聴診器でテロと闘う(24)
難民キャンプ訪問記①
危険なシンジャールから帰った後、ドホークに泊まり、
危険なシンジャールから帰った後、ドホークに泊まり、
ユーイング肉腫で治療中のナブラス(14歳)を訪ねた。
チョコ募金のチョコレートの缶に、オレンジ色のポインセチアを描いてくれた女の子だ。
以前と比べものにならないくらい、状態は悪化している。
彼女は、ヤジディ教徒で、シンジャールに住んでいた。
2014年8月3日、ISの襲撃が始まり、彼女も命からがら逃げてきた。
いまは建てかけの、隙間だらけの家で、貧しい生活している。
ちょうど1年前の1月に、彼女を訪ねたときのこと。
この一家は生活が苦しいので、診察の前に炊き出しをしようということになった。
ドホークの食堂のオヤジさんが、喜捨の心で、一族全員で宴会ができるほどの、大ごちそうを用意してくれた。
肉料理や魚料理、スープが並んだ。
魚料理は、魚が好きというナブラスのために作ってくれたのだ。
2014年7月に病気が見つかり、治療したものの腫瘍は増大傾向にあった。
今回も主治医と連絡を取り合ったが、
CT画像で見るかぎり、腹部から広がった巨大な腫瘍は片側の胸部を突き抜けている。
反対側の胸部にも7か所転移がある。
ナブラスの手を取って、
「もう一回、元気になろう」「必ず元気になれる」と励ました。
彼女は、「もう一回、勉強したい」という。
父親が、「この子は勉強ができる子だ」と横からつけ加えた。
――君がいたシンジャールに昨日行ってきたよ。
今、ISはシンジャールからいなくなった。
ペシュメルガが追い出した。
君の町に、ISがいなくったんだ。
病気さえ治れば、シンジャールの学校に帰れるぞ。
別室に家族を呼んで、CTを見せながら説明した。
首都バグダッドに連れていっても、日本へ連れていっても治す方法がない。
できるだけ明るく、彼女を支えてあげよう。
病気は厳しいけれど、病気には時々不思議なことが起こる。
少しよくなることもあるので、希望を捨てないように。
ドホークのドクターにはこの前、抗がん剤を届けたのでよく知っている。
よく診てもらえるように願いしておくから。
父親の手を握ると、屈強そうな父親が涙を流した。
ISに追われ、ふるさとから離れて、隙間だらけのコンクリートむき出しの家で、
やっと生きているナブラスをいとしいと思った。
◇
年末年始、イラクの難民キャンプを訪ねた。
支援活動と難民の人たちとの交流を、「難民キャンプ訪問記」でこれから紹介していきたい。
| 固定リンク
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 日本はどこへ行くのか(24)(2025.05.16)
- 日本はどこへ行くのか(23)(2025.04.30)
- 日本はどこへ行くのか(22)(2025.04.29)
- 日本はどこへ行くのか(21)(2025.04.28)
- 日本はどこへ行くのか(20)(2025.04.27)