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2016年3月

2016年3月31日 (木)

聴診器でテロと闘う(57)

ユーイング肉腫の7歳の男の子の相談を受けた。
再々発である。
3年前、シリアのダマスカスで手術を受けた。
その後、再発したが、シリアでは内戦状態で治療ができないため、
ドホークの病院に来て化学療法を受けた。
しかし、最近になって再発。
脳が大きく腫れあがるようになった。
CTを見せてもらうと、かなり大きな腫瘍である。
アルビルの私立病院で手術してくれるという。
公立病院では3か月から半年待ちで、いつになるかわからない。
脳の腫瘍はかなり大きいので、本当に手術が有効かどうかわからない。
日本に帰って脳外科医にCTを見てもらうつもりだ。
手術の費用は、公立病院はタダだが、私立病院では150万円かかるという。
難民にとっては、つらい判断である。

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父親も母親も兄弟たちも、シリアのカミシリから出られず、
祖母がこの7歳の男の子を連れて逃げてきた。
祖母のつれあいは、つい最近ISに殺された。
いくつものの悲劇が重なり合っている。
戦争が起こると、子どもたちはまともな医療が受けられない。
もちろん、医療をもってしても、すべての命を助けることはできない。
でも、助かる可能性のある命は救うべきである。
救命できない場合も、納得できるということが大事だ。
戦争は、ベストを尽すことも、納得することも邪魔している。
どんな理由があっても、戦争をしていいことはない。
シリア内戦が始まって5年。
ばかげた戦争のために、犠牲を出すのはもうたくさんだ。

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2016年3月30日 (水)

聴診器でテロと闘う(56)

テントの生活は過酷だ。
夏は暑く、冬は寒い。
電化製品を使うとすぐにショートして、出火する。
焼死者も多い。
3度の熱傷で手が拘縮している親子の診察をしてほしいと頼まれた。
子どもは、左手が指が曲がらなくなっている。
手首も拘縮している。
父親は両肘が拘縮している。
ケロイドを取って自分の皮膚を移植するしかないだろう。
ドホークに形成外科の病院があることがわかり、5月に手術するとことを決めた。

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この親子が治療しながら、生活の自立ができるよう、オートバイを貸すことにした。
オートバイを活用して、商売をしたいという。
もともとシリアでは大工だった。
カミシリから一時間半ほど離れたところにあるまちは、ISに町を包囲され、ヌスラ戦線など反政府の過激派が暗躍する暗躍する地域になってしまった。
八百屋をやってみたが、なかなかうまくいかなかった。
知り合いから、「今お金がないから、後で払う」と言われると、ダメとは言えない。
結局、元手が取れず、知人に野菜をただで配るような感じになってしまったという。
父親はいま、靴屋をやろうと考えている。
子どもの治療ためにも、しっかり生活を自立させなければ、と希望を語る。
が、ちょっと心配。
このオヤジさん、本当に商売がうまくできるだろうか。

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2016年3月29日 (火)

聴診器でテロと闘う(55)

クルドの経済は急激に悪化している。
イラク戦争が終わった後、いち早く治安を回復したクルドは、世界から投資が行われ、建設ラッシュになった。
しかし、今、建てかけのビルが放置されているのが目立つ。
停電も多い。
クルドの30%の地域で電気事情が悪化している。
イラクに約320万人の難民が来ているが、その半数はクルド自治政府内にいる。
この人たちの生活を守るために、自治政府は財政困難だ。

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石油の値段が下落しているのも経済を悪化させている大きな要因である。
中央政府との関係もギクシャクしており、中央政府から予算の17%をもらう約束になっているが、それが果たされない。
そのために昨年10月から銀行は預金を下ろせない状態になっている。
それでもすごいのはホームレスがいないことである。
イラク人たちの心意気ややさしさなのだと思う。
放っておかず、雨風をしのげるところで生活できるようにしている。
金券や物資が配られ、何とかギリギリ生きていけるように配慮されている。
かつて豊かだったイラクは貧しくなった。
だが、心の豊かさは失っていないように思う。

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2016年3月28日 (月)

聴診器でテロと闘う(54)

ぼくがアルビル市内で健康づくりの講演をしているとき、彼はスタッフとして写真を撮ったりしていた。
目のがんのサブリーンのスライドを映したとき、イブラヒムも写っていたことに気づき、
舞台に上げた。
「私はJIM-NETのスタッフで、バスラの小児病院で院内学級をしているイブラヒムです」
などと、自己紹介してくれればいいと思っていたのだが、
なんとマイクを持ち、自分の妻が白血病で亡くなり、がんと闘おうと決意したことなど、10分間も滔々としゃべった。
みんなイブラヒムの話に泣いている。
会場のみんなの心をつかんだのだ。

