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2014年7月29日 (火)

「憎まない」という処方

「それでも私は憎まない」(亜紀書房)の著者でもある医師イゼルディン・アブエライシュさんは、2009年のイスラエル軍のガザ攻撃で3人の娘を殺された。
その彼が、グローブ・アンド・メール紙に手記を寄せている。
その一部を紹介する。

「歴史が繰り返されるようで、私は怒りと痛みを感じる。
2009年に殺害された3人の娘の血は乾かなったし、傷はいやされなかった。
そのために我々は尊厳、正義、そして平和への対局にある病気に苦しんでいることを認める勇気が必要なのだ。
戦いはパレスチナ人、イスラエル人として私たち全員にとって、脅威と敵である占領に対して向けられるべきである。
イスラエルの指導者は、軍事的手段によって紛争を終わらせることに失敗したことを、勇気をもって認めなければならない。
やるべきことは占領を終わらせることだ。

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情熱的で有能な医師として我々はまず病気を食い止める必要がある。
病気を食い止めるために我々は両側における暴力の停止を処方する。
しかし、たとえ、一方の側でも、暴力が停止すれば、暴力の食い止めははじまる。
我々が処方できることは一つに、占領と爆撃から来る、より大きな暴力の停止である。
それはまた、ある程度、相互の憎しみと暴力を停止し、
両側の憎しみを食い止める。
もう一つは憎しみの抵抗である。
患者は勇敢、公正であり、だれかが暴力行為にさらされたとしても、憎しみにとりつかれてはならない。
それでもって、私たちは、病気を治癒しはじるめることができる。
その治療は、人々がお互いに尊重し合い、人権侵害・剥奪、屈辱、嫌がらせ、非難、悪口、ヘイトスピーチに
終止符にを打つことが要求される。

市民であり、医師である私たちの責任は、正しい診断を行い、思いやりと勇気をもって正しい処方を書くことだ。
患者が絆創膏のような対症療法を許してはならないし、我々が絆創膏のみを処方するように誘惑されてもいけない。
我々はそうする医師に対して批判的でなければらない」

今年2月、来日した彼と講演会を開いたが、彼は「憎しみは病気」だと語っていた。
憎しみは、屈辱や嫌がらせ、剥奪、拷問によって引き起こされる。
そして、その憎しみは次なる暴力によって仕返しされていく。
この繰り返しのなかで、憎しみと暴力は増幅されていく。
現在のイスラエルとパレスチナの関係をつくっている憎しみのおおもとは、イスラエルの占領にあると彼は主張しつづけている。
その通りだと思う。
イスラエル側の占領がなくなれば、パレスチナ側からロケット弾攻撃もなくなる。
暴力の応酬を根本的に止めるためには、イスラエル側が占領を止めること。
これがイゼルディンさんの主張である。
ぼくも同感である。

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