悲しい想像
アテネのパルテノン神殿は混んでいるのでパスした。
ソクラテスやアリストテレスが哲学をしたというアゴラの廃墟を歩いた。
歩き疲れて、プラカの町に出た。
喉が乾いて道に広がっているカフェに入った。
アコーディオンを持った女の子がすぐに寄って来た。
チップが欲しいんだと思った。
なんとなく聞いてあげたくなって、アコーディオンの演奏を聞いてあげた。
「何歳なの?」「9歳」「学校は?」「行ってない」
これ以上は悲しくて聞けなくなった。
児童労働なのだろうか。
旅芸人をしているロマ人なのだろうか?
イースターに入るので、学校に行っていないというのは、学校が単に休みということなのか、学校に行けていないかは、実際のところ分からない。
チップはあげたが、なんだか悲しくなった。
この旅の始まりは、ケニアのキベラスラムだった。
ここよりもっと貧しいが、それでも子どもたちには勉強をするチャンスが与えられていた。
教育はすべての子どもに与えられるべきチャンスで、僕自身、教育によるチャンスがなかったら、与えられた環境から脱出することは出来なかった。
すべての子どもに、教育が与えられる世界になってほしいと思う。
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