« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月

2013年1月31日 (木)

アフリカの料理続編

Photo_7

タンザニアで飲んだ、バターナットスクワッシュというかぼちゃのスープ。とても旨かった

旅の間中、あまりスープは注文しなかったが、ナミビアの干潟でフラミンゴを見ながら、食べたスープは美味しかった。

ナミブの砂漠から港町ウォルビスベイに行き、海岸の食堂に入った。
850円のシーフード定食。

850 ボリュームたっぷりのシーフード定食

ムール貝と、白身の魚と、海老とイカのフライに野菜が付いている。
1人では、とても食べきれないほどの量であったため、3人で分けて食べた。
豊かだな、と思った。

Photo_8 ワニのスープは、こくがある

クロコダイル(ワニ)もお気に入り。
4回目のクロコダイル料理は、スープ。
これは、ヨハネスブルグに戻って、ホテルで食べた。

Photo_9 ナミビアの牡蠣

牡蠣は、アフリカで4回食べたが、アフリカの牡蠣は、どれもうまかった。
はじめは、お腹を壊すのではないかとびくびくしていたが、安くてうまいのに驚いて、我慢が出来なくなった。

|

2013年1月30日 (水)

人類の足跡

Photo_5

360万年前の地層から、足跡が見つかった。
猿人アウストラロピテクスボイセイのものだ。
アウストラロピテクスの足跡は、猿の足跡とはあきらかに違う。
猿は、木を昇るために、親指が第2指から第5指に直角に親指が開かれている。
この火山灰の地層から見つかった足跡は、あきらかに直立2足歩行をしている足跡である。
我々の祖先が、この谷間で同じ空気を吸っていたのだと思うと感慨深い。

Photo_6 足跡を残した猿人は家族だったのでは

足跡の主は3人。
大人2人と子ども1人の足跡が同じ方向に向かっている。

「3人は家族だと思うのだけど」とぼくが聞くと、「ほぼ間違いなく家族でしょう」と現地の研究者が答えた。

弱い猿人が、過酷な地球環境で生きていくためには、家族が必要だったのだと思う。
大きな足跡と、平行して歩く小さな足跡は、その子ども。
お父さんの後ろについてくるのが、お母さんの足跡。
赤土のぬかるんだ大地の上に、この3人が歩いた後、近くの火山が噴火したのではないだろうか。
火山の灰が、その足跡を固定してくれた。

Photo_12 150年前、自然の変動が起きたことを物語る地形

このアフリカで生まれた我々の祖先は、出アフリカに成功して、地球上の隅々まで広がった。
「我々は、どこから来たのか」の原点に立ったような気がした。
ミッシング・リンク、失われた環-—ホモ・サピエンスと猿の境という謎を解くカギも、このアフリカの大地構帯からオルドオパイ峡谷にあるように思う。

|

2013年1月29日 (火)

再び、人類のゆりかごに立つ

Photo

ライオンは、昼はごろごろとゆったり構え、夜になると、獲物を探す。
まるまると太った強そうなオスライオン。
10メートルくらい離れたところに、メスライオンも昼寝をしていた。

Photo_2 獲物をくわえるハイエナ

それから、数キロ離れたところでは、ハイエナが昼間からえさをあさり、そして、獲物に一気に攻撃をかけ、仕留めた。
肉をくわえ、たくさんの草食動物の中を走る。
その中で、我々の祖先は、弱いからこそ、知恵をはたらかせ、大脳を大きくしながら、火を使う事を覚え、道具を生み出し、生き抜いてきた。

ここ、ンゴロンゴロ保護区にあるオルドパイ峡谷は、150万年前に生まれたといわれている。
ホモ・サピエンスを生み出したといわれている大地構帯に直角に接している。

Photo_3 草原に転がる象の骨

360万年前の猿人の足跡が発見されている。アウストラロピテクスボイセイだ。
頑強なあごを持ち、クルミ割り猿人、Nutcracker man、とも呼ばれている猿人がこの峡谷に生きていた。
ホモ・ハビリスといわれている、Handy Man、器用な人は、百数十万年前、六層の峡谷の地層から骨が発見されている。
そして、やがて、ホモ・エレクトス、Upright Manとよばれる、より真っ直ぐに立つ原人が生まれ、ホモ・サピエンスへと繋がっていった。

Photo_4 猿とは明らかに異なる猿人の足跡

この峡谷からは、1万7千年前のホモ・サピエンスの骨も発見されている。
かつて、Y字型に峡谷が出合う間の場所に、湖があったといわれている。
水があったことによって、この一帯はもっと緑豊かだったと、現地の人が言っていた。

21世紀以降もホモ・サピエンスが生きぬいていくためには、水と緑が大事だと、あらためてここアフリカから教えられた。

|

2013年1月28日 (月)

風に立つマサイ

Photo

マサイが跳んだ、鎌田も跳んだ!

マサイの村を訪ねた。
一家族120人で生活をしている。
1人のチーフに10人の奥さんがいて、それぞれに子どもがいる。

Photo_32

歓迎の歌をうたうマサイの戦士

Photo_34 子どもを抱くマサイの若いお母さん

Photo_2 牛糞で作られた家

農業はしないという。
牛の肉と乳製品、牛の血が主食である。
わずかに、とうもろこしのおかゆのようなものを食べているようだ。
野菜は食べるが、基本的には作らないので、ほとんど食べてないみたいだ。
この食事で一日100キロ走れるという。
まさに、マサイは肉食系人間だ。

前歯の下2本を5歳の時に抜歯するという。
病気をした時、この隙間から、流動食や牛の血を入れて、命を守るという。

Photo_35 装飾品で身を飾るマサイの女性たち

マサイはいつも、男も女も美しいものをまとい、装飾品をたくさん付けている。
嫁をもらうときは、父親が決めるという。
他の集団から、嫁をもらうために、牛10頭が必要という。

子どもたちには、教育をする。
2人の若者は、英語をしゃべれた。

Photo_36 学校で勉強する子どもたち。英語の勉強をしていた

タンザニアには、129の部族があるが、伝統的な生活を守りきっているのは、マサイだけと聞く。
マサイの文化と歴史を大事にし、家族を大事にしているように見えた。

Photo_38 風に立つマサイ

村から別れるとき、強い風が吹いた。
戦士たちは、殺気を漂わすような空気で、毅然として風の中に立った。
美しい光景だった。

|

2013年1月27日 (日)

