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2012年4月20日 (金)

鎌田實の一日一冊(131)

「低線量被曝のモラル」(河出書房新社、3360円)

東京大学の医学や哲学、宗教学、音楽家で情報学の学者、言語メディア論、教育学などの学者らが、低線量の被曝をどう理解したらいいか多面的に分析をしている。
きちんと相手を批判しながら、低線被曝の問題をわかりやすくしようとしているのはかえる。
しかし、徹底的に相手を論破しないで終わってしまっているところにこの本の弱さがある。

そもそも体制をつくり、体制を守ってきた東大の研究者6人が、低線量被曝のモラルについて語ろうとしているのが、人を集めるところからモラルの欠如があるように思えてならない。

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リスクコミュニケーションという言葉がよく使われる。
専門家が一般に人にわかりやすく納得いくように伝える技術は、世の中が進歩すればするほど必要になってくる。
医学や臓器移植、放射線の問題などはいい例だ。

ポール・ラザースフェルドという社会学者が「ミドルマン」というキーパーソンを提唱した。
無数のメディア情報を受け取って要約し、わかりやすく説明したり、イメージ化できる人を「ミドルマン」といっている。
体制側に立つのではなく、国民の立場に立ってリスクコミュニケーションしたりする専門的課題の仲介者にならなければいけない。
問題は、どこに立っているかというポジショニングの問題である。

一人の医師がこう述べている。
「100ミリシーベルト以上の被曝量になると、発がんのリスクが上がります。といっても、100ミリシーベルトを被曝してもがんの危険性は0.5%高くなるだけです。
そもそも日本は世界一のがん大国です。2人に1人はがんになります。
つまりもともとある50%の危険性が100ミリシーベルトの被曝によって、50.5%になるということです。たばこを吸う人のほうがよほど危険といえます」

この医師の言葉を、情報メディア論の専門家が認識論的すり替えがあると批判している。
時間軸上の視点の混同があり、比較に不適切なものの比較をしているという。
たばこの問題はたしかに危険だが、たばこを吸わない人たちにとってみれば、たばこを吸う人のほうが危険というすり替えにはまったく至らないのである。
難しい言葉で分析しているが、なぜ、もっとわかりやすく説明しないのかなと思う。

「0.5%高くなるだけ」というが、ぼく住む町は約5万人にたとえると、0.5%は250人。
その250人が突然、見えない放射能のためにがんになるとすれば、地域医療をしてきたぼくたちはそれを必死に食い止めるだろう。
そもそも「日本は世界一のがん大国」だから、小さな町で250人くらいがん患者が増えてしまっても大した問題ではないといってしまう科学者の存在が問題なのだ。
100ミリシーベルトを知らないで浴びてしまった人がぼくの外来に来たら、「200人のうち199人はがんにならない確率なので、心配しすぎるのはやめましょう。注意しながら見ていきましょう」と説明すると思う。
しかし、まだ100ミリシーベルトを浴びていない人がいるならば、極力放射能を浴びない努力を呼びかけるのは当然だ。

だが、リスクコミュニケーターやミドルマンの存在になる学者の言い方一つで、「100ミリシーベルト以下なら安全」というふうにとらえられ、体制に利用されてしまう。
そして、その結果、被害を受けるのは、国民なのだ。

この6人のなかで、専門的なことをわかりやすく伝えられ、国民にも信頼されるミドルマンになりえるのは2人だと思った。
高くて分厚い本だが、低線被曝のことをどう考えたらいいか、それぞれが自分の考えをまとめていくうえできっかけになる本だと思う。

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