« 鎌田實の一日一冊(156) | トップページ | 仮設での介護 »

2012年12月 7日 (金)

復興はまだ遠く

久しぶりに南三陸に入った。
遠い、とにかく遠い。
諏訪中央病院で外来をして、電車に飛び乗り、乗り継ぎながら南三陸に着いたのは7時間後。
夜遅く温泉宿に着いた。
おかみが挨拶にきてくれて、震災の日から今日までの話をしてくれた。

Img_7580 宿から見た朝焼け

このあたりは二階まで浸水したものの、二階以上はなんとかなったことと、小さな温泉のほうがダメージが少なかったため、2011年5月3日まで、避難所として開放していたという。
将来、地域の産業を復活させ、地域の雇用を確保していくためには、会社の経営者たちに元気になってもらいたいと、地域の経営者を泊めたそうだ。
そして、すべてのスペースは、町の人たちに開放した。
困ったことは、上水道が止まっていたので、トイレの排水などだった。
5月3日以前は、まったくの持ち出しだったが、それ以降は国から決められたお金をもらえるようになって、少し息がつけるようになった。

気仙沼につくったばかりの水産工場があったが、流されてしまった。
新しい冷凍機械などを入れて50億円の投資をしたが、すべて流されてしまい、経営的に苦渋の日々だったが、社員を辞めさせることなく運営することができた。
この心意気は、大したものである。
おかみは、「おかげさまで、今までは来なかった九州や関西のお客さまが東北支援のために来て泊まってくれる」と感謝の気持ちを述べていた。

Img_7583

Img_7584 南三陸の広い範囲が津波で奪われた

南三陸では、基本的には高台移転を考えており、今まで町があった場所には、工場や商店街をつくるという。
地盤沈下が激しいため、かさ上げしないといけないそうだ。

住民に聞くと、1年9ヶ月たっても、復興という感じはまったくしないという。
新しい建物がたたないため、ヤキモキしている。
このままでは若者が仕事を求めて、どんどんよその町へ出て行きそうだ。
住民に聞いても、行政マンに聞いても、縦割り行政のなかで復興はなかなかすすまないという。
国土交通省がいいと言っても、財務省でOKがでなかったり、復興庁が理解を示してもその後なかなか話がすすまなかったり・・・。

住民のいらだちと不安が痛いほどわかった。

|

« 鎌田實の一日一冊(156) | トップページ | 仮設での介護 »

旅行・地域」カテゴリの記事