クレーターの中にあふれる生命

Photo_24

動物には、それぞれの物語がある。
命を燃やし、次につなぐという物語。

子孫を残すために、まずパートナーを選ぶ。
パートナーを得るためには、戦わなければいけない。
サイ同士が角を突きつけている。
でも、徹底的に相手を痛めつけない。
おおむねどちらかが強いかわかればいいみたい。
動物界に君臨する百獣の王、ライオンも時々にらみ合う。
こうやってパートナーを見つける。

Photo_25 にらみ合うサイ

Photo_26 こちらのライオンは、オスとメス

Photo_27 いい面構え

Photo_30 腹をみせてじゃれあうライオン

イボイノシシが、子どもにオッパイを飲ませている。
人間と同じ。のどかだ。

Photo_28 イボイノシシの母子

Photo_31 象のリーダーは、おばあちゃん

象の集団にも合った。
象の集団のリーダーはおばあちゃん。
年長者の経験で集団が移動する。
最近の人間社会も、中高年の女の人の力が強い。

Photo_29 しなやかな獣サーバルキャット

今回、豹やチータに会うことは出来なかったが、サーバルキャットを遠くに見つけた。
いかにも、獰猛で俊敏なネコ科の獣のように見えた。

|

2013年1月26日 (土)

鎌田劇場へようこそ!(126)

「大丈夫。~小児科医・細谷亮太のコトバ~」

伊勢真一監督のドキュメンタリー映画。
2011年キネマ旬報文化映画ベスト10の第一位に輝いた。

「私は悲しいときに泣けなくなったら、医者を辞めるべきだと思っています」
聖路加病院小児科医・細谷亮太の言葉だ。
治療風景や子どもたちとの夏のキャンプの様子が映し出されて、時折、俳人・細谷亮太の俳句がくり返されていく。
「大丈夫」が口癖の細谷先生。
小児がんの子どもたちの姿から、生と死がつながっているのがわかる。
そして、生と死がつながっていることを怖がったり、忌みきらったりする必要がないこともわかる。

                                □

2月3日午前10時からの「日曜はがんばらない」(文化放送)では、細谷先生をゲストにお迎えし、命について、言葉について、お話を聞く。
ぜひ、お聞きください。

|

マサイとキリン

Photo_20
走るマサイ

ンゴロンゴロのクレーターから遅い日の出が始まった。
アフリカでも、朝4時半に起きている。
6時10分くらいまで真っ暗だ。
一気にクレーターに光が入り、湖が輝きだした。

Photo_21 クレーターに朝日が昇る

クレーターの淵には、マサイの村が作られている。
クレーターの淵や中には、マサイ以外は車から下りてはいけないことになっている。
遊牧をしながら、移動していくマサイだけが、特別にクレーターの近所に村をつくることを許可されている。

Jpg クレーターに作られたマサイの村

マサイが走っていた。
実にかっこいい。
彼らは、割礼が済むと、一日100キロ走るような訓練を受け、戦士になっていくという。
女、子どもは水汲みや牛を連れて草を食べさせにいく。
ロバに水瓶を積んで、15キロ、水を運ぶという。

Photo_22 水を汲むのは女と子どもの仕事

Photo_23 マサイキリンという特別な模様のキリン

そのマサイたちの生活の場に、傘の木の葉っぱを食べに来たキリンが悠々と歩いている。
マサイは走り、キリンは、ポレポレとゆっくり、ゆくっり、がんばらない歩き方をしていた。

|

2013年1月25日 (金)

肉食系は楽じゃない

Photo_13
アカシアの木にたくさんの鳥の巣が

ンゴロンゴロに着いた。
直径20キロメートル広大なクレーターは、火山の活動によりできた。
このクレーターのなかに、流入する川と、流出する川がある。
小さな真水の湖と、塩水の湖もある。

両方の湖に動物が集まってくる。
哺乳類と鳥類の宝庫である。

Photo_14
クレーターを見下ろすカマタ

草食系の動物は、のんびりと一日中草をはんでいる。
その間に、ハイエナが獲物を狙ってウロウロしている。
ライオンの姿もあった。
なかにはひどく痩せたライオンもいる。

Photo_15 プリプリしたお尻のシマウマ

Photo_16 肉食のハイエナ

Photo_18 スクマ族のガイド、カサンダさんと

Photo_19 意外にも草食のヌー

草食系の動物は、まめに一生懸命、草を食べ続けていて、太ってプリプリの肌をしている。
これに対して、肉食系動物は獲物を獲るのが難しいのだ。

|

2013年1月24日 (木)

タンザニアの庶民の生活

Photo_6

早朝、ンゴロンゴロに向かう。
ジープの車窓から見たタンザニアの風景である。

農業が70%。その他、タンザナイトというブルーの宝石や、金、ダイアモンドなどが採れる。
さらに、ウランが見つかったと聞いた。
まだ、ウランの取り出しは、行なわれていないようだ。

129_3 トラックの荷台に乗る現地の若者

Photo_7 赤いバナナを2ドルで買った。めちゃくちゃうまい

Photo_8 道路脇の市場ではジャガイモを売っている

インフラの充実も計られて、国の経済は良いようだ。
農家のなかには、立派な家をもつ人もいる。
そうした情勢のなかで、マサイ族は毅然と伝統的な生活を守っている。
遊牧の民として生きている。
農業に手を出していない。

__3 牛の糞でつくるというマサイ族の家。定住しない彼らはいずれ、この家もおいて旅に出る

Photo_11 毅然として美しいマサイ

Photo_12 マサイが使っているラクダ

4566_3 4566メートルのメリー山。タンザニアではキリマンジャロに次いで高い

一万年前、人類は、農業を開始した。
その後、作物を貯蔵することを覚え、貧富の差や権力が発生してくる。
アフリカを旅しながら読んでいるウィリアム・ゴールドディングのノーベル文学賞作「後継者たち」によると、ネアンテルダール人を絶滅させた我々の祖先、ホモ・サピエンスの原罪、邪悪な心を、マサイは断固として拒絶しているようである。

