私はガザ市民である
ガザ地区で、多くの子どもたちが犠牲になっている。
人口密集地で、子ども4人が死亡したが、そのときは一回は無人機による攻撃、一回は空爆によるものだった。
無人機は、画像を見ながらコントロールしているので、子どもかどうかわかっているはず。
避難所になっている学校も砲撃している。
イスラエル軍の攻撃はかなり問題がある。
こういう攻撃を繰り返しているから、世界からの共感が少ないのだろう。
ハマスのロケット弾攻撃には、納得できない気持ちもわかる。不安もよくわかる。
しかし、このままでは暴力の応酬がつづき、子どもを含む多くのガザ市民が犠牲になるばかりだ。
いま、パレスチナも壁に囲まれ、イスラエルによる占領と入植に苦しんでいる。
「私はガザ市民である」と、ガザの現実に共感してみることが大切だ。
ガザ市民一人ひとりに「生活」があったはずだ。
それは、イスラエル人も、パレスチナ人も、そして日本人も世界の国々も同じように尊いはずだ。
暴力と憎しみに拘束されたイスラエルとパレスチナ。
この暴力と憎しみから自由になるには、双方とも相手の身になって、勇気をもって、攻撃を止める決断をしてほしい。
| 固定リンク
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 日本はどこへ行くのか(22)(2025.04.29)
- 日本はどこへ行くのか(21)(2025.04.28)
- 日本はどこへ行くのか(20)(2025.04.27)
- 世界はどこへ行くのか(40)(2025.04.26)