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2012年3月 1日 (木)

ベトカの母親と

ベトカに着くと、取材を依頼していた小さな子どもがいる2家族が病院で待っていた。

ナターシャさんは3人の男の子のお母さん。
社会保障係の心理療法士をしている。
12歳のときにチェルノブイリ原発事故が起きた。
町の人たちが半分いなくなった。
「何が起きたのかわからなかったけれど、たいへんなことが起きた」と思った。
それでも、一度も心配したことはなかった。
汚染の強い地域は強制移住の命令が出たので、それ以外の場所は大丈夫だと思ったという。
結婚するときも、子どもが健康に生まれてくるのかというような心配はなかった。
いま心理療法士をしているが、この町では放射線のことでノイローゼになっている人は少ない、ナターシャさんは一人もみたことはないという。

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マリーサさんは、2人の子どものお母さん。
チェルノブイリ原発事故当時、5歳。
「小さかったので何だかわからなかったが、なんだか大変そう」というのは感じたという。
いまはソーセージの製造工場で働いている。
このベトカで生まれ育ち、ベトカで結婚した。

南相馬の高村美春さんが、「福島の子どもたちのなかには将来、結婚できないのではないか、子どもが産めないのではないかと心配している子がいる」と言うと、マリーサさんは、「自分たちはそんなことは一度も考えたことはなかった」と言う。
「当たり前に好きな人と結婚して、子どももつくった」
ただ、すべきことはきちんとしてきたという。
健康診断を受けること、子どもをある時期までは年2回、いまは年1回、約24日間の保養に行かせることだ。
保養はイタリアかドイツという外国を選んでもいいし、黒海の近くの保養所に行ってもいい。
ベトカから約250キロ離れた、放射能の低い保養所に行ってもいい。
それは親が選ぶことができ、費用は無料だ。

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保養に行く前には、ホールボディカウンタで体内被曝を測定する。
それとは別に、ゴメリの専門病院から小児科、耳鼻科、眼科、甲状腺の専門医が来て健診をする。
血液やエコーの検査もする。
子どもだけでなく、親も年1回、ホールボディカウンタを受ける。

食品は、市場に出ているものは全て放射線測定され、証明書が出されている。
証明書がないものは売ってはいけないという。
それでも信用できないときには、自分で放射能を測定するところに持っていくと、自分で食べるものは無料、売るものは有料で測定できる。

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