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2012年3月 4日 (日)

10キュリーの村

ベトカ地区のある村は、かつて15~40キュリーの放射能で汚染された。
今は10キュリーと、少し改善した。
人口300人から27人に減った。
おじいちゃんは、言う。
「村の人たちは出て行ったけれど、自分は一度も出て行こうとは思わなかった」
息子や娘たちは町へ出て行って、おばあちゃんと二人で暮らしているが、さびしくはないという。

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家のなかを見せてもらった。
たいへんきれいに暮らしていて、新聞を読みかけていたのだろう、新聞紙の上にめがねが置かれていた。
汚染の村に住んでいるからといって、決して世捨て人ではない。
きちんと世の中のニュースに関心をもって暮らしている。

おじいちゃんはインテリジェンスがあって、自分で作ったジャガイモもカボチャも測定してもらって、規制値以下だと言っていた。
ホールボディカウンタも毎年受けて、自分たち夫婦は心配ないという。

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倉庫にはものが貯蔵されていた。
ロシア式のスチーム・サウナ、バーニャも見せてもらった。
おじいちゃんは、「水がおいしい」といい、ぼくに飲むのをすすめた。
「放射能は測定している。大丈夫だ」と。
おなかを壊さないか心配だったが、おいしかった。やわらかな水で、口当たりがいい水だった。

この村から車で20分ほど離れたところには数箇所、40キュリー以上の強制移住の区域があり、9人のサマショーロ(ロシア語で「わがままな人」という意味)が住んでいる。
毎回、ベトカに来るたびに寄っている「埋葬の村」を今回も訪ねるつもりだったが、雪が深くて立ち往生。
ナージャ先生もパンを届けると市場で買ってきたが、とても埋葬の村には行くことはできなかった。

                                         ◇

ベラルーシの取り組みを見て、日本でも参考にすべきことがたくさんあると思った。
まず、ずっと言ってきたことだが、福島県の各市町村にホールボディカウンタを最低でも1台、大きな市には3台ほど設置して、内部被曝の検査を徹底すること。
そして、食品の放射線測定をきめ細かく、どの地域でも自由にできるようにすること。
情報の公開と充実、子どもたちへの放射線教育に力を入れていくことも必要だ。
ベラルーシでは、子どもの保養を行ってきたが、福島から離れられない子どもたちは、健診をしっかりすることが求められる。

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