車のなかから垣間見たマサイは、ただずまいが毅然として美しかった。

|

奇跡のカレー

タンザニアへは、一日かがりで飛行機を乗り換えた。
その途中、キリマンジャロビールが出て、いよいよ憧れのキリマンジャロの国と気分が盛り上がる。

タンザニアは、大地構帯が走っている国。
もう1つの、ホモ・サピエンスのゆりかごでもある。

Photo_8 機内から見た雲の風景

Photo_10 あこがれのキリマンジャロビール

キリマンジャロ空港からアルーシャへとりあえず着く。
くたくただ。
長旅で、アフリカ料理にも飽きていた。
そんなとき、アルーシャのホテルで出たのは、ぼくの好きなチキンカレー。

Photo_9 チキンカレーに興奮するカマタ

実は、この日の朝、「カレーが食いたい」とぼくは叫んでいた。
でも、アフリカでカレーなんて、ゼッタイに食べられないと思っていた。

タンザニアの東海岸は、インド洋に面し、古い時代からインド交易が盛んだった。
なんと食文化も、インド洋でつながっていたのだ。

奇跡のカレーに、元気が俄然出てきた。

|

2013年1月23日 (水)

ナミビアの海辺

Photo_5

ウォルヴィスベイの美しいヨットハーバー。
Burning Shoreという小さなロッジは、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが6ヶ月間滞在したという。

Burningshore

ブラピが座って食事をしたという椅子で、カマタも食事をした。
ここでも、好きな牡蠣を食べ、亜鉛の補給。
ホテルからは、干潟に集まるフラミンゴの姿も見えた。

Photo_7

Photo_6

海辺に寝そべっている人を見つけた。
よく見ると、新聞を広げて読んでいる。

__

潮が引けたら、ムール貝をとるのだそうだ。
自然に適応した仕事ぶりがいい。

|

2013年1月22日 (火)

ナミブ砂漠に心を奪われた

2_

世界で最も古いといわれているナミブ砂漠。
何もない空っぽの砂漠で人々は、どう生きてきたのか。
砂漠の奥の砂丘を見たくて、バギーで砂漠の奥に入った。

Photo_2 バギーに乗って、砂漠の風になる

風を感じる。
柔らかな肌のような砂丘の造詣は、風のしわざ。
さらさらの砂は、わずかな風で一晩のうちに形を変える。

Photo_3

_mino 酸化鉄を磁石で集めて文字を書いた

人間のにおいを感じさせない砂漠だが、ここをたくさんのホモ・サピエンスが移動したり、遊牧をしたりして渡っていったはず。
砂丘もまるで生きているように思えた。

|

砂漠で考えたこと

Dune7

ナミビアとは「広大な何もない土地」という意味だそうだ。
どこまでいっても何もない。
たしかに、空っぽなのだ。

Dune7_2 美しいDune7の砂漠

空っぽが続くと、不思議に内省しかかってしまう。
人は、砂漠で哲学者に変わる。
人間とは何か。なんて、考えてしまうのだ。
この砂漠があったからこそ、出アフリカが始まったのかもしれない。

Photo_10 火山の爆発でできたといわれるムーンスケープ

空がきれい。
大地をよく見ていると、小さな草がある。
南極から流れて来る寒流と温かな空気が混ざり合い、霧が発生する。
その霧の水分だけで、500年から2000年も生きるヴェルヴィチアという植物を見つけた。
砂漠にも、必死に生きているものがいることがわかった。

Gedc0064 砂漠の写真を撮影するカマタ

命は、切ないほど、必死に頑張っている。
こうやって命を伝えようとしているのだ。
砂漠で、ちょっとだけ哲学者になった。

|

2013年1月21日 (月)

ナミビアのヒンバ族

ナミビアには、もともとは日本ではブッシュマンと呼ばれるサン族などがいたが、バントゥー系の民族がサン族を圧迫して広がった。

そのなかの一部族、ヒンバ族の女性と子どもたちに会うことができた。
19~23歳の5人の女性と、3人の小さな子どもだ。

_ 天使みたいなヒンバ族の女の子

ガイドの話によると、おそらく一夫多妻のシステムで、1人の男性と共同生活をしているのではないかという。
家畜の牛が、草を食べ尽くすと、次の場所に移っていく。
今は、草を求めて南にやってきている。
Photo_8 ヒンバ族の若いお嫁さんたち

ヒンバ族は、赤い泥をうまく使う。
家は、水で赤土を練ってつくるのが得意。
水浴びをしたり、お風呂に入ったりしない。
赤い泥で体をこすり、風呂の代わりにするという。
髪の毛も直径2センチくらいの束にして泥で固めてセットしている。

Photo_9 赤い泥で固めた髪形

ふだんは、ほとんど裸同然で生活しているようだ。
体に布を巻いているのは、霧で気温が低いからだ。

__ 2歳くらいの女の子。ヒンバ族伝統の首飾りがかわいい

子どもたちは、裸同然でワイルドに土と戯れている。
目が輝いている。
体中からエネルギーを発散していた。

|

2013年1月20日 (日)

ピースボートの若者たちと

Photo

今回のアフリカの旅は、途中からピースボートに乗船した。

スタッフ350人を含めた総勢1300人が乗った船で、人権や平和、環境などを勉強しながら、各国に寄港し、さらに自分の目で新しい感性を育てていく。
お客さん950人のうち、若者は120人。
今回のクルーズは、圧倒的に中高年が多かった。

Photo_2 出港式のようす

Photo_3 ケープタウン

ケープタウンでアパルトヘイトを学んだ若者たちは、ピースボートの出港式で盛り上がった。
南アフリカ国歌を手を突き上げて歌いながらテーブルマウンテンと別れを告げた。

4日間の航海の間、3回の講演をした。
皆、勉強熱心でまじめ。
会場は溢れて、もう1ホールでテレビで放送した。
さらに、若者たちを中心にして、4回目の特別編「ドクターかまちゃんの人生相談」を行った。

Photo_4 若者たちと車座になっての人生相談

若者たちは優しいが、空気を読みすぎるところがある。
「人は1人では生きていけない。だから、グループをつくる。だけど、心のどこかに、1人でいたいと、みんな思っている。孤立する勇気を持つ事が大事」と話した。
上手に仲間をつくることも、1人きりでいることも、両方大事なんだ、と話をしていると、俯いて泣きながら聞いてくれている女の子たちがいた。
皆、たくさんの悩みを抱えている。
世界一周の旅をしながら、何かが変わるのではないかと、期待している。
「突然、人生が見えることもあるが、簡単に変われないことも多い。船に乗っている間に変われる人もいるけど、船から下りて、何年もたってから人生を変えるかもしれないよ」と話した。

