原発事故524
ぼくは毎日新聞、朝日新聞、信濃毎日新聞を毎日読んでいる。
朝日新聞の「プロメテウスの罠」という連載はハズレのときもあるが、時々、なかなかのテーマで、なかなかの取材をしているシリーズがある。
「残された人々」というシリーズもその一つだ。
原発事故の後、南相馬で700人近い障害者や弱者たちを個人情報保護法にしばられながら、どう守ろうとしたか。
重い障害があればあるほど、体育館での避難生活は無理だし、自閉症の子どもたちは集団生活はできないと考えて、それぞれ自分の家に孤立しながら住み続けていた。
ぼく自身も、寝たきりのおばあちゃんのことを考えて、逃げるのをやめ、南相馬の20キロ付近でいっしょにくらしていた息子さん夫婦を知っている。
おばあちゃんが受けていた在宅ケアサービスなどは一時、完全に途絶えた。
宮城県でも同じような経験をする人たちに会った。
福島とちがって、宮城県や岩手県にはDMATという災害派遣医療チームの医師や看護師が多くはせ参じていた。
「医療は行き届いている」と言われたが、ぼくたちが見た現実はそうではなかった。
がんの末期の人や脳卒中のお年より、障害をかかえた人たちが声を出さず、自宅でじっと救援を待っていた。
生きるか、死ぬかという命を助けるゴールデンタイムは48時間、長く見積もって72時間といわれている。
しかし、72時間ですべてが決するのではなく、その後、人間が災害地で生きていくという中長期的な視点がどうしても必要である。
災害時においての弱い人をどう助けるか、ネットワークを普段からつくっておき、いざ災害がおきたときにはきちんと作動するようにしておくべきである。
個人情報保護法なども、もうちょっと柔軟な対応がほしい。
場合によっては、法律の改正も必要かもしれない。
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