連載記事が教材に
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先週、南相馬を訪ねたとき、双葉食堂に行った。
すると、あるおばあちゃんから声をかけられた。
おばあちゃんは、何番の仮設住宅の・・・と名乗ろうとしたが、それを聞く前に、ぼくにはすぐにわかった。
あの、ブタと闘ったおじいちゃんのつれあいだ。
以前、毎日新聞の連載に、ブタと闘って逃げなかったおじいちゃんの話を書いた。
3.11で、津波がおしよせブタが流れてきた。
そのブタが自分の家を壊したり、畑を荒らしたりするのを防ぐために、20キロ圏内の自宅から逃げずにいたおじいちゃんのことだ。
そのおじいちゃんが、この日の5日前に、肺がんで亡くなったということだ。
そのことをぼくに知らせようと、おばあちゃんは仮設商店街の外のいすで、ずっとぼくを待っていたという。
鎌田が南相馬に来るときには、きっと双葉食堂に立ち寄るにちがいないという町のうわさを聞きつけて。
毎日新聞の記事が出たときには、友人から新聞を見せてもらって、夫婦2人でとても喜んだという。
明日8月1日、南相馬を訪ねるが、そのとき、おじいちゃんにお線香をあげに行くと約束した。
おばあちゃんは、息子さんも肺がんで亡くしている。
しっかりしたおばあちゃんで、息子さんは亡くなってしまったが、やさしいお嫁さんにみてもらえて、「わたしも孫も助かっている」と言う。
その後、仮設住宅を2軒ほどまわってほしいといわれ、巡回診療もした。
双葉食堂に入ると、小高(おだか)中学の生徒たちが、一緒に写真をとりたいといって、みんなで記念写真。
小高中学はもともと20キロ圏内にあるが、今は30キロ圏外の小学校の校庭の横に仮設の中学をつくり、そこで勉強をしているそうだ。
みんな、いろんなことを我慢しながら、前向きに生きている。
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先日、南相馬を訪ねたとき、横山さんの家に泊めてもらった。
横山さんは小高地区に暮らしていたが、津波で家を流された。
写真をみせてもらったが、新しく、立派な家だった。
ご夫妻はつらい目にあっているのに、双葉食堂の再建に力を貸したり、絆診療所のオープンを応援したり、いつも自分のことを横において、人のことを考えている。
福島にはこういう人がとても多いように思う。
ひしさぶりによその家に泊まった。
はじめておつかいならぬ、はじめてのお泊まりみたいなもので、ちょっと緊張した。
だが、なんと、いつもよりぐっすり寝てしまったようだ。
このごろ、福島の人が親戚になったような感じがしている。
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先日、講演をした東京のちひろ美術館は、すてきな美術館だ。
講演のテーマは「困難な時代をどう生きるか」。
ちひろさんはひとり息子の猛くんを描いているが、母親の子どもに対する思いを考えながら、38億年の命の歴史、命のつながりのことを語った。
どうしたら平和をつくりだすことができるのか、環境を守ることができるのか。
チェルノブイリやフクシマのことを考え、原子力をどのように考え、どのように生きたらいいのか。
福島で体内被曝を測定した結果や、ガラスバッチの測定結果についても話した。
こんな事故は二度と起こしてはいけない。
ぼくたちは、生き方を変えるときがきているのではないか。
われわれはどこから来たのか、そして、どこへ行くのか。
この本質的な問いにどうこたえるのか。
いろいろなむずかしい問いに、一人ひとりがきちんと向き合い、答えを出すときがきているのではないかーー。
そんな話をした。
みんなこの国をなんとかしなくちゃいけないと強く思っているようだった。
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玉川村での加藤登紀子さんと鎌田のトーク&コンサートが無事、終わった。
近くの5つの町村が共同して行った事業で、こんなに人が集まったのははじめてというほど人が集まった。
おトキさんのコンサートは抜群によかった。
CD「ふくしま・うた語り」に入っている「貝殻のうた」や「スマイル・レボリューション」を歌い、ぼくの講演の最後には「海よ、大地よ」を歌った。
おトキさんは気合十分。
会場は、みんなでの合唱など、たいへんな盛り上がりになった。
「元気がでた」「来てよかった」「うれしかった」「泣いた」・・・と、たくさんのうれしい声が聞こえてきた。
このトーク&コンサートのことを聞きつけて、遠くから来てくれた人もいた。
南会津町に住んでいるという方は、浜通りや中通りの被災者を受け入れ、南会津から給付金が出ることになったという。
そのお金を全額、福島の子どもたちに役立ててください、と寄付をいただいた。
これからも浜通り、中通りの人たちを応援していきたいとのことだ。
ひらた中央病院からもいろいろな差し入れをいただいた。
東北の人は、とにかくあたたかい。
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「あの日 あの時 愛の記憶」
めちゃくちゃ魅力的。
アウシュビッツ収容所で、レジスタンスをしていたボーランド人の青年と、ユダヤ人の女性が恋に落ちる。
奇跡の脱走をはたすが、青年の母親はユダヤ人との結婚を認めようとしない。
青年は任務を抱え、家から離れ、混乱のなかで2人は離れ離れになってしまう。
お互いに、死んだと思い込む。
女性はアメリカにわたり、結婚して子どもをもうける。
あるとき、テレビのなかで、かつて恋におちた青年がインタビューに答えているのを見た。
1ヶ月ほど前、絵本「アハメドくんのいのちのリレー」を持ってパレスチナを訪ねたとき、何人かのパレスチナ人に「ホロコーストのことを書くな」と言われた。
ホロコーストの悲劇を理由に、イスラエル人はパレスチナ人の地を占領しているのだという。
でも、間違いなくホロコーストはあった。
そして、深い傷を負った若者たちがいた。
なんとも切なくなるラブストーリーである。
胸がキュンと切なくなる。
エンディングマークが出た後も、この後いったいどう展開するのか、気が気ではなかった。
映画は終わっているはずなのに、この後もう一度、このつづきがはじまるのではないかという錯覚に陥るような不思議な映画だ。
描写が丁寧で、残酷で、美しく、これぞ映画と思わせてくれる魅力満載の映画である。
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「そうだ、せんせいにきいてみよっ!!」という、子どもをもっている若いお母さんたちの勉強会に出た。
南相馬の産婦人科医・高橋亨平先生と、絆診療所の遠藤先生と一緒である。
120人近く集まったお母さんたちの質問に、3人で答えていった。
遠藤先生は甲状腺外科医で、甲状腺の専門家である。
お母さんたちから多く発せられた、甲状腺についての質問に対しても、ていねいに答えた。
出産と妊娠については高橋先生が答えた。
高橋先生は除染研究所をもらっておられたり、放射能が当たらないように野菜をつくる野菜工場ももっている。
単に「だいじょうぶ」というだけでは、お母さんたちの不安をとりのぞくことはできない。
切実な質問が多かった。
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先日、ひばりFMという南相馬の地域FMに出演し、8月1日、さだまさしさんと1000人の会場、南相馬市民文化会館・ゆめはっとでコンサートをする話をした。