Photo_5 シルバさんとカマタ

その後は、かまちゃんのお別れ会。みんな、盛り上がった。
ケープタウンから乗ってきた水先案内人、ブラジルのサンバの達人シルバさんが船を楽器にして、サンバを叩いた。
皆、船のデッキのランカンに耳をおいて体をゆすって奇声を発し、サンバカーニバルが始まった。

Photo_6 カンランに耳をあてて

Photo_7 若者たちと盛り上がる

ときには、哲学者になり、ときには、詩人になり、ときには、情熱的になり。
だから、船は好きなのだ。

|

2013年1月19日 (土)

マンデラ後のシステム

Photo_29

観光地で清掃をしている人たちに会った。
ゲラゲラ笑い声を上げて、楽しそうだ。
黒人に雇用が広がったため、暮らしは安定してきたという。

マンデラは27年間刑務所に入れられていたが、出獄後、南アフリカのリーダーになり、国を変えた。
企業の利益の26%は黒人へ配分されること。
南アフリカでナンバー1の権威あるケープタウン大学では、75%は黒人の学生を入学させること。
新しい企業は、黒人を経営のパートナーにしなければならないこと。
職員の75%は黒人であること・・・。
かなり大胆なことをした。

劇的なことが起きている。
南アフリカの高収入のトップ10に、黒人が3人入ったのだ。
黒人にチャンスが与えられる国になったことは、間違いない。

Photo_31

Photo_32

やはり、このくらいのはっきりとした政策を取らなければならないほど、アパルトヘイトは大変だったのだと思う。
日本の政治も、新しい政権をとった党は、もっと大胆に自由や平等や民主主義を守るため、はっきりとした政策を出すべきだと思う。

マンデラが所属するANC (アフリカ民族会議)に対する黒人の支持は、あいかわらず強い。
だが、南アフリカ全体で見ると、治安が悪化し、経済が冷えはじめている。
ヨハネスブルグでは、ホームレスに近い人たちをたくさん見た。
シャンティタウンという「ブリキの町」と呼ばれるトタン板の掘建て小屋に暮らしている。

Photo_28 貧困層が暮らす「ブリキの町」

それに比べると、民主主義連合が主導しているケープタウンでは経済が活性化され、治安が回復してきた。
経済が良くなることによって、黒人の貧困層が減ってきている。
ヘレン・ゼラという女性のリーダーの評価が高い。白人である。
この民主主義連合の魅力的なところは、白人と黒人とカラードの3種類の民族がそれぞれ代表者を出し、共同代表制を守っている。

_ インドネシアから奴隷として連れて来られた人たちが自由の身となり、カラードの町をつくっている。イスラム教徒が多い

かつて革命的であったマンデラのANCは、保守になっているのではないか。
南アフリカ全体のことよりも、黒人優先政策がやりすぎ感をつくっている。

それでも、マンデラの時のように政治がきれいであれば、許されるのだが、政治の腐敗も起こりはじめているようだ。
アフリカで先進国に入る可能性のもっとも高い南アフリカではあるが、まだまだ先は遠いように思う。
常に、国の中に 自由と平等が徹底していてほしいと思う。

|

2013年1月18日 (金)

繁殖期の島

Photo_22

南アフリカには85万頭のアフリカオットセイがいる。
どでっとした体が、冷凍マグロのように転がっている姿は、壮観だった。

交尾、出産、授乳は陸上でする。
出産は南アフリカでは、10月から1月にかけて。
授乳は、12ヶ月、たまには2~3年続く。

繁殖期の南アフリカペンギンの姿も見られた。
このペンギンは、世界で2番目に小さい、フンボルトペンギンの仲間。

Photo_23 「愛してるよ」「私も」

2匹が、必死に愛をささやきあっている。
首についている虫でもとっているのか、お互いの首をつつきあっている。
1匹のメスペンギンに5、6匹のオスペンギンがモーションをかけるという。
激しい戦いに勝ち残ったオスペンギンが選ばれる。

夫婦になったペンギンは絆が強いそうだ。
メスペンギンが死んだ後も、オスペンギンは1匹のまま、二度とつがいにならないという。
受精が成功すると、ふ化までに40日。2個の卵を産むことが多い。
オットセイや鳥に卵を取られないように、お母さんペンギンが卵を守る。

Photo_24 卵を必死に守る母ペンギン

空気が読めないペンギンは、一生懸命、ペアの間に割り込もうとして、ドジな行為を繰り返していた。
いつまでも、ぼおっとしていて、メスペンギンにチャレンジできないオスペンギンも。
こんなトホホなヤツ、人間社会にもいるよな。

Photo_27 ときには孤独も大事だが

Photo_26 「僕も仲間に入れてよ」

仲良くなったペンギンが、ペアで海の中を泳いでいる。
その姿はまさに飛ぶようだ。

こうやって、必死に次の世代をつくり、種を守ろうとしている南アフリカペンギンだが、絶滅危惧種の要注意種にリストアップされている。

Photo_25 「僕らも必死に生きています」

人間は余計な手を加えず、見守ることしかできない。
あとは、ペンギン君たちに、全力投球でペアを作って子どもを産んでもらおう。
期待している。

|

2013年1月17日 (木)

南アフリカの海の幸

Photo_20

南アフリカのダーバンでピースボートに乗船する前に、“欠食児童”のピースボートの若者たちを港の横にある食堂に連れて行った。
ダチョウの肉を初めて食べた。
脂身がなくて、バサバサしていて、まずくはないが、うまくはない。

Photo_11 ダチョウの肉

ダーバンは、インド人が非常に多く、カレーが美味しかった。
イカと魚とエビの海鮮の盛り合わせは、豪華だった。
南アフリカは野菜が豊富で、いろいろな野菜料理のプレートも出た。

Photo_12

Photo_13
Photo_14

ダーバンからケープタウンへ向かう途中、テーブルマウンテンの見える港に寄港。

Photo_21 テーブルマウンテンを見るカマタ

ケープタウンの港(一番上の写真)に着くと、海の幸を満喫した。
特に楽しみにしていたのは、牡蠣。

以前、北アフリカのモロッコを訪ねたとき、映画「カサブランカ」の舞台になったカサブランカで食べた牡蠣が、ものすごく美味しいのに感動したことがある。
だから、今回も、港町で牡蠣を食べるのを楽しみにしていたのだ。

