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2012年5月 7日 (月)

原発事故419

仙石由人さんが、原発の再稼動をしないのは日本がある意味、集団自殺をするようなことになってしまう、と言った。
民主党はお子様ランチみたいな議員が多いなかで、仙石さんはちょっと異色で、原子力村をつくってきた政治家みたいな体質が感じられる。
彼流の日本に対する考え方なのだとは思うが、言葉を使う政治家しかも弁護士である人の言葉としては、あまりにも感性が乏しい。

関係4閣僚で原発の再稼動を政治判断するといっているが、いつも仙石さんがオブザーバーとして参加していることも、なぜかわからない。
まるで仙石さんがシナリオを書いているような気がしないでもない。

Img_0256 諏訪中央病院の庭、チューリップが鮮やか

まず、大事なのは、電力が本当に夏、足りなくなるのかどうかである。
そのことに対して、中立な専門家がリスクコミュニケーションという考え方で、電力会社の言いなりにならずに、専門家としてのジャッジをすべきである。
国民に電力が足りるのか足りないのか、きちんと示さなければならない国民は納得できない。
4人の閣僚が政治判断で決めるなんてことで、納得できるわけがない。

原子力規制庁を早くつくることである。
原子力安全委員会も、原子力村に入らず、電力会社やその関連組織にお金をもらわずにやってきた専門家を登用すべき。
国民が納得できるようなメッセージを出せる原子力規制庁や原子力安全委員会をつくり、そこから発言したものを政治判断するのが最も正しいことだと思う。
質の高い、いろんな意見をもつ研究者、専門家を集めて議論し、それを国民に示したうえで、政治判断するのが、国民にはわかりやすいことだと思う。

議論は激烈になり、委員会は荒れてもいい。
民主主義だから採決で決められるが、どんな結果になったとしても、そのプロセスを国民に明らかにすることが大切だ。
そういう議論を経た結論でなければ、いきなりだれかがした政治判断には重みがない。

前々から言っているが、「低線量被曝の健康障害」とか「原発の再稼動」「電力の需給状況」などについて、一般にわかりにくいテーマをきちんとわかりやすく、ニュートラルな立場で説明できるリスクコミュニケーターあるいはミドルマンという存在をおくべきである。
言うまでもないが、原子力村の専門家は適当ではない。この人たちはすでに、言葉の信頼を失っているからである。

政治に最も問われるのは人事。
野田首相の人事ベタは有名であるが、外務、財務、防衛という国の根幹を任せる大臣がすべて素人である。
ミス人事としかいいようがない。
これでは政治中心の国家運営ができるわけがない。
原子力規制庁には、その根幹となる委員会のメンバーの人事に期待したい。

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