さだまさしさんとチャリティーコンサートをしたが、そのお金をもって、被災弱者の6つの施設と、子どもの遊び場づくりをしている子ども共和国、絆診療所、遺児と孤児になった子どもたちを支える基金などを訪ねることにした。
そして、そこでお金を渡すとともに、2人でちょっとずつおしゃべりをしてこようと思っている。
最後に、ゆめはっとでトーク&コンサートをしてしめくくる。
ぼくたちはもちろんボランティアだが、市民は有料にして、そのお金を全額、南相馬遺児孤児基金そのほかの団体に寄付しようということになった。
絆診療所には午後2時ごろ、子ども共和国の遊び場には3時ごろの予定。
そのあと、被災弱者の6団体に集まってもらい、さだまさしさんと鎌田がおしゃべりで元気づけをする。
ひばりFMでそんな話をすると、チケット1000枚は即日完売。
ありがたいことだ。
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南相馬に住む詩人の若松丈太郎さんを訪ねた。
「神隠しされた街」の詩を書いた人である。
もともとは国語の教師をしていた。
17年前に書いた「神隠しされた街」は強烈なインパクトで、たくさんの方から「心をゆさぶられた」というお便りをいただいている。
・・・・ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
日がもう暮れる
鬼の私はとほうに暮れる
友だちがみんな神隠しにあってしまって
私は広場にひとり立ちつくす
デパートもホテルも
文化会館も学校も
集合住宅も
崩れはじめている
すべてはほろびへと向かう
人びとのいのちと
人びとがつくった都市と
ほろびをきそいあう・・・・(「神隠しされた街」より一部抜粋)
その「神隠しされた街」に加藤登紀子さんが曲をつけた楽曲を収録するCD「ふくしま・うた語り」は売れ行き好調。
約4000枚を売り、もうすぐ増刷になりそう。
若松さんも、この曲には満足しているといってくれた。
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「最強のふたり」
実におもしろい。
ハンググライダーの事故で頚髄損傷をおこし、両手両足がまひしたお金持ちと、介護のために採用された、下品でおちゃらけの黒人青年。
怖いもの知らずの最強の2人が、ポエティックな話や有名な絵画、クラシック音楽の話をしながら、下品でわいせつで、ふざけた会話だけでなく、おっとと思うような行動をしてしまう。
これが人間だよなと思わせてくせれる。
チンピラのような青年が大富豪を特別視しないのがいい。
からかったり、いじわるをしたり、ふつうはやってはいけないようなことを平気でするが、なんとも憎めない。
大富豪もむっとしたりしながら、うれしくてたまらなくなる。
こんなにつっこまれることは、彼の人生のなかでほとんどないことだった。
このふざけた青年といる時間が楽しくて、楽しくて、しかたなくなるのだ。
実話である。
最後にワンシーンだけ、本物の最強のふたりが出てくる。
どんなに絶望的な状況に陥っても、生きていく勇気をくれる映画だ。
めちゃくちゃ下品で、めちゃくちゃ上品。
おもしろくて、楽しくて、うれしくなる、こんなステキな映画は久しぶり。
一年に1、2本しか映画をみない人も、映画通も、厳しい映画評論をする人も、この映画なら拍手まちがいなしだと思う。
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ピースボートは昨年、福島の中学生を招待し、アジア各国での国際交流を行ったが、今年も福島の高校生を対象に「福島子どもプロジェクト」を展開する。
福島の高校生たちが、ロサンゼルスとメキシコでの音楽プログラムを経て、ベネズエラの高校生らとともに、メキシコから横浜港へとクルーズするというものだ。
ベネズエラの青少年オーケストラ「エル・システマ」は、貧困や犯罪から子どもたちを救う取り組みもしている。
1999年に、3万人ともいわれる犠牲を払った中南米 最大の大洪水を生き抜いてきた地域の子たちが参加予定だ。
旅の最後には、福島とベネズエラの若者たちがコンサートを行う。
ぜひ、聞きにきてください。
『加藤登紀子&鎌田實ふくしま・うた語りスペシャル
日本×ベネズエラ音楽交流プロジェクト帰国コンサート』
日時 2012年8月18日(土)
16:00開場 16.30開演 18.30終演予定
会場 津田ホール
〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷1-18-24
JR「千駄ヶ谷駅」、都営大江戸線「国立競技場駅」 ともに徒歩1分
http://tsudahall.com/THHP2/mainindex.htm
出演者
加藤登紀子 鎌田實 NTT東日本東京吹奏楽団 福島テレビ(FTV)ジュニアオーケストラ ベネズエラ青少年オーケストラ「エル・システマ」
プログラム
第一部 FTVジュニアオーケストラとベネズエラ「エル・システマ」の共演
第二部 加藤登紀子とNTT東日本東京吹奏楽団によるコンサート
第三部 加藤登紀子と鎌田實による「ふくしま・うた語り」、出演者全員によるフィナーレ
チケット
大人:5,000円 ※全席自由、6歳未満は無料
定員450名
購入方法
電話もしくは下記サイトよりお求めいただけます。
電話:03-3363-7967 (10:00~19:00 土日祝休)
WEB:http://pbv.or.jp/project/fukushima/2012concert.html
主催 国際交流NGOピースボート、一般社団法人ピースボート災害支援ボランティアセンター
協力 トキコプランニング
後援 駐日ベネズエラ・ボリバル共和国大使館
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先日、大竹まことのゴールデンラジオに久しぶりに出演した。
「ふくしま・うた語り」に収録されている、若松丈太郎作詞、加藤登紀子作曲・朗読の「神隠しされた街」を流してくれた。
ピアノのイントロで、大竹さんが「うわ、こりゃすごい」と言った。
作家の室井佑月さんが「泣けそう」。
なんでもいってください、応援しますと、音楽が流れている間、2人が絶賛してくれた。
「アハメドくんのいのちのリレー」「ニッポンを幸せにする会社」(ともに集英社)も大竹さんは気に入ってくれて、うまく取り上げてくれた。
なんとも充実した25分間の出演時間だった。
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諏訪中央病院看護専門学校の第10回文化祭が7/29に行われる。
13時30分からは、東日本大震災で被災した南相馬の高村美春さんが講演する。
テーマは「原発事故による放射能から子どもたちを守る」。
高村さんとは今年冬、一緒にチェルノブイリに行き、放射能対策の現状をみてきた。
14時30からは、カマタも登壇し、対談する。
日用品や食料品のバザーや、看護体験ブース、各学年の合唱の発表、炊き込みご飯やチョコバナナなどの模擬店もあり、たのしい。
ぜひ、足をお運びください。
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ぼくはいつも山盛りのサラダを食べている。
油を減らしたい日は、自分の庭でとれたきゅうりをきざんで、おかかとしょうゆで食べる。
そのしょうゆに、カメビシの減塩しょうゆを使っている。
関西の濃いしょうゆで、43%減塩している。
濃い口しょうゆは、関東の人にはなじめないかもしれないが、減塩を忘れさせてくれるくらい色が濃くて、見た目だけでしょうゆをかけた満足感がある。
なのに味はまろやかで、あまりしょっぱくない。
