哲学の授業
諏訪中央病院看護専門学校の3年生の哲学の授業がはじまった。
「勇気とは」「生きるとは」「自由」などをテーマに哲学するという習慣を身につけてもらい、将来、「哲学のある看護師」になってもらいたいと思い、授業をしている。
授業では毎年、脳性まひの風(ふう)ちゃんに来てもらい、授業してもらっている。
風ちゃんは両手が使えない。
しかし、人生をあきらめていない。
以前、「不幸にして障害をもった風ちゃんは・・・」と紹介されたとき、「不幸か幸かは、人が決めるのではなく、自分で決める」と思ったという。
「私は体は不自由だけれど、心は自由」
風ちゃんはかっこいいのである。
風ちゃんが今年、ぼくにプレゼントしてくれた一畳半ほどの大きな「絵足紙」は迫力満点。
看護学生たちも度胆を抜かれた。
「今年こそは足手紙をプレゼントしたいと思っていたら、右足を痛めた。
それでも描きたくて、左足で描いてみた。
なあんだ描けるんじゃん。
鎌田先生が右足を痛めたとブログで知った。
なあんだ同じじゃん。
ちょっと「同じ」がうれしくて、くすっと笑った春。風子」
風ちゃんの手紙には、相手を思いやる気持ちやユーモアがあふれている。
風ちゃんにとって右足は、携帯をしたり、筆をもったり、スパゲティーを食べたりする大事な“利き手”。
その右足を痛めてギプスの生活をしているが、それでも負けない風ちゃん。
それでも左足で描いてみたら、「なあんだ描けるじゃん」
本当に風ちゃんは自由に生きている。
文字が遊んでいる。
絵は大胆。
心の遊びがあらわれている。
何よりのお見舞いをもらったと、感謝している。
そして、看護学生たちにとっても、一生忘れられない授業になった。
授業では、学生に課題を出した。
10年後の自分に、「自由とは何か」
提出はしなくていい。
必ず10年後、自由について書いたこの課題を読み返してもらいたいと伝えた。
授業の後、20人ほどの予約外来の患者さんを診ると、足がパンパンに腫れた。
それでも、とてもうれしい一日だった。
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