1100_2 ケープタウンの1個100円の牡蠣
Photo_17 シーフード盛り合わせPhoto_18 エビを食べるカマタ
Photo_19 めちゃくちゃうまいムール貝

昼も、夜も、牡蠣を食べた。
エビも何種類かあり、満喫。
今のところ、お腹は一度も壊していない。
水だけは気をつけている。

|

2013年1月16日 (水)

お知らせ

17日(木)午前5時40分~、 「高嶋ひでたけのあさラジ!」(ニッポン放送)に出演します。
アフリカに行く前に収録したもの。
ぜひ、お聞きください。

|

原発事故529

原発事故で放出されるストロンチウム90は、カルシウムに似た性質があるため、歯や骨に蓄積されやすいといわれている。
そこで、2011年9月、福島県の自民党の県議が、事故後に抜けた子どもの乳歯の保存を県民に呼びかけてはどうか、と県側に質問した。
だが、福島県は、保存を拒否するための理論的な理由がないか、県民健康管理調査検討委員会にメールでたずねたという。
とんでもないことだ。
検討委員会も、こういうメールが来たら、おかしいと思わなければいけない。
むしろ、医学や科学の立場にいるならば、乳歯保存は科学的データになり、後に役立つことを県側に納得させるべきであった。

Dsc_0052 雪の岩次郎小屋

子どもの乳歯にストロンチウム90が蓄積されているかを調べることは、とても大切なことだと思う。
きちんと調査して、ストロンチウム90が出なかったら、ストロンチウム90の体内被曝をしていないという証拠になる。
一つの安心材料になるのだ。
出た場合には、丁寧に経過をみていくなど、最善の方法をとればいい。

放射能の見える化という大原則から外れてはいけない。
県側の乳歯保存の拒否は、その大原則から外れているし、県民に納得し、安心してもらうチャンスを自ら放棄してしまったことを意味する。
こういうことをしているから、福島県の人たちは不安に陥るのだ。

福島県も、県民健康管理調査検討委員会も、あまりにもお粗末だ。

|

2013年1月15日 (火)

キッズサポートかのん

昨年末、南相馬にできた発達障害や知的障害がある子どもたちの放課後デイサービスに行ってきた。
特定非営利活動法人キッズサポートかのんである。

Dsc00138

理事長は市役所の職員だった。
市役所の税務課で、精神的に疲れていたという。
震災後は、避難所の担当を任された。
命がけでやらなければと思ってやってきた。
おおむねひと段落したので、奥さんと2人で自分の夢をはじめた。
51歳で定年退職。
その退職金をかけて障害児の個別指導をする施設をつくった。
自分の家に障害児がいるというわけではない。
「とにかく、人の役に立ちたい」
志が高い。

Dsc00089

かのんでは、高機能発達障害などの子どもたちが、みんなで歌ったり、ゲームをしたりして楽しい時間を過ごしている。
グループではなく、個別に訓練をしながら、社会に出られるように可能性をのばしている。
とてもすばらしい取り組みだ。

実際に子どもたちとおしゃべりしたり、勉強したりする姿を見たが、実におもしろい。
みんな元気でユニークだ。

Dsc00092

14歳の男の子は「かのん新聞」の編集長をしていた。
大好きなパソコンで、きれいなレイアウトで新聞をつくっていた。
一人ひとりが生き生きしている。
なんだかうれしくなってしまった。

いま、きずなホルモンとも言われているオキシトシンの勉強をしているが、人間関係をつくるのが苦手な発達障害の子どもにオキシトシンスプレーを使うと、相手の表情を読みとったり、気持ちを推測したりすることができるようになるという報告がある。
そういう科学的なサポートも大切だが、かのんのように人間と人間とのサポートの両面が大切だ。

Dsc00093

発達障害は社会性の障害ともいわれ、子どもたちも、お母さんたちも疲れている。
キッズサポートかのんのような場があることで、どちらも救われているような気がした。
すばらしい施設だ。

|

2013年1月14日 (月)

ポスト3.11を生きる哲学

Photo

ホモ・サピエンスが誕生し、生き残っていくには、いくつもの奇跡が起きていた。

ビッグバンという奇跡の後、地球がうまれた。
その地球に、巨大な隕石がぶつかった6500万年前。
衝撃と気候の激変で、地球を制覇していた恐竜が死滅したといわれる。
生き物の世界は、哺乳類の時代になった。

4000万年前、アフリカにくっついていたインド大陸が、海の中を動いて、ユーラシア大陸にぶつかる。
その衝撃で、ヒマラヤ山脈ができた。
高い山脈にぶつかって、インドからアジアにかけてモンスーンが発生した。
たくさんの雨により、二酸化炭素は海の中に落ちた。
大気中の二酸化炭素は減り、熱すぎた地球はほどほどの気温になった。
これが、人類の生まれる基礎になる。

Photo_2 ヴィクトリアの滝。1億5千万年前に、火山の爆発によって地割れのような滝と峡谷と川ができた

何回か氷河期が繰り返された。
このころ、知恵をもった類人猿が生まれるが、地球を制覇していたのは大型の獣だった。
20万年前の氷河期をへた19.5万年前、ようやくホモ・サピエンスが生まれる。
12万年前、寒冷化が進むなかで、ホモ・サピエンスは生き残るために、出アフリカを試みる。
しかし、その祖先は絶滅する。

7万5000万年前、スマトラで火山の大噴火が起こる。
地球全体が、ちりで覆われ、太陽の光が遮蔽され、急激な温度の低下にみまわれる。
生き物は、すべて生きづらくなる。

7万年前、再び、寒冷化が襲う。
6万年前、ホモ・サピエンスは再び出アフリカを試みる。
おそらく、この時、出アフリカに成功したミトコンドリア・イヴが世界中の人々の祖先になっていく。

Photo_3

Gedc2440

寒冷化とともに、密林がサバンナに。そのサバンナで効率よく移動するために、直立2足歩行の生物体が生まれた。アウストラロピテクス(左)とホモ・サピエンス

我々ホモ・サピエンスは、自然の大いなる力の中で、耐え忍びながら、命を適応させてきた。
これからも、自然の大きな力の中で生きていくことには変わりない。
自然のなかで生きざるを得ないのが、我々なのだ。