もちろん、しょうゆは発酵しているものだから、体にはいい。
サラダは、塩昆布と、少量の食べるラー油、そして、カメビシの減塩しょうゆをちょっとだけたらして食べている。とてもおいしい。
試してみてはいかが。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
読売新聞のヨミドクターに「保養」のとりくみが紹介されました。
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10月8日(月・祝)にJCF主催で加藤登紀子さんのコンサート&鎌田の講演会があります。
本日、ローソンチケットLコードでチケットを発売します。
ぜひ、会場にお越しください。
「ふくしま・うた語り」加藤登紀子コンサート&鎌田實いのちの講演会
日時 2012年10月8日(月・祝)
15時開場 15時半開演
会場 松本市キッセイ文化ホール
(長野県松本文化会館) 中ホール
チケット代金 全席指定 5000円(未就学児はご遠慮ください)
チケット販売
・ローソンチケットLコード 73220 7月20日発売開始
・キッセイ文化ホールチケット販売窓口での発売は7月30日予定
・カタクラモールインフォメーション発売開始 7月30日予定
・問い合わせ 日本チェルノブイリ連帯基金JCF事務局内
電話0263-46-4218
・後援 松本市 松本市教育委員会
コンサートの収益の一部は福島支援に充てます。
福島から避難している方をご招待いたします。
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麿 赤兒の舞踏をみてきた。
舞踏家で俳優。
かつて唐十郎の状況劇場の看板スターだった。
唐十郎の美しくて長くて激しい台詞をしゃべる麿赤兒もよかったが、言葉を超えて、言葉のない世界に突入していく舞踏もおもしろい。
麿 赤兒が主宰する大駱駝艦、創立40周年になる今回の舞台は、タイトルが「ウイルス」。
13のシーンからできている。
地球上に生命が誕生し、カンブリア紀のことを想起させる「カンブリアの思い出」。
その後、「RNAの戦略」というシーンがでてきたり、「DNAの悔恨」「太陽をいけどる」「未来の記憶」など、不思議なシーンが展開されていく。
生命が誕生し、地球上にウイルスがひろがっていく世界を表現している。
言葉の世界もおもしろいが、言葉を超えた世界もおもしろい。
◇
秋の唐組紅テントの金沢公演には、久しぶりに麿赤兒が出るとのこと。
どんなことがあっても飛んでいきたいが、すでに大分での講演が決まっていて、行くことができそうもない。
とても残念だ。
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厚労省が胆管がんの労災時効を凍結することを決めた。
すばやい対応は評価してよい。
印刷所で使われていたある種の有機溶剤が原因と思われる。
5事業所で18人が胆管がんを発症し、9人が亡くなっている。
労災の時効は休業補償の場合は2年、死亡した場合は死後5年。
この時効にかかわらず、労災申請を受け付けるという。
胆管がんの原因は今まではわからなかったが、最近、1、2ジクロロプロパンとジクロロメタンが原因ではないかといわれるようになった。
まだ、1,2ジクロロプロパンとジクロロメタンが原因だとはっきり証明されているわけではないが、これらを使っているところで胆管がんになった人は、もしかしたら、と労災申請をする人が出てくる可能性がある。
1,2ジクロロプロパンとジクロロメタンは、印刷所のほか、繊維関係の仕事でも使っている場合があるという。
かつて職業病として労災の対象になったもので有名なのは、煙突掃除をしている人の膀胱がんや、石材の仕事をしている人たちの肺線維症などである。
病気の原因がわかれば、マイクをしたり、換気をしたりなどいろいろな回避方法をみつけ、健康被害を最小にすることもできる。
原因の解明につとめながら、まずは、労災時効の凍結をしたことはいいことだと思う。
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ニセアカシアの木は大きく生長し、葉を茂らせている。
50メートルほど離れた御柱海道が、茂った葉でまったく見えなくなった。
岩次郎小屋は小さな森に囲まれたよう。
先日、地元の東部中学でボランティアの講演をした。
1年生の国語の教科書に「雪とパイナップル」(集英社)が載り、子どもたちがぼくに興味をもったようだ。
校長先生が何度も来られ、子どもたちにぜひ授業をしてほしいということだった。
茅野市の教育委員会も、いろいろな経験をしている人たちを呼んで、子どもたちにレクチャーするという「ようこそ先生」というモデル事業を立ち上げたという。
教育委員会でも講演をし、父兄や市民がたくさん集まった。
ぼくは中学校や高校などで毎年、ボランティアで講演をしているが、この東部中学はすばらしい学校だった。
子どもたちが事前学習をし、ぼくの本をじつに深く呼んでおり、それぞれの学年の代表が発表をした。
講演のはじまりのときも、終わった後も、とぎれることのない大きな拍手があり、その後も質問の手がたくさんあがった。
これほどの学校はいままでなかった。
「学校は荒れていない」と校長先生は言った。
中学のころ、ぼくは勉強ぎらいだったが、どうして勉強をしたくなったか。
本をたくさん読む習慣がどうやってついたか。
朝型の生活にした理由は。
そんな話もした。
一時間半、さわぐこともなく、寝ることもなく、ほとんどの子が目をかかやせて、ときには女の子たちは涙をうかべながら、ぼくの話を聞いてくれた。
この後も学校では、ぼくの話を聞いたうえで、秋まで持続的に勉強し、掘り下げていくという。
中学生たちに役に立つようなら、来年も継続してボランティアをしないといけなくなりそうだ。
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諏訪中央病院の緩和ケア病院の回診を再開した。
松本にあるアイザワ病院から緩和ケアの研修に医師が来られており、諏訪中央病院の若い医師と一緒にひさびさの回診をした。
諏訪中央病院の緩和ケア病棟の特徴でもあるが、患者さんたちに笑顔が多い。
午後は、たくさんの患者さんを診た後、産婦人科と緩和ケア病棟の先生たち6人でぼくの快気祝いと誕生祝をしてくれた。
特に産婦人科の青山先生は、緩和ケアや漢方医療にも興味をもたれて、諏訪中央病院に来てくれた。
緩和ケア病棟の原先生と鎌田と3人で、以前はよく回診したものだ。
気が合うのだ。
食事をしながら、こんな話で盛り上がった。
緩和ケア病棟では焼き肉会や七夕会をしたり、毎月のように催しものがあって盛り上がっている。
今度は、産婦人科と緩和ケアのスタッフと患者さんで、一緒に納涼会をしようという話になり、若手の研修医たちがやる気になっている。
これから院長や看護師長たちに了解が得られれば、いい交流会になると思う。
実は、緩和ケア病棟にはひ孫の誕生を楽しみにしていたおばあちゃんがいた。
しかし、命は秒読みの段階。
産婦人科ではそのことを承知していなかったが、難産になりそうで帝王切開になり、無事に生まれた。
おばあちゃんはひ孫を抱くことができた。
翌日、おばあちゃんは亡くなったが、出産した孫も大満足。
家中の人たちが納得した生と死だった。
死を前にした患者さんたちにとって、生命の誕生や赤ちゃんの存在は非常に大きな癒しになると思う。
自分は死んでいくが、新たな命が生まれてくることを確信すること、あるいは納得することで、自分が死んでいくことを少しだけ受け入れやすくなるのではないか。
