チェルノブイリ訪問記④
チェルノブイリ原発から10キロのところにあるプリピャチは、かつて原発労働者の夢の町だった。
原発事故当時10歳だった若者アレクサンドルさんに、今はゴーストタウンになった、彼の住んでいたアパートメントを案内してもらった。
母親と一緒に暮らしていたその部屋の窓辺には、花がドライフラワーになってそのまま残っていた。
避難した後、母親がはじめて戻ってきたときに置いたものだという。
プリピャチは当時、若者たちにとってあこがれのまちだった。
住民の平均年齢は26歳。
優秀な技術者たちが住んでいた。
ソ連の中ではめずらしく、スーパーなどにはたくさんのものがあふれていた。
その夢のようなのまちが突然、住めなくなった。
「3日で戻れる」といわれ、1100台のバスに乗り込んだ。
そのバスの行列の様子を、アメリカのNASAが衛星からとらえて、事故を推定した。
この若者は母親と一緒に逃げたが、放射能疎開のための保養で各地を転々とし、母親といき別れてしまった。
探したがみつからず、孤児の施設に入れられる寸前に、劇的に母親と再会した。
自分は孤児になっていたかもしれないと話してくれた。
原発事故でみんなが人生を狂わされていった。
この一帯は毎時7~8マイクロシーベルト。
遊園地にも行った。
この遊園地があと5日でオープンするというときに発生した原発事故。
10歳だった彼は、オープンまで待ちきれず、遊園地にしのびこんでスタッフにしかられた。
電気自動車に乗りたくてしかたなかったという。
夢の遊園地。
その遊園地は一度も子どもたちを迎えることなく、廃墟となった。
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