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この男はいつも明るい。
パワーがあふれている。
それでいてやさしい。
人間のなかの人間だと思っている。
ぼくが疲れた顔をしていると、「明日がある、明日がある」と日本語で歌い出す。
ぼくの肩も揉み、「お元気ですか」と日本語で言う。
実にやさしい男だ。
だが、彼には別の面もある。
イラクでは宗派が強い世界だが、もう一つ部族という見えない世界がある。
部族で決めたことは守るしきたりがあり、部族がかたまりとなって戦いもしてきた。
ムサビーというイラクで最も大きな部族の、彼はドンなのである。
「大事なことは、戦わないようにすること。
戦いをしていいことはないと思ってきた」とイブラヒムは言う。
小さな部族が宗派争いや過激派に巻き込まれたり、ときには危険な任務を担わされたりする。
イブラヒムの「できるだけ戦わないように話をしてきた」ということは、難しくとても重い。
JIM-NETスタッフが危険な目に遭わずに済んできたのは、こういう目に見えない大きな力のもとに安全が守られているからかもしれない。
この日本人たちを何とか守ってあげなければいけない、と尽力してくれている人たちがいるかもしれないことに感謝したい。

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2016年3月27日 (日)

鎌田實の一日一冊(275)

「バビロンの秘文字」(堂場瞬一著、中央公論新社)
イラクのモスルの近くに、100万人のラガーンという民族がいるという設定である。
ラガーンは、ほかのどの民族にもつながらない。
20万人がラガヌという地域に住み、80万人は世界で金融業などで活躍している。
ラガーン人はバビロンの末裔ではないかといわれている。
ラガーンのことが書かれている未解読の粘土板。
失踪した恋人。
4500年前のロマンと現代の世界を変えようとする新しい力とか格闘する。

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イラクに行く飛行機と乗り換えの待ち時間で読んだ。
とにかくおもしろい。
わくわくする。
全三巻。
次が読みたくなってしまううまいつくりだ。

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2016年3月26日 (土)

鎌田劇場へようこそ!(261)

「さざなみ」
イギリス映画。
シャーロット・ランプリングが、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
結婚45年の夫婦に、さざ波が立ってく。
夫は、かつてスイスの山でクレバスに落ち行方不明になった恋人を忘れられず、屋根裏に行っては恋人の写真を見、山岳日記を読み返している。
50年前に死亡した恋人は年を取らない。
夫は突然のように、恋人の死に入り込んでいってしまう。
45年、夫婦として一緒に生活していてもわかり合えない。
生活をしていると些細なことが「爆弾」となる。
今は爆発しないが、いつか爆発する時限爆弾。
やがて、仕掛けたことも忘れた「爆弾」を踏み、突然、爆発する。

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夫役のトム・コートネイは名作映画「長距離ランナーの孤独」(1962年)の主役俳優。
妻役のランプリングは、ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」(1969年)に出演。
「愛の嵐」(1974年)では衝撃的に演じた。
映画はいいなと思わせてくれる。
最後は圧巻。
結婚45周年のパーティで、最後に踊るダンス。
「煙が目に染みる」「ハッピィトゥギャザー」など60年代の名曲が流れる。
人間の難しさがよくわかる。

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2016年3月25日 (金)

聴診器でテロと闘う(53)

マルチシムーニ診療所を訪ねた。
みんなが握手を求めたり、声をかけてくれたりして迎えてくれた。
前日のパーティーで、日ごろのボランティア活動を表彰したことがうれしかったのだろう。
ほとんどの人が仕事をしていないので、わずかだけれど一回だけの給料を出したことも、喜ばれたようだ。
代表をしているバッサム先生は「とにかく、みんなのやる気が変わりました」と言う。
「避難民のつらさを癒せるような、医師や看護師の仕事ができると思う。
日本の支援がなかったら、自分たちは仲間の難民を助けることができなかった。
自分自身も難民であるが、患者さんを助けていることで、自分のアイデンティティを失わずにすんでいる。
感謝している」

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バッサム先生は、ぼくの講演を聞いて、感動したとも話してくれた。
健康のための5つの目標はわかりやすい。
笑わせ、泣かせ、心を揺さぶっているのがよくわかったという。
このドクターは、誠実だ。
ぼくが講演しているときも、自ら下働きをし、だまって講演を聞いていた。
イラク人にはこういう誠実な男が多い。
                     ◇
マルチシムーニ診療所は一時、世界中から支援が入ったが、すでに撤退した。
JCFが年間1000万円近い薬剤費を出し、4つの診療所に薬を供給しているが、これが診療所の生命線となっている。
そのことが、64人のスタッフたちもわかったようだ。
民間の診療所はこれからが大変。
JCFとしてできるだけ長く支援していこうと思う。
日本の外務省からの応援ももらっている。
感謝しているが、ぼくたちNPOをもっと支援してくれれば、子どもを助けるために力を尽せると思う。

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2016年3月24日 (木)

聴診器でテロと闘う(52)