新病棟をつくるとき、小児科産婦人科病棟と緩和ケア病棟を隣同士にしたのは、命のバトンタッチがみえるようにしたかったためだ。
引退した自分が口出ししては思い、そのことは語ってこなかった。
産婦人科の医師と緩和ケアの医師が交流しながら、そのことに気づいてくれたことがうれしい。
産婦人科と緩和ケアが一緒になって、何か、日本ではじめての取り込みができるかもしれない。
日本緩和ケア学会などでその成果や結果を発表したらいいね、と緩和ケアのドクターに話した。
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忙しい生活が戻ってきた。
朝4時半に起きると、岩次郎さんにコーヒーをあげ、一日がはじまる。
20日には、南相馬に行き、絆診療所で健康講演会をすることになった。
遠藤先生が、被災地の人に請われて仮設商店街に開いた診療所である。
ソロバンをはじいたらとても割の合わない仕事だ。
にもかかわらず、彼は被災地の人たちのために一肌脱いだ。
その遠藤先生をぼくも応援しようと思っている。
講演の後は、子どもをもつお母さんたちが「子どもが外遊びをしていいか」という不安をもっているというので、遠藤先生と、南相馬の医師会長の高橋亨平先生と鎌田の3人でシンポジウムをする予定。
「ふくしま・うた語り」に収録されている「神隠しされたまち」の詩人、若松丈太郎先生にもお会いしてくる。
横山さんは津波で家を流されたつらい体験をしているが、ぼくが福島に行くと、ぼくにごちそうしようと手ぐすねひいて待っている。
おそらく、横山さんの新しい家に泊めてもらうことになると思う。
いろんな人に泊まっていけと言っていただけるのは、もうひとつのふるさとができたようでうれしいかぎりだ。
21日は玉川村の「たまかわ文化体育館」で、おトキさんこと加藤登紀子さんと、コンサートと講演会をする。http://www.vill.hirata.fukushima.jp/news/kokoro2012/view
この地域の方々を2人で元気づけたいと思っている。
22日は東京都練馬区のちひろ美術館で命の講演。
いわさきちひろさんの絵は、黒柳徹子さんとの共著「ずっとやくそく」(単行本=ソフトバンククリエイティブ、文庫本=新潮文庫)にたくさん絵を貸していただいた。
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ぼくがプロデュースした4枚の音楽CD、
「ひまわり」、「ふるさと」、「おむすび」、そして「ふくしま・うた語り」。
すべてジャケットは太公良さんのデザインだ。
その太さんが今回ステテコをプロデュースしたという。
ポップでとってもかっこいい。
この夏、ぜひお一ついかがですか。
ご購入はsteteco.comでどうぞ。
http://www.steteco-shop.com/fs/steteco/c/takora
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先ごろ、諏訪中央病院のほろ酔い勉強会が行われた。
今回は、諏訪中央病院の小林外科部長に「痔のお話」、東京医科歯科大学大学院整形外科の大川淳教授に「なぜ腰は曲がるのか」という、とても興味深い話をしていただいた。
たくさんの人が聞きに集まり、会場の外にまでいすを並べて聞いていただいた。
質問もたくさん出て、関心の高さがうかがえた。
大川教授は、かつて諏訪中央病院の整形外科部長だった。
ぼくは、3ヶ月前、諏訪中央病院の整形外科で骨折の手術をしたが、そのスタッフと大川教授と、ぼくの快気祝いをかねて、一緒に食事をした。
大学の医局でも、医師たちの間で諏訪中央病院への赴任は人気が高いと聞き、うれしくなった。
ほろ酔い勉強会は、多彩なゲストの先生や諏訪中央病院の医師たちが、身近な病気の話をわかりやすく説明してくれる。
2ヶ月前に行われた、信州大学の内科学第一講座の久保先生の呼吸器感染症の話も興味深かった。
次回はちょっと先だが9月12日にこんな内容で開催する。
「意外と知られていない口腔ケアの重要性」
講師:諏訪中央病院 歯科口腔外科部長 上原忍先生
「家庭で出来るムセ防止」
講師:諏訪中央病院 リハビリテーション科副技師長 帯川一行先生
「お酒の話」
講師:諏訪中央病院 内科医師 松山 有隆先生
興味がある方は、ぜひ、聞きにきてください。
会場は、諏訪中央病院の研修センター、入場は無料です。
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「がんサポート」7月号で、村上信夫さんと対談した。
希望をもつこと、笑うこと、ときには泣くこと。
病気と闘ううえでとても大事なことを二人で話し合った。
20年前、ある慢性骨髄性白血病の人が急性増悪で、厳しい状況に追い込まれたとき、骨髄移植をうけるかどうか迷っていた。
骨髄のタイプは最適ではなかったが、ドナーは1人しかみつからない。
移植をうけても助かる確率は1%といわれた。
しかし、この患者さんのお姉さんがこう言った。
「あんた、1%もあるやん」
「1%しか」と思うのと、「1%も」と思うのではえらい違い。
ポジティブに考えることは病と闘ううえでとても大事だ。
小さなことに感動することも大事。
・・・などと、語り合っている。
下諏訪の万治の石仏。なんとなくかわいらしい。
村上信夫さんとはいま「日曜はがんばらない」で毎週、いろんな話題で語り合っている。
笑ったり、泣いたり、感動したり。
そんな番組にしたいと思っている。
明日15日(午前10時~、文化放送)の放送も、ぜひ、聞いてください。
番組のHPからも、過去の放送が聞けます。
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第16回鎌田實と行く
ドリームフェスティバル in ふくしま 3日間
日程:平成24年9月24日(月)~26日(水)
ドリームフェスティバル、国内は今年で9回目。
旅は生きる力をくれます。
昨年の松島に引き続き、東北を応援する旅。
自分も元気になり、その地域を元気にする旅。
今年は福島を応援しに行こう!
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CD+DVD「大変なンすからもぉ。」は、歌とトークがむちゃくちゃおもしろい。
無名の大型新人(?)きだまきしとTake it All Japan(テキトー・ジャパン)の正体は、言わずもがな。
「北の国から~蛍のテーマ」をもじった「北の方から~ホタテのテーマ」とか、大怪獣ナマラとか、東新町ブルースとか、幕下の女の子とか、わけのわからない曲が満載。
とにかく笑って、笑って、笑い転げてしまう。
笑いの足りない方、ぜひ、どうぞ。
絶対にあなたを裏切らない。
めちゃウケです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎お知らせ
13日の「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送、13.0~)には、2時25分ころから出演する。
骨折のため、一度、出演をキャンセルしたことがある。
足が治ってからは、今回がはじめて。
どんな話題になるか、行ってみなければわからない。
テーマは、突然、大竹さんから出され、夢中になって2人で話してしまう。
どうぞ、お聞きのがしなく。
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OPEN GARDEN × おいでなして
7月18日(水) 11:00-12:00頃まで
どなたでもご参加ください!