そうしたことを再確認したうえで、エネルギーはどうしたらいいのか、農業はどうしたらいいのかを考え、ほどほどの工業化をしながら、他の生命体と共生し、どのように命を次の世代に繋げていくかを考えていく必要がある。

今回の災害では、多くの命が失われた。
だが、次に大きな災害が起きても、我々は生き残っていかなければならない。
そのために、原発や原爆のない地球をつくり出す、思想や哲学を築き上げていかなければならないと思う。

|

2013年1月13日 (日)

愛のかたち

Photo

38億年前、生命が奇跡的に誕生した。
生命を繋げる方法は、クローンだった。
あるとき、オスとメスに別れ、それぞれがDNAを出し合って、新しい命を誕生させるシステムが出来上がった。
このシステムでは、オスとメスが繋がらない限り、新しい生命は生まれない。

Photo_3

孔雀のオスは、美しい羽を広げて、メスを呼び込む。
アフリカで見た、この鳥は、オスが喉仏をいっぱい膨らませて、メスの気を引く。
ガラパゴスの軍艦鳥は、顔の2倍くらい喉を膨らます。
皆、命がけで異性の気を引くのだ。
オスのカバは、9歳になると性欲が亢進する。
すると、父親のカバが、青年のオスカバを家族から引き離す。
オスカバは、旅に出て他の群れのメスを探し交尾しようとする。

Photo_2

若いインパラは、戦いで打ち勝つと、メスを総取りして、ハーレムを作る。
皆、それぞれ違うスタイルであるが、命がけでパートナーを探している。
生き物の宿命である。

現在、日本では、男性の61%、女性の50%が恋人なし、という。
そのうち、異性との交際を望まない男女が半数いる。これでは、まずいのだ。
人間も、人間らしい愛のかたちが必要だと思う。

Photo_4

この写真(↑)は、セントルーシア公園のボートサファリをした後、一緒だった女の子たちが向こうから写真を撮ろうと声を掛けてきた。
いちばん上の写真は、南アフリカのダーバンの市場の美女たちが写真を撮っているところに、強引に割り込んだもの。
異性を求めて、強引さが必要なのだ。

|

2013年1月12日 (土)

サファリという旅

Jeep1

サファリとは、スワヒリ語で、旅のことをいう。
我々ホモ・サピエンスの祖先は、好奇心を持って、何度も出アフリカを試みた。
それ以前にも、単細胞から魚や鳥、獣へと、人類が生まれる旅、サファリを続けてきた。

ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」を意識しながら、夜の始まるサヴァンナのジープの上で、一杯のコーヒーを飲み、38億年の命の旅を頭の中に巡らす。

Photo_3

Photo_4 
Photo_6

キリンを目の前で見る。
十数頭のエレファントと出くわす。
小さな象が、ジープの目の前まで、好奇心を持って近づいてきた。
ゼブラの集団も見た。
動物園の動物と違って健康的で力強い。
輝きを発している。

Photo_2

バッファローは、黒い魂のかたまりのように見えた。
ヌーの一種とインパラとキリンがお互い襲うことなく、共存していた。
たくさんの種類の鳥たちが、自由に空を支配していた。
ノスリが小さな虫を見つけたのか、獲物を捕まえようと足に力が入っている。
長いサファリの同行者たちが、それぞれ自分らしく、アフリカの大地で生きているのを確認した。

Photo_7

場所は、南アフリカの下側にあるプライベート動物保護区のシュルシュルウェ。
ロッジは、テントでできている。
虫や鳥の鳴き声がずっと聞こえていた。
イギリスから来た人のテントでは、象の足音を聞いたという。
ここには動物と人間の出来るだけの共存があった。

|

2013年1月11日 (金)

お知らせ

明日12日(土)午前9時30分~、ラジオ福島に出演する。
キャスターの大和田さんと福島の現状を話しながら、チョコ募金について話す。
福島の方は、ぜひ、お聞きください。

|

カマタのおしり

Photo_13

南アフリカのタンボ国際空港からジンバブエの空港に着いて、入国審査で2人の青年が笑い転げている。
なんで笑っているのか聞くと、シェナ族の使う言葉で、カマタは「おしり」という意味だと言う。
ジンバブエからボツワナへ入ったが、そのときも、「カマタ」と名乗るだけで、大笑い。

ベラルーシやロシアでは、皆から「カマタ」とは呼ばれずに、「カマト」と呼ばれて来た。
名前は結構、人と人の距離を縮めてくれる。

Photo_14

サファリガイドのマブタさんは、ぼくの名前は「カマタ」というと、30秒ほどキョトンとした顔をした。
すでに「カマタ」の意味を知ったぼくが先に笑い出すと、我慢ができず、ふき出した。
失礼があってはいけないと思って、彼は我慢していたのだ。
ぼくの肩を抱き寄せて、なおも大笑い。
それ以来、ぼくは「おしりのカマタ」になった。

Photo_15

Photo_16

サファリのジープで、象やカバを探してダートを走っていると、「カマタが痛い」と笑いながら言う。
もちろん「おしりが痛い」という意味だ。
マブタさんは、仲間にも笑いながら、ぼくの名前を紹介する。
アフリカの言語は部族に分かれているが、比較的、母音で終わっていることが多く、「カサネ」「トロ」「タンボ」など日本語に近い言葉が多い。
ホモ・サピエンスの発祥の地アフリカは、やっぱり日本と繋がっているような気がする。

象のおしりから出たうんこは、紙の原料になるなど、大事な資源だ。
フンコロガシにとっても、栄養源になっている。
糞を食べた後の穴に、卵も産む。
フンコロガシの子どもたちは象の糞のなかで育つのだ。

メスが糞の上に乗り、その糞をオスが甲斐甲斐しく転がしている夫婦を見つけた。
ほほえましい光景だった。

Photo_17

そこのけ、そこのけ、糞転がしがとおる。字余り。

小林一茶なら見事な俳句をひねり出すことだろう。

|

2013年1月10日 (木)

ホモ・サピエンスの食事

Photo

パラントロプス(=上の写真)は、200万年前から100万年前くらいに生存していたが、粗食に適応したため絶滅した可能性が高い。
ホモ・サピエンスの祖先のホモ・エレクトスは同時期に、肉や脂肪、骨髄などを食べはじめた。
直立二足歩行だけではなく、ホモ・サピエンスが生まれるためには、食習慣が関係していた。
脳の重さは、体重の2%だが、25%のカロリーを使う。
脳が発達するためには、どうしても脂肪を取る必要があった。