バグダッドの現地スタッフのアブサリードが、
バグダッドセントラル教育病院のがんの子どもたちと親を連れてアルビルまでやってきた。
みんなでサッカーをしたり、レストランでおいしいものを食べてもらう計画を立てた。
アブサリードは、薬や医療材料を届けながら、いつも子どもを励まし、笑わせる名人である。
2月27日ファルージャ近辺にいたISが、バクダッドから10キロのところまで攻め入った。
まさか首都を攻めるとは思わなかったので、虚を突かれた思いだという。
ラマディもISを追い払ったはずなのに、ほとんどの市民は戻れていない。
一度ISに奪われた町は再生するのに時間がかかる。

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アブサリードはもともとパレスチナ人。
フセインがいなくなってよかったと思っているが、フセインの時代を嫌いではないという。
パレスチナ人は複雑だ。
イスラエルに自分たちが住んでいた土地を奪われ、自治区も奪われ続けている。
世界にはパレスチナ難民も多い。
アブサリードは、イラク人であり、パレスチナ人だという。
どちらの自分にとっても、平和が大事、どんなことをしても戦争はいけないと訴えた。

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2016年3月23日 (水)

聴診器でテロと闘う(51)

ISが制圧していたシンジャール山の麓にあるラピアという町からやってきた母親と三人の子の一家。
父親は、心筋梗塞で入院中。
長男は、非ホジキンリンパ腫。
不幸が続いている。
彼らはベドウィン、遊牧の民である。
小枝に土を塗り込んだような簡単な小さな家で、草を求めて転々とする生活をしていた。
父親の体調が思わしくなく、50頭の羊を全部売って、アルビルに出てきた。
しかし、仕事がない。
「昔の生活が懐かしい。お金はなかったが、豊かだった」と母親は言う。
町で生活するのにお金が必要だ。
食費だけで月4000円かかる。
母親がマッシュルーム栽培のパートで得た月2000円だけでは足りない。
羊を売ったお金を少しずつ取り崩し、親戚にも借りているが、親戚も大変だ。
帰りたくても、ISが怖くて帰れない。
遊牧の民の彼らは、シンジャール市の周りに草を食べさせに行っている間に、ISに包囲された。
市の真ん中はペシュメルガがISを追い出したが、周囲にはまだISがおり、ベドウィンの親戚は脱出できない。

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二男の7歳の男の子は、学校でいじめられ、学校に行けなくなった。
「勉強しないとだめだぞ」とぼくが言うと、男の子はにこっと笑った。
「お母さんは一生懸命働いて、君たちを育てている。
お母さんを楽にしてあげなくちゃ。
君が勉強して、お母さんが楽できる人間になれ」
そう言うと、「わかった、明日から学校へ行く」と言う。
夢を聞くと、「医者になること」
「そうか、ぼくは医者なんだ」
聴診器を鞄から取り出して、彼の耳につけた。
そして、ぼくの胸に当て、
「おれの心臓の音が聞こえるだろう。わかるか?」と聞いた。
男の子は「わかる」と言い、トン、トン、トン、トンと口で心臓の音を真似た。
うれしそうだ。
初めて聞く世界なのだと思う。
「しっかり勉強して医師になれ。自分の夢を実現しろ」
すると、3歳の一番下の男の子が「ぼくも医師になる」と言い出した。
「そうか、みんな勉強しなくちゃな」

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ISがまちを占領したためモスル大学に通えなくなったサマワは、スレイマニア大学の医学部で勉強している。
いま最終学年で、医者になる日も近い。
そして、このベドウィンの少年たち。
聴診器でテロと闘う仲間が増えだした。
「聴診器でテロと闘う」という言葉が、イラクで流行りはじめたら面白いな。

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2016年3月22日 (火)

鎌田劇場へようこそ!(260)

「グランドフィナーレ」
こういう映画大好き。
映画のなかの映画だ。
芝居や小説、オペラでは表せない、映画だからできる陶酔の映像美。
そこに、ぞくぞくするような会話がのってくる。
有名な映画監督と有名な指揮者は親友。
指揮者は、イギリスの女王の御前で自分が作曲しヒットした「シンプル・ソング」の演奏を断ったことがある。
二人とも人間離れしたころがあり、友情は堅い。
作曲家が「好きな女性をくどくのに20年かった」と話し、「まさか手を出していないだろうな」と映画監督に聞く。
「手を出したかどうか、もう覚えていない」と映画監督。
実際は、公園を歩いていただけということが後にわかる。
友情を守ったのである。

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「80年かけて甘い言葉が言えるようになった」
「軽はずみは才能」
ジェーン・フォンダが大女優という役で出てくるが、映画監督が「男たちから君を守った」と言うと、「私の力で、私の意思でハリウッドにのし上がったのだ」と語るところは迫力。
人間はすごいなと思わせてくれる。
ジェーン・フォンダの成功を、「愚かで恩知らずだから成功したんだ」と批判ではなく、評価した。
質の高いウイットが続く。
ストラヴィンスキーなどのすばらしい音楽が映画を飾る。
どうやって撮ったのかと思わせる画面も圧巻。
これぞ映画。
映画の醍醐味を満喫した。