諏訪中央病院のハーブガーデンにて、ハーバリストの萩尾エリ子先生をお迎えし、オープンガーデンが催されます。
ガーデンのハーブ説明、ハーブティーの作り方・活用法、ハーブ地図のご案内、ブーケの作り方などなど。イベント盛りだくさん。生ハーブティーの振る舞いもあります。ぜひご参加ください。
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ぼくの文庫は、集英社から多く出ている。
『がんばらない』から『生き方のコツ 死に方の選択』『なげださない』、そして最新の文庫『いいかげんがいい』まで、9冊になった。
うすい緑色の背表紙が鎌田實のカラーだ。
集英社の夏イチというフェアが今年もはじまった。
夏に読んでもらいたい100冊をおしている。
この10年間、ぼくの文庫は毎年100冊に入っているが、今年の夏イチには『あきらめない』が入った。
鎌田の世界を、文庫本でもぜひ、ご堪能ください。
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13日金曜日、「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送、13.0~)に出演することになった。
加藤登紀子さんとのジョイントの曲「海よ、大地よ」を流してもらえるかもしれない。
ただし、大竹まこと流なので、どんなテーマになるか、行ってみなければわからない。
そのときの政治の状況を、怒りをこめて語り合うことも多い。
さて、どうなることやら。
お楽しみに。
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ロンサム・ジョージが死んだ。
ガラパゴスのゾウガメである。
昨年2月、ぼくは南米エクアドルのガラパゴス諸島を訪ねた。
ガラパゴスのゾウガメは、それぞれの島で少しずつちがう。
ジョージが死んだことで、ビンタ島のゾウガメは絶滅した可能性が高い。
かつて、もののない海洋の時代、ゾウガメは食用に乱獲された。
生きたまま船に乗せ、時期がくると食べるのである。
パレスチナとイスラエルに行っている間に、孤独なジョージの訃報を知って、ちょっとさびしくなった。
※以下の文章は、2011年2月にガラパゴスを訪ねたときにブログにのせようと思っていたもの。
日本に帰り、すぐに東日本大震災と原発事故が発生したため、ずっとお蔵入りになっていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎悲しきゾウガメ
ビンタ島のゾウガメ、ロンサム・ジョージはもう100歳。
最後の一匹になってしまい、ダーウィン研究所で繁殖を試みているのだが、うまくいっていない。
交尾そのものが少ない。
交尾に成功しても、卵は孵化しなかった。
2007年、ガラパゴス諸島は、世界自然遺産のなかでも危機遺産として登録された。
その後、生態系を守ろうとする取り組みにより危機遺産の登録は解除されたが、問題はまだまだ解決していない。
オス同士のゾウガメが、何を間違ったか、交尾の姿勢をとっている。
なんともユーモラスで、悲しい光景であった。
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千人風呂プロジェクトとして昨年4月6日にスタートした、石巻の永巌寺の不動の湯が本日7月9日、いよいよ幕を閉じる。
ルビナ中部工業が中心になって、ディーゼル発電機、大型ボイラー、ポンプ、ビニールプールなどを用意してくれた。
当初は、ピースボートのボランティアや松本の神宮寺の高橋和尚らが応援してきたが、その後、地元の中央正和会がコミュニティスペースとして運営を続けてきた。
お風呂の横にあったコミュニティスペースは、町内の元ふとん屋さんの空き店舗に移り、これからもみんなでお茶を飲んだり、おしゃべりをしたりする場所としてうけつがれていく。
そこで、ときにはライブもやろうという考えもあるようだ。
ひと区切りを迎えるに当たり、これまでたくさんの方々に応援していただいたことに感謝します。
しかし、形は変わっても、支援は続いている。
JIM-NETのスタッフであった熊さんは、今も涌谷町の町民医療センターの研修室をお借りして寝泊りさせてもらいながら、被災地のために支援活動を続けている。
JIM-NETの川添圭子さんも、一年間、石巻で活動してきたが、この4月から石巻にアパートを借り、看護師としての支援活動を継続している。
川添さんは、「被災地はこれからが勝負。これからどうしようという声が増えています。私は今後も被災地で生きていこうと思います」と述べている。
熊さんと川添さんらの地域に密着した支援には頭が下がる思いだ。
石巻に行くことがあれば、商店街の中央正和会のコミュニティスペースに顔を出してください。
熊さんとの川添看護師にぜひ、あたたかな応援をお願いいたします。
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長野県の阿部知事から手紙が届いた。
昨年、長野県は福島県など被災地の子どもを受け入れる「子どもリフレッシュ事業」を行った。
この事業を支援するため募金を呼びかけたことに対するお礼状だった。
昨年は長野県各地の17の団体に、東北各県から836人の子どもたちが信州の夏休みを楽しんだ。
川遊びやプール、花火大会、サッカー、普段とはちがい、心を開放して、草の上でごろごろしたり、水のなかではしゃいだ。
子どもたちから、たくさんのお礼の言葉があった。
「外で遊べないぼくたちのために、長野県のみなさんが準備してくれたキャンプは楽しい、最高の思い出になりました。とても楽しかったです。いろいろお世話をしてくれたみなさんありがとうございました」
「私ははじめて長野県に行きましたが、長野県が大好きになりました」
「食堂でおなかいっぱいおいしい食べ物を食べてうれしかったです。キャンプファイヤー、花火、プール、思う存分楽しみました」
今年も、長野県は「子どもリフレッシュ事業」を行うという。
JCFも、長野県各地のNGOや行政と協力しあって、お手伝いしようと思っている。
大震災や原発事故への関心を薄れさせず、夏休みや冬休みに子どもたちを受け入れる体制が全国にできるといいと思う。
チェルノブイリでは26年たった今でも保養を続けている。
高汚染地域では、はじめの10年は1回24日間の保養を年3回行ってきた。
日本でも1年でもうだいじょうぶと思わず、せめて10年単位で続けていきたい。
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夜は、アンマンのランドマークホテルで講演会。
外務省の役人、UNRWAの教育プロジェクトのスタッフとボランティア、JICAで活動している人、商社に勤める人やそのご家族、ヨルダン人と結婚した日本人・・・いろいろな人が80人以上も集まった。
シーファが、ヨルダン在駐日大使夫人としてあいさつをしてくれた。
彼女は、ぼくらの活動を8年間みてきて、「本当に尊敬する」「カマタ先生は、世界に大切なことを伝えるメッセンジャーだ」と、大げさなスピーチをしてくれた。
ありがたいことだ。
ぼくは、絵本のことやこの旅の目的のこと、そして、東日本大震災の話やフクシマの話をした。
講演会が終わると軽食が用意され、みんなでお茶を飲みながらフリーディスカッションとなった。
「来てよかった」「感動しました」「応援します」
たくさんのあたたかい声をもらった。
ぼくの旅をお手伝いしてくれた清田先生や羽隅さんにお土産のつもりでもってきたぼくの本や「ひまわり」「ふくしま・うた語り」などのCDを、来てくれた方にくじ引きでプレゼントした。
みんな、CDを応援してくれるという。
旅の感想を聞かれ、ぼくはこう答えた。
「ハラハラ、ドキドキ、イライラ、ヒリヒリ、ワクワク、ホカホカ、をまだら状に感じる、不思議で、エキサイティングな旅だった」
ノーベル平和賞は、平和に大きく貢献した人だけでなく、これから平和へと貢献するであろうと将来への期待をこめて贈られることがある。
