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2012年8月29日 (水)

原発事故503

科学者の信頼がゆらいでいる。
もともと科学は非確実性のなかで進歩してきたはず。
100ミリシーベルト以下の被曝が体にどんな影響を及ぼすか、体に対する低線量の放射線は意見が分かれ、白黒つけることはできない。
わからないことを「だいじょうぶ」ということから、科学者の信頼がなくなる。
わからないものは「わからない」と伝えなければいけない。
伝えながら、たぶんどうだという議論が必要なのである。

EUでは主席科学顧問というのを置いているという。
とてもいい考えである。
日本政府も、主席、副主席の科学顧問を置いたらどうだろう。

たとえば、現政権は再生日本戦略として、環境・新エネルギー、医療・健康、農業・水産業に、重点的に投資して、経済を再生しようという戦略をたてている。
医療のことや新しいエネルギーのことなどは、信頼できる科学者を官邸に置いたほうがいい。
そのときに色のはっきりしている人を置かないことである。

Img_2005 雲の八ヶ岳と杖突峠

今までは、明らかに原発推進の人を置いてきたから、国民の信頼を失ってきた。
ニュートラルな人を置くべきだ。
国会の事故調でリーダーシップをふるった黒川さんなどを主席科学顧問にし、副主席科学顧問には、原発に対してある程度厳しい考え方をもっている人を置く。
そして、このなかでいろいろな委員やアドバイザー、政府の審議会などのメンバーを決めていくことができれば、そこで決まったことに関しては国民はある程度信頼するのではないか。

科学は完全無欠ではない。
だからこそ、どんな人が政府の相談役になっているかというのが大事なのだ。
その選び方をまちがってしまうと、国民へのリスクコミュニケーションに失敗してしまうのである。
現政権の失敗は、専門家の選択の失敗であったように思う。
委員会や審議会、アドバイザーの人選ミスが多かった。

科学は非確実性であるが、それでも国の行く末を決めていくのに、どうしても必要なものだ。
だからこそ、科学者を選ぶときは、きちんとした選ぶ側のフィロソフィーが問われている。
政権をとった人は、大臣をどのように配置するのかと同時に、科学者をどのように使うかというのも厳しく問われているように思う。
ここをあいまいにしたり、いいかげんにすると、あとで手痛いしっぺ返しに遭う。

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