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2015年10月 8日 (木)

アレクシエービッチの言葉

ノーベル文学賞に最も近い作家といわれるスベトラーナ・アレクシエービッチ。
次のようなことを語っている。

「旧ソ連邦は核戦争を想定してきましたから、我々そういうものを準備してきたわけです。
我々は核戦争と原発の平和利用を分けて考えていたわけです。
例えば旧ソ連邦の学者アレクサンドロフは、原発を考えました。
サハロフは平和利用を言っていました。
しかし、今日は戦争の利用と平和利用は意味が同じではないかといえると思います。
私の『チェルノブイリの祈り』はすでに17か国語で翻訳されています。
しかしベラルーシでは出版されていない。
全体主義体制に踊っている。
民主的な考え方をする人々が消されてしまっています」

Dsc08096001_2 チェルノブイリ原発の近くにある廃墟となった遊園地で

「チェルノブイリは多くの哲学的問題を引き起こしています。
キリスト教には万物の霊長という言葉がありますが、チェルノブイリ以降はその考え方が崩されました。
移住のとき、人々の乗ったバスを、豚や牛がじっと見ていた。
私もそういう人々の話を聞きましたが、目を合わせるのが恐ろしい。
動物を残していくとき、その目はとても悲しいと言われています。
たくさんの人たちは自分の飼っていた猫や犬の名前を書き残してきました。
兵士がそれらの動物を射殺していったのです。
猫や犬の共同墓地があります。
人間はそれだけのことをする価値をはたしてもっているのでしょうか。
それは大きな問題です。
チェルノブイリという実験場で、ベラルーシ人は自らチェルノブイリ人になってしまった。
ほかの民族と違った特殊な民族になってしまったかのようです。
人類の知識が蓄積されてきたわけですが、そこにいた人々はほかの人々と同じような生き方ができない。
たまたま原発の近くに住んでいて、風が吹いて、汚染されてしまったというそれだけのことなんですね。
たとえば飛行を記録しているブラックボックスと同じように、ベラルーシ人はチェルノブイリの実験場で起こっていることに
自分たちの身体で記録して協力しているということを言う人がいます」

勇気のある、威厳に満ちた作家である。
アレクシエービッチがノーベル文学賞を受賞したら、もっと多くの人が彼女の作品から人間の真実を読み取ると思う。

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