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2016年3月21日 (月)

鎌田劇場へようこそ!(259)

「孤独のススメ」
オランダ映画。
この映画はとにかくすごい。
静かなスタートを切るが、ぐいぐいと映像に引き込まれていく。
人間の孤独や寂しさ、悲しさがあふれている。

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しかし、どっこい人生は捨てたものではないということが徐々にわかってくる。
人生なんでもあり、ということを何も持たない男から教えられる。
生きるとはどういうことか、やさしいというのはどういうことか。、
孤独なんてちっともこわくないということがわかってくる。
不思議なおかしさがある映画だ。
こんな映画に出合うと、生きててよかったなと思える。

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2016年3月20日 (日)

鎌田實の一日一冊(274)

「超説ハプスブルク家 貴賤百態大公戯」(菊池良生著、エイチアンドアイ)
700年余り世界を制したハプスブルク家がどうして崩壊していったのか。
深い知識と掘り下げた歴史研究、さらにあふれるほどの教養が、こんな面白い本を書いた。
語り口は、講談を聞いているようだ。
「フランツ・ヨーゼフ皇帝は何も手を打たない。どこかの国の洋酒のコマーシャルのように、何も足さない、何も引かない、
とひたすら帝国中心部に巨大な空虚を作り出すだけでけある。
それは、古来、人は、空虚を畏怖する! といわんばかりである。帝国は滅亡にひた走る」

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ときには、昔いた雷オヤジのように講釈をたれる。
「人間には二つのタイプがある。自分が受けた理不尽な仕打ちにどう対処するかでタイプが二つに分かれる。
こんな仕打ちを受けたのは自分でストップさせよう、決して繰り返してはならない。実に潔い態度である。
一方、自分は我慢した。これはイニシエーションなのだ、と負の連鎖にしがみつくタイプがある。
そして、残念なことに、人間にはこのタイプが圧倒的に多いと思われる」
ハプスブルク家の最大の武器は、王家同士の婚姻。
背けば、貴賤婚と差別される鉄の掟に、命がけで抗った大公・大公女たちの生き様を、
事実を小説のようにかみくだいたり、ひん曲げたりしながら、わかりやすく、おもしろく展開してくれる。
とにかく、おもしろい。

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2016年3月19日 (土)

もっと「見える化」を

つい最近、消費者庁が発表したデータによれば、福島県産の食品の購入を控えるという人が15.7%を占めた。
実際のところ、福島県産の野菜などはほとんどが放射線は検出限界以下である。
なのに、小さなお子さんをもつ母親に聞くと、福島県産のものは食べないという人がおり、
その理由を聞くと、基準値以下であっても、微量な放射線があるのではないかと不安をもっているのだ。
福島県では、米の全袋検査などを実施し、放射線の「見える化」によく取り組んでいる。
しかし、まだ十分ではない。
市場に出回る農産物などは、1キロ当たり100ベクレルという基準値以下であることは間違いないと思うが、
消費者としては、基準値以下の細かい数値を知りたいのである。
例えば、その野菜が75ベクレルなのか、10ベクレルなのかわかれば、
買う時の判断材料になる。
なかには、75ベクレルでもいいという人もいるかもしれないし、
子どもに食べさせるので、10ベクレルのも避けたいと思う人がいるかもしれない。
そうやって自己決定できることが大事だ。
年に何回かでいいと思うが、基準値以下の細かい検査結果をすべて公表する日をもうけたほうがいいと思う。
風評被害は、そうした「見える化」によって減らすことができるのではないか。

1603151fullsizerender 雪に覆われた諏訪中央病院の屋上庭園

放射線の測定所は、小松真理子さんの報告では、2016年3月現在で274か所ある。
これは、行政、各組織が運営する測定所で、市民が食品などを持ち込むことができる。
多くの測定所は、食べ物をすりつぶして測定する機械を入れているが、
大きな組織の測定所では、まるごとのままで測定できる機械が入っていることが多い。
測定するものも、野菜だけでなく、水や土壌の測定などもある。
帰還許可が出て、自分の農地の土壌を詳しく調べたいという人や、県外に避難したが、自分の家の安全性を調べたいという人などが持ち込むことができる。
市民測定所は「中立」であるという安心感から、利用されている面もあると思う。
こうした放射能測定所が存続するために、JIM-NETでは食を考えるダイアローグの会などを催し、
測定所にかかわる人たちが語り合いながら、命と自然を守っていく活動に取り組んできた。
今後も、まだまだ市民測定所の存在価値は高い。

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2016年3月18日 (金)