アフリカに来て感じたのは、良質のタンパク質ならなんでも食べるということ。
どこにいっても、その土地の風習に合わせようとする鎌田は、ついにこれを食べた。

Photo_2

ワニである。
これが、うまい!
鶏肉にあぶらをのせたくらいの味がした。
ホモ・サピエンスはこうやって、哺乳類だけではなく、爬虫類の肉も食べていたのだろう。。

Photo_3

Photo_4 ワニビュッフェでワニを食べる鎌田

なおかつ、アフリカに来て、日本のみそスープがあることに驚いた。
肉だけではなく、発酵したみそスープや野菜をたくさん食べている。これが長寿につながる。

Photo_5 アフリカのみそスープ

Photo_6 やみつきになる肉汁

アフリカに来て、おいしいと思ったのは、とうもろこしの粉をお湯で溶いて、それに肉汁をかけて食べる。これが、なかなかやみつきになる。

いずれ、アフリカが貧困から脱出すれば、長寿になっていく可能性は充分にある。
日本人は江戸時代まで肉を食べる文化がなかった。その後、世界的に長寿になったのも、文明開化とともに肉を食べだしたことと関係があるのではないか。
やがて、アフリカのホモ・サピエンスが世界の健康長寿や文明のリーダーに復帰する可能性は高いと思った。
一日一食ダイエット法とか、草食男子ではやっぱり駄目だ。

|

2013年1月 9日 (水)

ジンバブエから

Img_2018_3

ジンバブエに着いた。
さっそく現地のスーパーへ。
ンデベレ族の女性たちが、トマトやその他の野菜を売っていた。
明るくて愛想がいい。働き者の女性のようだ。
おそらく自分で野菜を作り、市場に持ってきて売って、その間に子どもの面倒をみている。元気のいい女性たちだ。

Img_1966_2

Img_1975_3

かつて豊かな時代、石像建築文化が栄えた。
現代の若者たちにも、彫刻家が多いと聞く。
下の写真は、石や木を削ってお店を出している若者たちとの記念撮影。

Img_1939_2

そして、ヴィクトリアの滝へ。
イボイノシシが道路を横切ったり、ヒヒの親子が駐車場に出て来たり、川の淵にカバが出て来たり。
ここは動物たちの国でもある。

Img_2029

Img_2063

Img_2098

Img_2105

1兆ジンバブエドルのお札があるが、一銭の役にも立たない。
自分の国のお金が通用しない貧しい国だが、不思議なほど、皆明るい。
皆が貧しいと、貧しさが苦にならないのかもしれない。
格差が問題なのだろう。

Img_2001

この国も民主主義と自由と平等を獲得するために長い闘いがあった。
貧困から抜け出すのにはまだ時間が掛かりそうだが、日本にはない底抜けの明るさは、とても居心地がよい。

|

2013年1月 8日 (火)

猿人の洞窟

Gedc2384

今回の旅のハイライトのひとつ、人類発祥の地―スタークフォンテン洞窟に行った。
「力のある泉」という意味のようだ。
260万年前のアウストラロピテクスの骨が見つかったところだ。
ミセス・プレスと呼ばれている女性の骨は、石灰岩の洞窟のため、260万年の間、溶けることはなかった。
さらに、リトルフットと呼ばれる350万年程の猿人アウストラロピテクスの骨も見つかっている。

Gedc2361

この洞窟から1.2キロメートル離れたクーパース洞窟では、パラントロプス(200万年から100万年前の猿人)の骨がいくつも見つかっている。
この大草原に何種類もの猿人たちが、時代を超えて存在していたのだ。

Gedc2440パラントロプスは、粗食に適応したため、脳の進化が止まったといわれている。
一方、アウストラロピテクスは、肉を食べたり、骨髄を食べたりすることによって、脳の発達を促した。
肉を食べるために、260万年前には石器を造り出し、100万年前には、火を使い、進化をはじめた。
この後、原人や旧人を経て、ホモ・サピエンスが生まる。20万年前のことである。

Gedc2386

南アフリカでは、約10万年前のホモ・サピエンスがボーダー洞窟や、クラーシス河口の洞窟で見つかっている。
この大草原は、ホモ・サピエンスが生まれるゆりかごだったのだ。

|

2013年1月 7日 (月)

南アフリカに着きました

1301071gedc2307

ミュンヘンとパリで乗り換えをし、36時間かかって南アフリカに着いた。
出発の日、長野は-12℃。
南アフリカ、ヨハネスブルグは約23℃の季節は夏だ。
高度1500メートルの高原の街は、湿気はなく、さわやか。

1301072gedc2310

マンデラハウスとヘクター・ピーターソン博物館にすぐに行った。
ソウェトという黒人の町で1976年、約620人の若者が差別の元に殺された。
マンデラは抵抗運動をしたため、27年間、牢獄に入れられていた。

1301073gedc2315

この国に、民主主義と自由と平等がやってくるためには、長い時間の戦いが必要だったのだ。

|

2013年1月 6日 (日)

お知らせ

明日1月7日午前8時35分~、RKB毎日(放送エリア:九州北部)でチョコ募金のことが紹介される。
九州のラジオが放送してくれるのははじめて。
ありがたい。
RKBはテレビでドキュメンタリーをつくっており、子どもをつれて福岡に避難している福島のお母さんたちを追いかけている。
その番組にコメントを述べさせてもらった際、チョコ募金のことをお願いした。
みなさん、とてもあたたかい。
九州で、新しい協力の輪が広がるとうれしい。

|

鎌田實の一日一冊(158)

「福島核災棄民-町がメルトダウンしてしまった」(若松丈太郎著、コールサック社、1890円)

著者は、ぼくがプロデュースした「ふくしま・うた語り」のなかに収録させていただいた「神隠しされた町」を書いた詩人である。
今、南相馬市に住んでおり、お宅を訪ねて、お話を聞いたことがある。

「はじまり? 終わり?」というエッセイのなかに、三谷晃一という詩人の言葉が書かれている。
「何かがはじまってから五千年は経つ。
終わってもいいものは終わるころだ」
若松は、「私の前にあるのは何かのはじまりなのだろうか、あるいは何かの終わりなのだろうか。
そのことを見届けることも文学が存在する意味の一つであろう」と書いている。

