うつろな荒野
我々は何者なのか、というテーマを抱えながらの旅を続けている。
はやくもケニアからエチオピアを経て、エジプトに着いた。
ここエジプトは、「アラブの春」後も政情は安定せず、空気は沈滞している。
なんと僕らが泊まったホテルは、我々以外一人もゲストがいない。
砂漠化は進み、国土の96%が砂漠という。
かつて肥沃だったナイル川流域に、文明が根付き、今から5000年ほど前には、エジプト王朝が誕生している。
紀元前2000年頃、文明は武装化した。
青銅の発明と馬を扱うこと、車輪を発展させ戦車をつくったことにより、インダス流域やメソポタミア、トルコを中心にした遊牧民のヒッタイトなどが、次々に武装化。圧倒的な攻撃力をもつようになった。
紀元前1600年頃、エジプト王朝は遊牧民の異民族に支配される。
このときのエジプトの社会を『イプエルの訓戒』は、「エジプトはうつろな荒野と化した」と記録している。
その後、再びエジプト王朝は復活し、ラムセス二世の時代には、ヒッタイトとの戦いに勝利した。
このアブシンベルに大神殿と小神殿を造っている。
レリーフには、「侵略」「征服」「支配」「残忍」「格差」が刻まれ、異民族の顔に足をのせて、異民族を打ち負かしたことを示す。
巨大なラムセス二世の立像を仰ぎ見ながら、これを造るためにどれだけ多くの人間の血が流れたかを考えた。
我々は何者なのかという問いをさらに深く考えていかなければならない。
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