ゆうゆうワイド

30年続いたTBSラジオの「大沢悠里のゆうゆうワイド」が4月7日に最終回を迎える。
ラジオは、自由に発言できるのがいいが、特にゆうゆうワイドは、何を話してもいいような雰囲気があって、とても楽しい。
イラクの難民キャンプから帰って間もなくの3月7日、出演させてもらった。
平和のこと、イラク難民キャンプのこと、東北のことなどを話した。
話題は、福島の子どもの甲状腺がんについて及んだ。
                       ◇
甲状腺の一巡目の検査で、甲状腺がんが100人、さらにがんの疑いが15人に見つかった。
二巡目の検査ではもう甲状腺がんは発生しないのではないかと想像していたが、
甲状腺がんが16人、がんの疑いが35人出た。
今まで「がんの疑い」とされていた子どものほとんどが、手術で最終的に甲状腺がんであることがわかったので、
160人を超える子どもに甲状腺がんが発生している可能性がある。

160307dsc_0503 「大沢悠里のゆうゆうワイド」のスタジオ風景

チェルノブリ原発事故では、ウクライナとベラルーシの両国で約6000人の子どもに甲状腺がんが見つかった。
その当時、子どもだった人が30年経って、成人してから甲状腺がんになった人も含めると、7000人を超す人が甲状腺がんになっているという。
福島の県民健康調査検討委員会は、甲状腺がんが乳幼児で発生していないことや、放射能汚染のひどいところでの多発が起きていないことなどを理由に、
原発事故との因果関係を否定的に考えている。
そもそも、半減期が8日の放射性ヨウ素131の被曝測定がほとんど行われていないことが問題。
簡易測定を1080例までやったところで、県民を不安にするという理由で検査を中止してしまった。
とんでもないことだ。
このときにきちんとした検査が行われていれば、現在の甲状腺がんが原発事故と関係しているか、ある程度わかったはずである。
医者の視点からすると、甲状腺がんが確定しただけでも116人もいるというのは、想像以上に発生数が多い。
単に検診対象が多いからたくさん見つかったというのでは、どうも説明できない。
簡単に「因果関係はない」と切り捨てず、関係があるかもしれないと考えながら、今後も慎重に検査をしてくことが大事だと思う。
                      ◇
大沢悠里さんが最後に、「子どもの命はどうなのですか」と聞かれた。
チェルノブイリではほとんどの子どもは命が助かっている。
福島でもおそらくきちんとした治療をすることで助かる、と話すと、
「安心しました」と大沢さん。
これ以上、福島の人を心配させたくないという、やさしい思いが伝わってきた。

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2016年3月17日 (木)

聴診器でテロと闘う(50)

バスラのジャナン先生は、25キロ離れたところから、車を運転してきている。
女性一人で車を運転するのはとても危険な行為だったが、今は大丈夫だ。
治安は少しずつよくなっている、とジャナン先生は言う。
「経済も、まあまあ」
しかし、「子どもたちの心は壊れ始めている」
若者たちには、麻薬が広がっている。
クウェートやイランから麻薬が入ってきているらしい。
今までイラクでは、フセインがすべてをコントロールしていた。
フセインが怖くて、薬物どころではなかった。
その足かけが取れたのはいいが、若者たちが突然、自由になり、自分をコントロールできずに薬物に手を出している。
これを何とかしなければいけないという。

Photo 子どもたちの心の問題を心配するジャナン医師(左から二番目)

一時期、警察が腐敗しているとか、賄賂が横行しているということはあったが、
それは、お金があったときの話。
問題は政府の能力だ。
政府が本気でやる気になれば、薬物も止めることができるはずだとバスラのドクターたちは言った。

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2016年3月16日 (水)

聴診器でテロと闘う(49)

JCFとJIM-NETへ、イラク北部ナイナワ県より感謝状が贈られた。

ISの迫害でモスルから避難してきたドクターやナースたちが働く、PHC(プライマリ・ヘルス・ケア)診療所の開設に協力してきたことへの評価だ。

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難民の方も安心して医療を受けられるように、
ぼくたちの支援はこれからも続く。

ご協力よろしくお願いいたします。

【サポーター募集しています】
JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)
JCF(日本チェルノブイリ連帯基金)

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2016年3月15日 (火)

聴診器でテロと闘う(48)

首都バグダッドのセントラル教育病院のサロマ先生に話を聞いた。
サロマ先生自身が乳がんと闘いながら、小児がんの治療に取り組んでいる。
人格者であり、白血病治療の最先端のデータを頭のなかに詰め込む、イラクの小児専門医が敬愛するドクターである。
そのサロマ医師は、「決して悪い方向に向かっていない」と言う。
「バグダッドは治安はよくないが、以前より少しましになっている。
みんなで丁寧に生きていけば、白血病の子どもたちは助けることができる」
と、情熱をもっている。
給料の遅配は3週間くらいで、2か月になったりすることはなくなったという。
大幅の給与のカットも、中央政府軍側ではない。