オバマ米大統領が受賞したのも、そうだったように思う。
もし、イスマイルさんの活動にノーベル平和賞がもたらされれば、世界の目はこの土地の悲劇に集まる。
それは、イスラエルの人たちにパレスチナ人と和解交渉のテーブルにつくように、というメッセージに必ずなると思う。
あるいは、イスマイルさんとサマハさんの父親ガドバンさんが、アハメドくん基金などをつくって、パレスチナ人とイスラエル人が協力して動き出すことも、大事な一歩になるかもしれない。
今回の旅では、1500キロを車で移動した。
何度も不気味な検問を通った。
何軒ものの家庭に呼んでいただき、家庭料理も食べさせてもらった。
たくさんのパレスチナ人、イスラエル人、日本人に応援してもらった。
無事、日本へと向かいながら、あらためて心に誓った。
この土地に平和をもたらすために、世界から忘れられ無視されることがないよう、ぼくなりにパレスチナ人の悲劇を語り続けていこう、と思う。
◇
パレスチナとイスラエルの旅の報告「「アハメドくん」の旅」は、これで終わりです。
読んでいただき、ありがとうございました。
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久しぶりにアンマンのシーファの家を訪ねた。
シーファのご両親、お兄さん夫婦、シーファの子どもたち、友だちが集まり、お母さんがおいしい手料理で迎えてくれた。
シーファのお父さんは大学で農業を教えていた。
ぼくらがイラクの子どもを助けるため、はじめて日本からやってきたとき、お父さんがいいことをしているなと言って、家に招待してごはんをごちそうしてくれた。
それ以来、シーファ家族とは親戚のようになった。
シーファの妹の結婚式にも招かれて、ヨルダンではじめてアラブの結婚式を見た。
ぼくは、アラブ人のフレンドリーな一面をこの家族から教えてもらった。
もっとも信頼できる友だちだ。
「アハメドくんのいのちのリレー」を読み、感動したと言ってくれた。
「日本に帰ったら、アラブ系の国の大使夫人にこの絵本を配って、読んでもらおう」とシーファ。
アメリカからやってきたシーファの友だちも、「アメリカ人にも広げたい」と言ってくれた。
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ひらべったい桃をはじめてみた。味は日本のものと同じだが、歯ごたえがあり、コリコリしている。
こちらは果物がおいしい。特にスイカやサクランボは美味。
リンゴや洋梨は圧倒的に日本のほうがおいしい。
ブドウは、こちらのほうがブドウらしい味がするが、甘さでは日本のほうが甘い。
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エルサレムから出るときには、検問はそれほど厳しくなかった。
アンマンに入ると、自由な風が吹いているようでホッとする。
この旅で出会ったパレスチナ人たちは「イスラエルに占領されている」と強く訴えた。
彼らの生活に本当の自由がないのがよくわかった。
世界には、北朝鮮など自由のない国がいくつかあるが、パレスチナは自由もなく、過酷な現状にある。
だからこそ、なんとかしたい。
時間たてばたつほど、イスラエルは分離壁をつくり、入植地を広げていく。
アメーバのように、パレスチナの人の土地を奪っていく。
何とか、早く止めなければいけない。
イスラエルは、エジプトとの間やシリアとの国境沿いにも分離壁のようなものをつくりはじめていると聞いた。
まるで、自らを閉じ込める広大なゲットーをつくろうとしているように見える。
それは、彼らにとっても本当の自由ではないのではないか。
他民族の自由を認めないで、壁のなかに閉じこもろうとするのは正しい姿とは思えない。
ガザの詩人たちから言われたように、再びガザを訪ねたいと思う。
憎しみの大地、ヨルダン川西岸に平和がくるようにするにはどうしたらいいか、考え続けてみたいと思う。
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リモン先生のお宅を去り、再びヨルダン川西岸のジェニンへ。
イスマイルさんを家に送り届けた。
別れ際、イスマイルさんはぼくをハグし、
「うれしかった、うれしかった、いい2日間でした。
この絵本がたくさんの人たちに読まれるようにしたい。アラビア語で出すことも、ヘブライ語でだすこともノー・プログレムだ。
自分もドイツ、イタリア、スペインでの出版を働きかけてみる」
と、語った。
イスマイルさんのはたらきかけにより、カナダでは「アハメド君の法律」というのができた。
臓器移植がもっとひろがるように、臓器を提供した側も、提供を受けた側も了解した場合は、相手を知ることができる。
それをオープンにして、臓器移植の意味や意義をひろげようと、カナダでは法律がつくられたのだ。
この「アハメド君の法律」には、もう一つ大きな意味がある。
臓器を提供した側の家族と、提供を受けた側の家族が知り合い親密になり、理解しあうことだ。
カナダではとてもうまくいっているという。
イスマイルさんは、「カナダにも時々呼ばれて行くので、この絵本をひろめたい」という。
「カマタと協力しあって、イタリアやスペインで講演をしよう。
ピースボートに一緒に乗ったときは楽しかった。またピースボートに乗って、平和のメッセージを多くの人に伝えていきたい」
彼は、とつとつと静かに語った。
絵本に出てくる当事者--サマハさん、サマハさんの父親ガドバンさん、リモン先生、そして、アハメドくんの父親イスマイルさん。
この人たちが、絵本を気に入ってくれたことは、とてもうれしい。
「この絵本をたくさんの人に届けよう。利益がでれば、すべてパレスチナの子どもたちのために使おう」と2人でかたい握手を交わした。
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無事に帰国しました。
帰って早々にラジオ番組に出ます。
ぜひ、聞いてください。
◇
7月7日、TBSラジオの「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」(8.30~13.00)に出演することになった。
9時から10時30分まで、話をさせてもらう。
すでに永さんは「ふくしま・うた語り」を取り上げてくれている。
今回は、ぼくがゲストでおじゃまして、このCDアルバムができるまでの舞台裏を話したいと思う。
パレスチナとイスラエルの旅のことも話したいと思う。
永さんとは2月に福島で一緒にボランティアをして以来、久しぶりにお会いする。
そのとき永さんは大腿骨の頚部骨折を起して、車椅子だった。
その後、ぼくは足首のひ骨骨折をした。
骨折同士のご対面となる。
8日、文化放送「日曜はがんばらない」(10.0~10.30)も、「アハメドくんのいのちのリレー」の旅について話そうと思う。
お楽しみに。
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毎日新聞 連載 “さあ これからだ” vol.33
「日隅さんの思い胸に」
2012年6月30日掲載の記事です。
「悲しい、悲しい、知らせが入った。
弁護士の日隅一雄さんが6月12日、亡くなられた。49歳の若さだった。
東京電力福島第1原発事故の真相究明に、精力的に取り組んでいたが、事故から2カ月後の昨年5月、進行した胆のうがんが見つかり、余命半年と宣告された。彼は抗がん剤治療を受けながら、政府や東電の記者会見に通い続けた。オレンジ色のパーカを着て執拗に質問を続ける姿は、いつしか「オレンジ」と呼ばれるようになった
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ドクター・リモンを訪ねた。
イスラエルに住むアラブ系イスラエル人で、ICU(集中治療室)で働く医師だ。
アハメド君はドクター・リモンのICUに運ばれた。
