鎌田實の一日一冊(267)
「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか:“最後の弟子”森一久の被曝と原子力人生」(藤原章生著、新潮社)
日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川博士。
その湯川博士の最後の弟子、森一久の原子力とかかわった人生を描いている。
森は、京大を卒業後、中央公論社に入社、科学ジャーナリズムの道を歩んだ。
9年間仕事をした後、日本原子力産業会議の職員になり、
96年からは原子力産業会議の副会長になる。
湯川博士から、内側から監視をしろといわれている。
しかし、内側から東電などにプレッシャーをかけるがなかなか聞いてもらえない。
東日本大震災のずっと前に、全電源喪失のリスクを避けるため、電力会社には3台の電源車を置くよう提言するが聞いてもらえなかった。
スマトラ沖地震の26mの津波にも着目して、電力会社に苦言を呈している。
結局、インサイダーとして、核の平和利用を夢見てきたが、夢破れ、原子力産業会議を辞める。
その後は、外側から日本の原子力産業に苦言を呈し続ける。
森は、広島の原爆で家族を失くしている。
本人も被曝し、白血球は10分の一に減り、死線をさまよった。
時が経って、「湯川ともう一人の教授から、広島に原爆が落ちそうだと言われ、家族を疎開させ難を逃れた」と、京大の同窓生から話を聞く。
湯川博士はアメリカの広島原爆投下を知っていたのか?
この謎を解き明かしていく。
原爆投下の2~3か月前、アメリカではどの地点に投下すべきかを議論していた。
東京、博多、横浜などが候補地として上がるが、一番は広島だったようだ。
しかし、どんな事情があったにせよ、アメリカの会議の内容が日本の学者に知れることがあるのだろうか。
謎は謎のままである。
原子力の平和利用という言葉に騙され、日本では原子力産業が広がった。
そして、福島第一原発の事故。
なぜ湯川博士が原子力委員長を半年で辞任するのかもわかる。
日本がたどった原発事業の誤りが見えてくる本である。
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