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2012年7月31日 (火)

双葉食堂での再会

先週、南相馬を訪ねたとき、双葉食堂に行った。
すると、あるおばあちゃんから声をかけられた。

おばあちゃんは、何番の仮設住宅の・・・と名乗ろうとしたが、それを聞く前に、ぼくにはすぐにわかった。
あの、ブタと闘ったおじいちゃんのつれあいだ。

20120720001 久しぶりに再会したおばあちゃん

以前、毎日新聞の連載に、ブタと闘って逃げなかったおじいちゃんの話を書いた。
3.11で、津波がおしよせブタが流れてきた。
そのブタが自分の家を壊したり、畑を荒らしたりするのを防ぐために、20キロ圏内の自宅から逃げずにいたおじいちゃんのことだ。

そのおじいちゃんが、この日の5日前に、肺がんで亡くなったということだ。
そのことをぼくに知らせようと、おばあちゃんは仮設商店街の外のいすで、ずっとぼくを待っていたという。
鎌田が南相馬に来るときには、きっと双葉食堂に立ち寄るにちがいないという町のうわさを聞きつけて。

毎日新聞の記事が出たときには、友人から新聞を見せてもらって、夫婦2人でとても喜んだという。
明日8月1日、南相馬を訪ねるが、そのとき、おじいちゃんにお線香をあげに行くと約束した。

おばあちゃんは、息子さんも肺がんで亡くしている。
しっかりしたおばあちゃんで、息子さんは亡くなってしまったが、やさしいお嫁さんにみてもらえて、「わたしも孫も助かっている」と言う。

20120720002 小高中学の生徒たちと

その後、仮設住宅を2軒ほどまわってほしいといわれ、巡回診療もした。
双葉食堂に入ると、小高(おだか)中学の生徒たちが、一緒に写真をとりたいといって、みんなで記念写真。
小高中学はもともと20キロ圏内にあるが、今は30キロ圏外の小学校の校庭の横に仮設の中学をつくり、そこで勉強をしているそうだ。

みんな、いろんなことを我慢しながら、前向きに生きている。

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