そこで彼は、お父さんに脳死の判定と、臓器移植の提案をした。
「アハメドくんのいのちのリレー」の物語がはじまるきっかけになったドクターである。
リモン氏のお宅を訪ねるのは二回目。今回も大歓迎してくれた。
地区の代表の方や親戚、お兄さんが集まっての大歓迎である。
アラブ系の人たちはほんとうにあたたかい。
アラブ系イスラエル人のリモン先生は、イスラエルの事情も、アラブの悲しみもわかる。
ぼくは、「私たちはこれからも殺されて、イスラエルの人たちに臓器提供しろということですか」というベツレヘムの若者の怒りを伝えた。
ぼくがこの物語を絵本にしたのは、こんな悲しい物語は最後にしたいと思ったからだった。
殺されて臓器提供するなんていう悲劇は、二度と繰り返したくない。
と同時に、こんな悲劇のなかで許そうとした人がいたことを風化させたくなかった。
「ベツレヘムの若者たちは非常に怒っています。非常に悲しんでいます。イスラエル人から、パレスチナ人へと臓器提供が行われるようになればフェアになります。公正とか、平等というのはいい関係をつくるのに大事です」
と、ぼくはリモン先生に言った。
すると、リモン先生は、
「イスラエルに住むアラブ系イスラエル人の臓器はパレスチナの人に提供されてもかまわない。しかし、イスラエルのユダヤ人が臓器をパレスチナ人に提供することは、今のところ法律は禁じている」
「その法律は変えないと、パレスチナ人は納得できないでしょうね」とぼく。
「その通りです」とリモン先生。
そして、こう続けた。
「しかし、パレスチナ側に突然、臓器提供を受諾した臓器があらわれても、パレスチナ側ではほとんど臓器を受けとる準備がされていません。そのためにイスラエル側に臓器がわたってしまうことが多いのです。自分としても残念に思います。パレスチナ側の準備ももっとすすめるべきだと思います」
リモン先生が住んでいる地域の長老があいさつにやってきた。
「イスマイルさんの行いはとても尊いものです。彼の行いがきっかけになって平和がくることを祈っています。日本からたくさんの人が来て、イスラエルとパレスチナの平和に向けて努力してくれていることに感謝します。お互いがもっと寛大になることが大事だと思います」
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イスマイルさんとともにイスラエル側へと入った。
アハメド君から臓器提供を受けたイスラエルの少女、サマハさんが住む村まで約4時間かかった。
村につくなり、結婚式があるので一緒に出ようと、サマハさんのお父さん、ガドバンさんに促されて、会場をたずねることに。
新郎と握手をしたり、ごちそうになったり、歓迎をうけた。
サマハさんに絵本の感想を聞いた。
絵が気に入ったという。
お父さんが縦笛を吹いているところがとてもいいという。
お姉さんの絵も雰囲気が出ている、とのこと。
サマハさんは、大学の医学部看護学部に受かり、来年から看護師の勉強をするという。
なんのために?
ときくと、「人を助けるため」という。
イスラエル人はもとより、パレスチナ人を差別なく助けられますか?
「もちろん」
力強い答えがかえってきた。
サマハさんの家にはいまもアハメド君の写真が飾ってあった。
イスマイルさんと、サマハさん家族は、深く交流するようになったという。
イスマイルさんも、絵本はとてもいいと感想を言ってくれた。
彼はいま、イタリアやドイツ、カナダに行くことが多く、3つの国の人々が応援してくれているという。スペインにも理解者が多い。
これらの国で、絵本で広げることは可能かもしれない。
次に行くときには、絵本をもっていこうと思う、といってくれた。
イタリア語、ドイツ語、スペイン語にも翻訳されれば、もっと多くの人に読まれることになるので、イスマイルさんと協力しあおうという話になった。
そのうち、ガドバンさんとイスマイルさんが、こんな提案をした。
「この絵本について講演する話があるので、カマタも一緒にいのちのリレーの話をしよう」
そして、絵本の最後にイスマイルさんがピースボートに乗った話があるが、ガドバンさんもサマハさんも乗ってみたい、とも言う。
「では、みんなでピースボートに乗って、平和について考えよう」と盛り上がった。
ちょうど、今回の旅でぼくをエスコートしてくれているピースボートの篠原啓くんは、来年4月のクルーズディレクターをする。
話が、どんどん広がっていく。
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2年ぶりに、ジェニンを訪ねた。
ジェニンの虐殺があったまち。あいかわらずヒリヒリした感じがまち全体を包んでいる。
検問も厳しい。異常に厳しい。
安息日のため、午後2時に検問が閉まるという。
ぼくたちが着いたのは5分前。
厳しい持ち物検査をしたあと、何とか通過できたが、仲間の後ろの車は通過できず、どんなに話しても通じなかった。
仕方なくほかの検問所へ回り道をして、3時間後に合流することができた。
毎日、こんな形でプレッシャーをかけられているかと思うと、パレスチナ人がかわいそうになる。
彼らは「占領されていることをもっと書いてほしい」とたびだひ口にするが、その気持ちがよくわかる。
イスマイルさんに再会した。
そして、彼の息子であるアハメド君が殺された場所に立った。
やけるような暑さだった。
2002年、地区病院の院長が、救急車で子どもを助けるために向かう途中、ロケット弾で打ち壊された。救急車も破壊された。
その救急車でつくった木馬は、鉄板の破片がさびつきはじめている。
いまも「憎しみを忘れない」といわんばかりにそびえている。
ドクター・ワリドとお会いした。
彼は、日本の金沢で5年間、生化学を学び、今地元の大学で教授をしているパレスチナ人だ。
絵本を深く読んでいてくれた。
「このメッセージはパレスチナにもイスラエルにも大事だ。
大学の図書館にもおいて、読むのをすすめてみたい」という。
「山や川に神がいると信じることができる多神教の日本人だからこそ、相手の身になって発言することができる。
この本はまさにフェアな立場で、平和に向けて何が大切か伝えてくれている。
もっともっと世界中にひろがることを期待している。そしてパレスチナことを忘れないで欲しい」
ドクター・ワリドは、パレスチナ日本友好協会をつくろうとしているそうだが、第一回の記念講演にはカマタを招待し、アハメドくんの話をパレスチナ人たちに伝えてほしいもいわれた。
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ガザから、イスラエル側のテルアビブという大都市へ行くと、ぼくの絵本を読んだ人たちが集まってくれていた。
冒頭、カマタのために作曲したといって、バイオリンの演奏がはじまった。
会場の雰囲気が和んだ。
どんな批判がでるか心配だったが、あたたかな言葉が次から次から出てきた。
「イスラエル人もホロコーストをいつまでも言い過ぎず、ホロコーストがあったから、どんなことをしてもいいというやり方は世界では通用しない。ユダヤ人自身も自らの行動をかえりみたらいい」とある男性が語った。
絵本が広がるために、ヘブライ語の翻訳で少し修正したほうがいいところがあるという指摘もあった。
文部省にはたらきかけてみたらどうかとか、出版社を探す応援をしようという建設的な意見も出た。
この絵本がきっかけになり、イスラエルとパレスチナの人がもう少しフランクに話ができるような場がつくられ、お互いが理解できるようになったらいいと何人もの人たちが話してくれた。
「こういう重いテーマを絵本にするというのは、自分たちの文化ではわかりにくい」という感想もあった。
日本のある作家は、人生のうち3度、絵本を読む機会があるといっている。
子どものとき、子どもが生まれて親になったとき、そして、年をとったとき。
日本では、いのちについてかれた絵本をよむ高齢者もいるという話をすると、絵本が好きな人から、それは納得できるという反応がかえってきた。
この日一日、ガザから、テルアビブに出て、またエルサレムにもどってきた。