Photo

この言葉には、触発されるものが多い。
命がはじまって38億年は経つ。
「終わっていいものは終わるころだ」というが、終わっては困る。
つないできた命は終わらせてはいけない。
ぼくがアフリカを訪ねるのも、そんな思いがあるからだ。
20万年前、ホモ・サピエンスが生まれたアフリカのサバンナに立ち、奇跡的につないできた命を終わらせないために、我々はどこへいったらいいのか、考えてみようとも思っている。

この本では、多くの想像力が喚起される。
原発があった双葉町のアーチには、「原子力正しい理解で豊かな暮らし」「原子力郷土の発展ゆたかな未来」と記されている。
ついつい想像してしまうのは、ポーランドのアウシュビッツ収容所の入り口にある文字である。
「労働は自由をもたらす」

スローガンのうそを見抜く力を、ぼくたちは身につけなければいけない。
これからも、薄っぺらなスローガンにだまされることなく、我々が来た道をきちんと振り返りながら、我々はどこへ行くのか考えていく必要があるように思った。

|

2013年1月 5日 (土)

お知らせ

1月6日、今年はじめての「日曜はがんばらない」(文化放送、午前10時~)はビッグ・ゲストをお迎えする。
俳優の菅原文太さんだ。
いのちを党を結成した。
この党は、命や自然を大切にする、緩やかなネットワークをつくり、次の世代にいい日本をバトンタッチしようとつくられた。
京セラの創業者・稲盛和男氏や哲学者・梅原猛氏、医師の中村哲氏、作家・野坂昭如氏など、30人ほどの人々が賛同者として集まった。

Pc132413 ゲストの菅原文太さんを囲む村上信夫さんとカマタ

文太さんは、腐った社会に風穴をあける人たちのことを「悪党」と呼んだ。
いのちの党の「党」の字は、そんな「悪党」の「党」に近い、と文太さんは言う。
日本をおもしろく、元気にし、気合を入れる。
そんな集団が始まった。

山田洋次監督の映画の主役を降りたいきさつや、農業をはじめた理由なども聞けそうだ。
ぜひ、お聞きください。

|

2013年1月 4日 (金)

起源をたずねる

新年早々、アフリカへ行ってくる。
「われわれはどこから来たのか、われわれはどこへ行くのか」をテーマにした新しい本の取材のためだ。

Dsc00174

Dsc00168 朝日が昇る八ヶ岳

すでに、黄熱病の予防接種も済ませた。
黄熱病は、熱帯シマ蚊によってウイルスが感染する。
黒吐病ともいわれ、患者発生数は年間約20万人といわれている。
把握できている亡くなった人の数は、97人という。

出発は本日。
アフリカのサバンナや砂漠に立ち、20万年前、ホモ・サピエンスがどんなことを考えていたのか想像したいと思っている。

|

初詣

1301031__

1301033___2

1301032___2
Ssdsc00044

諏訪大社に初詣に行ってきました。

日本の安寧と東北の復興を祈りました。
それから、アフリカ旅行の無事も祈りました。

|

2013年1月 3日 (木)

男女平等の社会を

男女の不平等がなくなるといいなと思う。
特に政治には、女性がもっと進出したほうがいい。
女性の感覚で、環境や平和、生活を重視した成熟社会をつくるリーダーシップをとってもらいたい。

男女の平等性をはかる世界経済フォーラムの2012年版では、日本は135カ国中101位だった。
男女差のはげしい、先進国ではめずらしい国とされてしまった。

Dsc00278 雪の岩次郎小屋

10数年ほど前、女性の看護師を副院長にした。
それだけでも、全国で評判になった。
企業の幹部に女性を半分くらい起用したほうがいい。
ただ、女性も小泉チルドレンや小沢チルドレンのように、キャンキャン言うだけではどうかと思う。
大きな権力に保護されているだけの女性議員は、新しい時代には合わない。
一方、政治の世界で力づくで生きていくうちに、女性のいい面が消えて、オヤジ議員顔負けの議員になってしまう傾向もある。
どちらもいただけない。
今年こそ、女性が政界や経済界、教育界の先頭を走るようになればいいなあ。

|

2013年1月 2日 (水)

エネルギー問題

この国はエネルギー問題をどうするのだろうか。
建設費が2兆円を超えたにもかかわらず、日本原燃の六ヶ所再処理工場はいまだに操業の目処が立っていない。
すでに、原発でできたプルトニウム45トンを保有している。
これは、なんと原爆4000発分にあたる。

Dsc00202 雪をかぶる岩次郎小屋のニセアカシア

廃止が簡単にいかないのもよくわかる。
再処理をギブアップすると、青森県はいまある使用済み核燃料も、それぞれの原発に返すと言い出すかもしれない。
各地の原発には、すでに貯蔵プールにあふれるほどの使用済み核燃料があって、とても受け入れられるとは思えない。
使用済み核燃料は、行き場がないのである。

核燃料サイクル事業をやめれば、仮にも保存しておく方法がなくなってしまう。
しかし、原発を動かし続ければ、始末できない使用済み核燃料がたまる一方だ。
19回も完成が延期されている“夢のエネルギー高速増殖炉”もまったく実用化に至っていない。
まさに、にっちもさっちも行かない状態だ。

政権が変わったから、またやるという単純な考えではなく、この状況をきちんと捕らえて議論すべきだと思う。
現状を考えれば、使用済み核燃料をこれ以上増やさないことを選択するしかないと思うのだが。

|

2013年1月 1日 (火)

明けましておめでとう

年末、ゆっくりとスキーを滑りながら、リフトに乗り、新しい一年の生き方を考えた。
55から65歳までは、人のために生きようと決めていた。
今年はその最後の年だ。
この一年、全力で東日本を応援しようと思っている。

Nenga2013_2

                鎌田實の年賀状(クリックすると大きくなります)

JIM-NETでは2012年秋からシリア難民の救援活動を開始しているが、シリア情勢はますます厳しく、難民は追い詰められている。
すべての人に生きる権利はあるはず。
シリア難民に支援の手をさしのべたい。
もちろん、イラクやチェルノブイリの子どもたちのことも支援したい。

今年も引き続き、お力添えをよろしくお願いいたします。

|

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »