「アハメドくん」の旅⑯~ジェニンの木馬
2年ぶりに、ジェニンを訪ねた。
ジェニンの虐殺があったまち。あいかわらずヒリヒリした感じがまち全体を包んでいる。
検問も厳しい。異常に厳しい。
安息日のため、午後2時に検問が閉まるという。
ぼくたちが着いたのは5分前。
厳しい持ち物検査をしたあと、何とか通過できたが、仲間の後ろの車は通過できず、どんなに話しても通じなかった。
仕方なくほかの検問所へ回り道をして、3時間後に合流することができた。
毎日、こんな形でプレッシャーをかけられているかと思うと、パレスチナ人がかわいそうになる。
彼らは「占領されていることをもっと書いてほしい」とたびだひ口にするが、その気持ちがよくわかる。
イスマイルさんに再会した。
そして、彼の息子であるアハメド君が殺された場所に立った。
やけるような暑さだった。
2002年、地区病院の院長が、救急車で子どもを助けるために向かう途中、ロケット弾で打ち壊された。救急車も破壊された。
その救急車でつくった木馬は、鉄板の破片がさびつきはじめている。
いまも「憎しみを忘れない」といわんばかりにそびえている。
ドクター・ワリドとお会いした。
彼は、日本の金沢で5年間、生化学を学び、今地元の大学で教授をしているパレスチナ人だ。
絵本を深く読んでいてくれた。
「このメッセージはパレスチナにもイスラエルにも大事だ。
大学の図書館にもおいて、読むのをすすめてみたい」という。
「山や川に神がいると信じることができる多神教の日本人だからこそ、相手の身になって発言することができる。
この本はまさにフェアな立場で、平和に向けて何が大切か伝えてくれている。
もっともっと世界中にひろがることを期待している。そしてパレスチナことを忘れないで欲しい」
ドクター・ワリドは、パレスチナ日本友好協会をつくろうとしているそうだが、第一回の記念講演にはカマタを招待し、アハメドくんの話をパレスチナ人たちに伝えてほしいもいわれた。
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