ハードスケジュールであったが、充実した一日であった。
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ガザでは、作家や詩人、市民活動をしている女性たちが集まり、絵本「アハメドくんのいのちのリレー」について、2時間半、白熱の議論を展開した。
今までは、ポリティカルなディベートになりがちだったが、今回は、ポエティックなものとなった。
人間の心について非常に深い、示唆に富んだ、お互いを思いやれるような、日本でも経験したことのないすばらしいディスカッションとなった。
絵本は海からはじまって、海で終わっている。
これについて、こんな感想があった。
「手法としても、すばらしい。自由に海の外に出ていけないパレスチナの人ひどの苦しみを見事に暗示している」
こんなふうに深く、きちんと読み取ってくれるとうれしくなる。
「人間のなかにいる獣」という記述に関しても、「絵本には愛と憎しみが十分に盛り込まれていて、すばらしい作品だ。アラビア語の翻訳に関してはもうすこしデリケートな手直しが必要だろう。翻訳は作家の本当の思いを伝えているか、つねに心配なことである」とある詩人は語った。
作家同士でこれからも、交流したいという提案があった。
よくガザまで入って、このような機会をつくってくれたと感謝された。
一部始終をみていたテレビの取材の人たちからも、たいへん感動的だった声をかけられた。
9000キロ離れた日本からやってきて、本当によかったと思う。
そして、今回はたいへんな思いをしてガザに入ったが、この地にはやく平和がつくられ、だれもが自由にガザに入れるようにしなければいけないと、強く思う。
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加藤登紀子さんが、世界発信のイベントTEDxTokyoで、がんばらないレーベル「ふくしま・うた語り」収録の「スマイル・レボリューション」を歌った。
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日中の気温は43度。むちゃくちゃ暑い。
ガザに入るのは大変なことだった。
地域医療をおこなってきた鎌田が、UNRWAの家庭医システムの導入を視察するということで、何とか許可がもらえた。
ガザには、防弾ガラスで守られたUNRWAの車で入った。
ガザは一週間前に13人が亡くなり、傷跡がそこら中に残っていた。
150万人のパレスチナ人のうち、100万が難民といわれている。
イスラエルの検問は非常に厳しく、通るときには怖い思いをする。
みんなが銃を持っている。
心が凍りそうになったとき、イスラエルの検問の若い女性か突然、笑顔を向けてきた。
「ハッピー・バースデー」
一瞬、何のことかわからなかった。
この日は、偶然、ぼくの誕生日だったのだが、まさか、イスラエルの検問の人から言われるとは思わなかったのだ。
ぼくは、「アハメドくんのいのちのリレー」を書いたときも、今回の旅も、つねに中立の立場でいようと思っている。
しかし、パレスチナの人の現状をみると、どうしてもパレスチナのほうに心が傾き、イスラエル側に対して、ひどいじゃないか、大人気ないじゃないかと思ってしまう。
でも、イスラエルの検問の人から、こんな人間的な応対を受けると、なんだかとてもほっとする。
UNRWAの家庭医制度は非常にうまくいっていた。
生活をみること、継続してみること、健康教育をすること、しかも、一方的におしつけるのではなく、地域の人と話し合いをしながらすすめている手法に感心した。
パレスチナ側も、とてもいいシステムだと歓迎をしているようだ。
医療費は無料。
心理療法士やケースワーカーの話を聞くと、仕事もなく、精神的な圧迫を受けている家庭で、暴力が増えているという。
女性や子どもを暴力の被害からどう守るか、たいへん大きな問題になっているのだ。
UNRWAは、そうしたパレスチナ難民の命を守り、教育と医療、平和に向けてのイベント活動をしているが日本ではあまり知られていない。
日本人がいい活動をしている。
高いリーダーシップを発揮しているのをみて、うれしくなった。
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イスラエルとパレスチナはお互いに憎しみが深く、相手を理解することは容易ではない。
それでもあきらめず、イスラエル人とパレスチナ人が一緒のまちで生きるための挑戦をしたり、協力し合いながら農園ではたらく人たちもいる。
イスラエル人とパレスチナ人がオーケストラを組んで演奏会をしたこともあった。
ピースボートでは、パレスチナとイスラエルの若者がそれぞれ20人、一緒に船旅を楽しみ、交流を深めたこともある。
できるだけのことをしよう、お互い心の傷を理解しあおうという試みが行われている。
パレスチナ側に侵略するような形で入り込んでいるイスラエル人の高級住宅地
しかし、そこから先に進まない。
「まず、相手の不正義をただし、相手が反省しないかぎり、本当の理解はない」とつっぱねる人がでてくる。
たしかに、イスラエル側は分離壁をつくりながら、パレスチナ人が住んでいる西岸地区に入植している。この分離壁をこわし、お互いに話し合いができる状況にもっていかなければならない。
エジプトでは、改革派でイスラム主義の大統領が当選した。
イスラエル側としてはたぶん、納得できないだろうと思う。
イスラエル側が、やけのやんぱちになって、ガザ攻撃をしないようにしなければならない。
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4日、FM世田谷の「アフタヌーンパラダイス」(15.0~16.55)という小室等さんの番組に急きょ、出演することが決まった。
番組のどこかで、30分くらい話をする予定。
今、旅行中のパレスチナの話や「アハメドくんのいのちのリレー」の話、新しく出した朗読と歌のCD「ふくしま・うた語り」の話をするつもりだ。
「ふくしま・うた語り」の曲も流れると思う。
この放送は、世田谷エリア以外でも、全国70局に配信されている。
ぜひ、お聴きください。
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夜はベツレヘムで若者たちとディスカッションした。
自治政府の高官も議論に参加して、絵本を高く評価してくれたが、若者たちのイライラが強く伝わってきた。
特にベツレヘムは、イスラエル人の入植地を守るため、町のど真ん中に壁ができたりしていている。
「パレスチナとイスラエルの間に、臓器移植が行われた。次は私たちにも自分の臓器をイスラエルにあげろということなのか」
とんでもない批判も飛び出した。
ほかの人たちが、そんなことは書いていない、もっと建設的な議論をしろと反論するが、苛立つ若者の背景には、自由を奪われている現状がある。
若者たちは自由に外国に行くことができない。
仲間には、留学の許可がイスラエルから許可されないために、外国で勉強できなかった若者もいたという。
自由がないと叫んでいた。
とにかく、「イスラエルの占領がなくならないかぎり、平和の議論はしたくない」というのだ。
前回、ベツレヘムに来たときに仲良くなった友人の家に呼んでいただき、鶏肉を炊き込んだアップサイドダウンというおいしいアラブ料理をごちそうになった。
アラブ人は一度、友だちになると、信じられないほどあたたかい。
その彼の弟は、第二次インティファーダで、自爆テロを行い、亡くなっていた。
「殉教者」とみんなから言われている。
若者たちをそういうムードにさせてしまう時代があった。
それはいまも残る。
町中が傷ついている。
ひりひりした感じが町中にただよっている。
なんとか平和をつくらないといけない。
イスラエル側が分離壁を撤去して、入植地を広げるのをやめれば、パレスチナ側は話し合いをはじめらると思うのだが。
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