Jcf 薬品などJIM-NETからの支援物資

しかし、中央政府軍の薬だけでは子どもたちを十分に助けられない。

今回も足りない薬をアルビルの市場で買っていくという。
「JIM-NETが12年間、イラクの最先端の小児白血病の病院を助け続けてきたことに感謝している。
これがなかったら、私たちの心は折れていただろう。
今後も薬が足りないとき、お願いしたい」と言われた。

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2016年3月14日 (月)

聴診器でテロと闘う(47)

シンジャールやラマディは、ISから奪還されたもののなかなか帰れない。
シンジャールは爆弾が仕掛けられており、とても人が入れない状態だという。
ラマディは、ISを追い払ったものの、アメリカの空爆が町を破壊し、とても住めるような状況ではないと、ラマディから逃げてきたスンニ派の若者は話していた。
この2か月中に、モスルに総攻撃が行われるかもしれない。
またモスルも、破壊された町になってしまうのだろうか。
「シンジャールに帰りたい」「ラマディに帰りたい」という子どもたちから聞いた夢。
戦乱はその夢を壊している。

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Photo アルビル市内の様子

モスルのISは追い詰めれば、おそらくシリアのラッカに逃げるだろう。
一部はリビアやチュニジアなど防衛能力の低い地域に入り、新しい陣地を広げていく。
なんとも世界は混とんとしている。

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2016年3月13日 (日)

鎌田劇場へようこそ!(258)

「木靴の樹」
エルマンノ・オルミ監督の作品では、「ポー川のひかり」が大好き。
優秀で若い哲学者が大学を辞め、ポー川のほとりの小さな村に住む。
村の人たちとの交流を通して、哲学者が変わっていく物語。
自分自身もいつか、この映画のような空間のなかで、人生とは何か、命とは何か、死とは何か考えながら、生きてみたいと思わせるオルミ監督の作品である。

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オルミ監督の代表作「木靴の樹」は、
19世紀末の北イタリア、ベルガモが舞台。
地主の元で働く貧しい4軒の農民の生活を見事に描いていく。
本当に農民をキャスティングしたようだ。
この4軒のうちの一つに生まれたミネク少年は、優秀であった。
学校に行かせなさいと言われるが、4軒の農家で学校に行っている子はない。
父親は少年のために、地主の樹から木靴をつくる。
地主に見つかり、農園を去らざるを得なくなる。
収穫の3分の2をとられる生活も残酷であるが、農園を出た生活ももっと残酷だ。
つらい生活のなかで必死に生きる人たちの姿を、オルミ監督が美しい映像で描いている。
名作中の名作である。
3/26~岩波ホールで特別ロードショー。

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2016年3月12日 (土)

震災から5年

昨日3月11日は、震災の番組に出演した。
NHK総合番組では、津波のなかで3人の子どもを救った男性の感動的な話を聞いた。
その後、宮城県の閖上から生放送に出演した後、車で1時間45分移動。
福島県楢葉町の竜田駅前から、日本テレビの生放送に出た。
楢葉町の帰還者は、まだ6%。
人の声もなく、夕餉の臭いもなく、生活の臭いもなかった。
空間線量は駅前で毎時0.18マイクロシーベルト。
毎時0.23マイクロシーベルト以下ならば年間1ミリシーベルト以下に収まる。
たしかに帰還できる地域ではあるが、若い人たちで帰る人は少ない。
医療や買い物などの生活に必要なものが不十分だ。
水が大丈夫かと、不安を抱く人もいる。
水に関しては、町が測定し、放射線が出ていないことがわかっている。
しかし、生活空間の除染は徹底的に行われているが、森や林、山に関しては除染が行われていない。
水は地中を循環するので、山がきれいにならないかぎり、不安を抱くのもよくわかる。
政府が、森や林、山の除染に消極的なのが大きな問題だと思う。

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これから4月になると、南相馬市の小高区も帰還許可が出る。
でも、若い人はなかなか帰るという決定ができない。
高齢者だけの町になって、10年単位で町の維持ができるかどうかという不安もある。
震災から5年。
大きな課題ばかりが目の前に立ちふさがっている。
しかし、絶望のなかにも、希望があった。
明日13日午後1時50分~はNHKアーカイブス「震災5年(2)“あの日生まれた命”に希望を」に出演する。
感動的な番組、ぜひ、ご覧ください。

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発作性心房細動

循環器科で、発作性心房細動と診断された。
高血圧や糖尿病があると脳梗塞のリスクが上がるので、血栓溶解剤などを使用したほうがいいとのこと。

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ひっかかるのは65歳以上ということらしい。
65歳以上で頻回の心房細動があるため、抗不整脈剤を短期間試し、低血糖発作が起きないかどうかみてから、常時、薬を飲むか、発作が起きてから頓服で飲むかを決めることなった。
レントゲン検査では、心臓肥大はみられなかった。
心エコーでも、左房の肥大はみられなかった。
医師から「無理をしないこと」と言われたが、
少しでも役に立てればと、もうしばらく走りまわるつもりだ。

