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2015年12月11日 (金)

もんじゅという幻想

高速増殖炉もんじゅから、できるだけ早く撤退すべきである。
当初かかわった動燃も、現在管理している原子力機構も、まともな管理ができない状態が続いている。
20年動いていないものをこれから動かすなんて危険すぎる。

やめられない理由は3つ。
一つは、1兆円ものお金を出したのに、何の成果も上がっていないこと。
資源がない日本で、原発の稼働でできてしまったプルトニウムをエネルギーとして再利用したいという目論見は、実現性が乏しい。
かつてナトリウム漏れ事故があったように、ナトリウムは水と反応して爆発するため、管理も非常に難しい。
だから、積極的だった英国やフランスは、すでに撤退した。
世界では10兆円が投資され、日本でも1兆円を投資してきた。
これを取り戻そうとして続ければ続けるほど、国民の負担は増える。
人間には限界があるということを知っただけでも、成果はあったと考えるべきである。

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二つ目は、貯まってしまった48トンのプルトニウムの存在理由。
核兵器の材料になる大量のプルトニウムをなぜ保有しているのか、理由がないと世界から批判が集まる。
三つ目は、核廃棄物の具体的な永久保存場所が見つからないこと。
永久どころか、中間貯蔵施設さえ見つからない。
玄海原発や柏崎刈羽原発、東海第二原発は、あと3年で使用済み核燃料の保管場所がなくなる。
結局、核のゴミは捨て場がないのである。
だから、もう原発から撤退するしかないというのは、当然の帰結だ。
だが、原発推進派にとっては、もんじゅを継続し、その一角を死守したいのである。
もんじゅという幻想が崩れれば、原発を中心としたエネルギー政策も理論上立ち行かなくなる。
現実は、とうの昔に立ち行かなくなっているのに、いつまで幻想と嘘を守るつもりなのか。

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