1000万PV超に感謝
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
| 固定リンク
キャンプに沈む夕日
主治医のアブドルラフマン先生の病院では、白血病の子どもの治療にはどうしても必要な、6-MP、ビンクリスチンが全く手に入らないとのこと。
「1%の力」(河出書房新社)の本の印税で、アルビルで薬を購入して届けた。
その時、ニブラスの容体を聞いた。
腫瘍は非常に小さくなった。うまくいっているという。
ニブラスを元気づけ、感染症予防などを教えるために彼女を訪ねた。
JIM-NETは難民キャンプの子どもたちに美味しいものを食べさせようと、炊き出しをすることにした。
佐藤事務局長と榎本さんが二人で羊のスープにラーメンの麺を入れて、クルド人に食べてもらおうと考えた。
すると、食堂のおやじさんがスープだけでなく大変安いお金で、サラダや肉料理や豆料理を作って難民キャンプまで運んでくれた。
アラブでは食事はゲストが中心。
その後、男性が食べて、その後、子ども、最後にようやく女性が食べる。
その定型を崩して日本流の食事をすることにした。
子どもと女性を中心に車座になって一緒に食事を始めた。
男も女も子どもも外国人も、みんな同じ人間。一緒に食べると一気に仲良くなった。笑顔の少なかったニブラスが美しい笑顔をするようになった。
チョコ募金のチョコレートを子どもたちにプレゼントしてきた。
チョコ募金への応援を是非よろしくお願いします。
| 固定リンク
アンカワモールキャンプの子どもたち
夜中の飛行機でアンマンからアルビルに移動。
時差で体が慣れていないため、ほとんど眠れなかった。
着くとすぐにアンカワの診療所のナガム先生の家でランチを食べた。
ブドウの葉やトマトの中にご飯をつめてオリーブオイルで作ったドルマがおいしかった。
部屋の状況を見せてもらいに入った。
3歳の娘が「イスラム国」に誘拐されたという家族がいた。「イスラム国」の司令官に娘を返すよう訴えたが拒否されたという。
42歳のお母さんが70歳くらいの老人に見えた。精神的にも病んでいると言っていた。夫が視力障害者であるため逃げ遅れたことを後悔している。ここでの生活も、目の見えない彼にとってかなり生活しにくそうだ。
このキャンプでも、できるだけ早く生活改善が必要なように思う。
ナガム先生とナガム先生の聖マリア教会診療所を支援する契約を結んだ。
聖マリア教会診療所を支援すれば、当然、この難民キャンプの医療支援にもつながる。
半年間は薬を中心とした支援をしたいと思っている。
ぜひ、お力添えをお願いします。
| 固定リンク
ヨルダンのアンマンから2時間ほどシリア国境に向かった地域に巨大なザアタリーキャンプができた。シリア内戦に巻き込まれた国外難民が150万人いると言われている。その中でも最も巨大なザアタリーキャンプはピーク時には20万人、現在は10万人が生活をしている。半分はプレハブやコンテナ、半分はテントで生活している。
キャンプには、巨大な商店街ができ、一つの街に近い。
JIM-NETでは、ここの仮設病院を応援している。特に戦争で傷つき手や足を失った人たちの機能回復訓練を行っている。
ぼくたち3人のスタッフが訪ねると、日本人が提案している女性の機能回復訓練や訪問リハなどに非常に興味を示してくれた。障害があるためリハセンターに通院するのは大変だが、そのための交通手段を応援したり、こちらから訪問することでリハビリの有効度を高めることができる。シリアのドクターや理学療法士たちは、興味をもってくれたようだ。日本で行われている普通の地域リハを持ち込もうとしているが、どうも受け入れられそうだ。
シリアから脱出した19人の医師が中心となり、10万人を対象に診療を行っていた。その中の外科医バッサームさんから「できるだけ早くシリアに戻りシリア国内で傷ついている人のために命がけで働きたい、シリアに戻ったら薬などの応援をしてもらいたい」という要請があった。
「1%の力」(河出書房新書)をもう少し売って、その印税で彼の夢を応援したいと思っている。
彼とは連絡を密にとることを約束した。
34歳の農業をしていたイサームさんはアサド政府軍の地雷を踏んで右足を切断。右手の損傷も酷い。
それでも彼はリハビリをやってその後義足を作り、家族が待っているシリアに帰りたいという。
どんなに危険でもシリアに帰りたい人たちと、アサド政権の圧政と「イスラム国」が暴れている不安定なシリアには二度と戻りたくない人と、それぞれである。
ひげ面のイサームさんは時折笑顔を見せて、「シリアに帰る」と言った。
10万人の難民キャンプを去る時、診療所の責任者から、スタッフ3人に感謝状が渡された。数日後、難民キャンプのニュースには、日本のNGOが支援に来たというニュースが載った。
ヨルダンの可能回復訓練プロジェクトの責任者、JIM-NETの福田さんに、ザアタリーキャンプから感謝状
難民キャンプでは、一つの街の機能を十分に保っている。ルールや治安が守られていて、行政的手腕が発揮されていることがよくわかった。しかし、生活は劣悪、できるだけ早く難民キャンプが不必要になることを祈っている。
| 固定リンク
成田をたってトルコのイスタンブールを経て、20時間かけてアンマンに到着。
翌朝すぐにヨルダン北部の街イルビドの都市難民の家を歩いた。
なんと3人のこどもさんを亡くし、奥さんが左足を切断、たった一人生き残った15歳の娘は左腕の切断という家族に出会った。シリアのダラアという街で政府軍の空爆にあって必死にヨルダンに逃げてきた。
父親は、「アサド大統領は国民を守るための軍隊ではなく、国民の命を奪う軍隊をつくった。」と言った。彼に戦争とは何かと聞いたら「人生のすべてを奪ったものだ。」と答えた。
15歳の娘ルカイヤちゃんに君の夢は何かと聞くと「医者になりたい。スウェーデンに行って医学部に入る。」と言った。
勉強しているかと聞くと、にこにこしながら「勉強している。」と答えた。
この家は、絶望の中でたった一つの希望があるとすればルカイヤちゃんが夢を叶えて世界に羽ばたくときだろう。羽ばたいて欲しいと思う。
8歳のターハ君の家を訪ねた。
夫を空爆で失った若いお母さんが一人、鎮痛な表情で僕たちを迎えてくれた。足と手は砲弾によってケロイド状に筋肉や皮膚を奪われていた。腹部にも大きな傷跡があった。今年の4月に空爆を受けたという。
まだ日が浅い。悲しみから癒えていない。お土産に持って行ったケーキを子供たちが見つけて目を輝かせた。本当はお土産を持っていくべきではないと思ったが、とにかくこの家にとって久しぶりの嬉しい出来事だったようだ。こどもたちはて手づかみでケーキを食べだした。にこにこして。
その子供たちに明るい未来がつながることを祈っている。足や手を失った子供たちや若者たちに義足をつくる「希望の足プロジェクト」が開始された。たくさんの人の応援を待っている。
1. 政府軍の兵士からスナイパーから銃撃、脊椎を打たれ、脊損になったクサイ君(12歳)
2.足を切断したお母さんと左腕を失ったルカイヤちゃん(15歳)
3.空爆を受け体中が傷だらけになり歩行障害と戦っているターハ君(8歳)
| 固定リンク
| 固定リンク