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2016年3月11日 (金)

内部被ばく検査

東日本大震災から5年。
福島県にあるひらた中央病院の公益財団放射能対策研究所が、
第四回内部被ばく検査結果を公表した。
これは、平成26年2/1~27年11/30までの検査結果。
大人用では5607人が検査し、3人に放射性セシウムが検出された。
その値は、7.2ベクレル/キログラム、5.4ベクレル/キログラムなど。
2011年当初の検査結果と比べると、各段に改善している。
ここ3年ほどは、内部被ばくのリスクは大幅に抑えられていることがわかった。
また、ベビースキャンで0歳児から12歳児までを対象にした検査も行われ、2010人が検査したが検出された人はゼロであった。
この公益財団は、栃木県や茨城県とも契約を結び、希望者の検査を行っているが、
両県とも放射性セシウムの検出はゼロであった。
放射能対策研究所は、このデータをオープンにしているので、興味のある方はご覧ください。
同時に、飲料水や野菜などを購入する際、どんな注意をしているかなどアンケート結果も載せている。
ここ数年、内部被ばくが低い状態で推移していることを確認でき、少し安心した。

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2016年3月10日 (木)

聴診器でテロと闘う(46)

モスルから逃げてきた人たちの多くは、モスル奪還の戦いが2か月以内に始まると信じている。
アメリカの攻撃ヘリが250機準備されているとの噂もまことしやかにささやかれている。
モスルには、一般市民もまだたくさん残っているが、戦いが始まって逃げてきたとき、どこで見るかが問題になっている。
ISが混じっている可能性があるからだ。
ISが支配する地域との緩衝帯に難民キャンプをつくり、そこでみる計画もあると聞いた。
ISの被害者であるから守ってあげなければいけないという人の一方で、同じスンニ派なのでISに同調するのではないかと疑いの目でみる人もいる。
難しい判断を迫られそうだ。

Photo モスル名物のクッパ

戦いは、アラブ政府軍が中心になり、周囲をクルド自治政府軍が固める。
イラク国内にISの逃げ場をつくるわけにはいかないので、逃がすとすればシリア国境沿いに追い出すのだろう。
モスルの戦いは予断が許されない状態だ。

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2016年3月 9日 (水)

聴診器でテロと闘う(45)

バグダッドの教育病院のがん患者さんたちがアルビルに遊びに来た。
治安の悪いバグダッドでは、子どもたちがのびのび外で遊ぶことなどできない。
アルビルは比較的治安がいいため、白血病の子どもたちがゆっくり過ごせる。
なかには、祖母と兄が白血病で亡くなったという、遺伝性の白血病と闘っている家族もいた。

Photo

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子どもたちと遊ぶために、サッカー場をタダで貸してくれた。
サッカーをし、地下の教室でお絵かきをしたりした。
描いてもらった絵は、来年のチョコ募金の缶の絵になるかもしれない。
一流のレストランで食べたいものを食べてもらった。
みんなご機嫌。
京都の一澤信三郎帆布から寄付されたバッグやリュックを、子どもたちにプレゼントした。
バグダッドから来たアヤさんは、おしゃれな鞄に大喜びだ。
みんながほんのちょっとやさしくなると、子どもたちは元気がでる。

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バグダッドは一時、シーア派の人が多く、スンニ派の人たちは、ISの仲間ではないかと疑われたりした。
ラマディなどからバグダッドに治療に行くと、冷たく扱わることもあったという。
その空気は、だいぶ変わった、とマゼン先生。
「部族間でも熾烈な戦いをした。
でも、どの部族も勝っていない。
シーア派とスンニ派で戦ったが、本当の勝利はどちらもとってない。
くだらない戦いをしても、勝者はいないことに気づた。
ISのみが戦いの相手と思いようになりだした。
進歩しないイラクでも進歩している」と語った。

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2016年3月 8日 (火)

聴診器でテロと闘う(44)

白血病の治療で、骨髄移植は重要な治療の一つだが、イラクでは骨髄移植をする技術がない。
一年間で7人のイラクの白血病の子どもが、インドで骨髄移植を受けているが、
7人中4人が亡くなった。
治療成績はあまりよくない。
イラクで初の骨髄移植センターをつくるよう日本政府にお願いしているが、
まだ確実な動きはない。
センターをつくり、人材を育てていくのは大変である。

