道徳の授業で、鎌田のコラム
東京の目黒区立第十中学の道徳の授業で、毎日新聞の連載「さあこれからだ」が取り上げられた。
授業では、まず「希望」と書かれた習字のコピーが2枚黒板に貼られた。
一枚は、津波で流されて亡くなった六年生が書いたもの、と説明された。
この習字は「希望」(東京書籍)の本に載っており、一枚は表紙にもなっている。
その後、毎日新聞「さあこれからだ」をみんなで読んだ。
女川中学では、震災直後、ほとんどのものが流されたが、校庭のヒマラヤスギが残った。
校長先生のどうしてヒマラヤスギは残ったと思うかという問いかけに、ヒロカさんという女の子はこう答えた。
「何千人もの卒業生たちがこの木を愛してみつめてきた、そのまなざしでヒマラヤスギは強くなったのだと思います」
そして、彼女はおばあちゃんとお母さん、お姉さんを亡くしたが、「私が生きているということは、私には何かの役目があるから生き残ったのだと思います」とぼくに語ってきくれた。
宮城県の小学校のブラスバンド部の子どもたちが、アコーディオンやトランペットを津波の残骸のなかから見つけ出す記述では、だれかのために生きることの大切さを考えた。
ぼくが詩を書き、加藤登紀子さんとつくったCD「ふくしま うた物語」も流された。
この授業を受けた生徒たちからは、
「未来があることは当たり前ではないと思った」
「私なんか死んじゃえばいいとか時々言っていたけど、家族のために精一杯生きなきゃと思った」
「こんな境遇のなかで生きている人がいるのに、文句をいっているのが恥ずかしくなる」
などの感想が出た。
子どもたちは素直に反応をしてくれたようである。
自分の書いたものが、子どもたちの心を育てるために役立っていることはとてもうれしい。
| 固定リンク