ヶ月経っても、心の決着はつなかい。
捜しても捜しても、まだ捜し足りないところがあるのではないかと思うという。
20キロ圏の海岸も、できたら自分の手でもう一度捜したいという。
「もう冬が来てしまったので、これから捜索するのはむすがしい。春が来たら、警察や地域の人、全国からボランティアに集まってもらって、捜してみてはどうだろう。徹底的にもう一度捜せば、心の決着がつくかもしれない」
そうぼくが話を向けると、若いお母さんはこう答えた。
「心の決着は無理だなあ。ずっと背負っていくしかないと思っている」
まだまだ長い戦いになるだろう。
東北の人たちの傷が深いことを忘れないようにしたい。
被災地以外の人は、もういいだろうと思わずに、ほんのちょっとでもいいから、東日本を応援しつづける心を持ち続けてほしいと思う。
決して忘れることができない思いを胸に、静かに年を越えたいと思う。
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