原発事故395
核燃料の2004年の直接処分コストが隠蔽されていたことがわかった。
六ヶ所村の再処理工場を動かすために19兆円を国民が負担するという制度がとりまとめられたが、直接処分したときの費用のほうが安いという意見があったのにもかかわらず、そして経産省は試算していたにもかかわらず、いかにも試算がないように国民に隠してしまったのである。
明るくライトアップされる東京タワー
結局、使用済みMOX燃料はさらに再処理が難しくなり、コストがかさむことがわかっていながら、MOX燃料を使うプルサーマル計画が開始される。なんとひどいことか。
しかも、プルサーマルが動き出しても、もんじゅが動かなければ核燃料サイクルは完成しないのだが、肝心のもんじゅは動く可能性すらまったくない。
原子炉でウランを燃やして出来たプルトニウムは消費できないのに、それに対して批判がでないように、国民の目を欺いて、その場しのぎでやり過ごしてきたのである。
民主主義の根幹にかかわることだ。
また、電力は地域独占で、総括原価方式という必ず電力会社がもうける方法を作り出し、国民には高い電気料を払わせている。
資本主義の大原則である「競争」が行われない世界をつくってしまったのである。
どこの国でも当たり前に行っている発電と送電の分離をせず、自由な競争をさせず、ただ「原子力が安い」といいながら、原子力を推進してきたのである。
日本の原子力行政は、民主主義の根幹にかかわるし、資本主義の根幹にもかかわる。
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