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JIM-NET会議では、名古屋大学の小島教授が提唱するCAR-T細胞療法が話題の上った。
白血病にみられるCD19という細胞の抗体をもったT細胞を約2週間かけて大量に培養し、血液に戻すという選択的な白血病の治療法だ。
これに近い治療はアメリカで行われつつあるが、5000万円かかるという。
小島先生によると、今年中にCAR-T細胞療法が行われるようになる。
日本を含めたアジアを中心にセンターをつくり、イラクから白血病の子どもの血液を送れば、
そこで抗体をもった細胞を増やすことができる可能性があるという。
費用は約50万円。
たしかに一理ある。
今からイラクに新しい設備をつくり、人材を確保するのは並大抵のことではない。
むしろ、こうした新しい方法により、白血病治療をイラクで確立していくことができれば、中東全体の医療のレベルを上げることになると思った。
近々、小島先生と、東京で雑誌の対談しようということになっている。

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2016年3月 7日 (月)

聴診器でテロと闘う(43)

バグダッドの2つの教育病院とバスラの小児病院、アルビルのナナカリ病院を支援してきた。
その具体的な支援について、年に1回、多い年は2回、JIM-NET会議で議論して決めている。
今回は小児の緩和医療について議論した。
治療成績はある程度上がってきたが、ある一定以上上がらない。
亡くなっていく子どもも多く、その亡くなり方が悲惨である。
チョコ募金のチョコ缶にポインセチアの絵を描いてくれたナブラスさんはユーイング腫瘍で亡くなった。
昨年暮れに訪ねたとき、ふるさとのシンジャールに戻れたら何をしたい? と聞くと、 「学校へ行きたい」と話してくれた。
彼女の夢はかなわず、それから2週間後に息を引き取った。
佐藤事務局長が撮影した動画をみると、最後、ナブラスさんはがんの痛みに苦しんでいた。
亡くなるときに、苦痛がないようにしてあげたいと、多くのドクターから意見が出された。
今年の課題は緩和医療だ。
ナナカリ病院からも緩和医療のレクチャーを受けたい、特に看護師にPCUの経験を積ませたり、 研修を受けさせたいという希望が出てきた。

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また、パスラの小児病院はアメリカが立派な病院を作ってくれたが、放射線治療の設備もあるのに、まったく動いていない。
放射線の専門医がいないからだ。 ずっと探しているが、見つからないと言う。
この治療装置が動けば、救える子どもたちも多い。
放射線治療が必要なときは、インドやイランに連れて行っていた。
ジャナン医師は、白血病を遺伝子レベルで診断できるフローサイトメーターという装置があるが、 これを使える専門家が1人しかおらず、試薬が高価で自分たちでは買うことができないと訴えた。
ナナカリ病院には、フローサイトメーターを使えるように協力し、試薬の一部補助をしてきたが、 機械はあるのに人材や試薬が足りないことで、十分に活用されているとはいえない。
この「宝のもちぐされ」のような現状を解決していなければならない。

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2016年3月 6日 (日)

深刻な介護人材不足

気仙沼では、介護人材の不足がかなり深刻。
介護福祉士やヘルパーなどが足りなくて困っているという話だ。
津波の被害に遭った気仙沼では、新たに70床の特養ができたが、
30人しか利用者が入っていない。
スタッフが足りないためだ。
歴史のある福祉施設グループが運営する恵心寮の寮長とお会いしたが、
この施設では働きやすい空気をつくり、職員も驚くほど長く定着している。
しかし、新しい介護人材が入ってこないという悩みを抱えている。
被災地の沿岸部は若者の人口が減り、建設業や水産加工業の求人倍率が高い。
復興事業でも雇用があるため、被災者支援のために給与が高く設定されているものもあるため、
そちらに人材が流れてしまうという。
介護はやりがいがあり、人から感謝され、自分も成長できる魅力的な仕事である。
気仙沼圏域では介護人材確保協議会が設立され、
現在6か所の特別養護老人ホームから34人の募集、5箇所の介護老人保健施設から13人、10か所の通所介護からは12人が募集されている。
現場ではこれ以上に足りないと感じているようだ。
被災地の人と人との関係の復興のためにも、地域包括ケアが広がるように、国も県も市も共同して立ち向かわないといけないと思う。

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2016年3月 5日 (土)

被災者の糖尿病リスクが6割増に

福島県の南相馬市や相馬市の住民延べ約2万人を対象に調査したところ、
原発事故後に仮設住宅などに避難した住民の糖尿病の発症リスクが最大6割増加したことがわかった。
これは、東大の坪倉先生らを中心にしたチームの調査で、英医学雑誌に発表された。
被災者の糖尿病リスクが6割増というのは、予想外に多い。

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被災後、家庭や仕事など生活習慣が一変し、今後の不安も大きくのしかかる。
そうしたストレスは、高血糖を起こす原因にもなる。
狭い仮設住宅のなかで閉じこもりがちな生活や運動不足が関係している可能性もある。
絆診療所の遠藤先生は、仮設の集会所にPTなどと同行して「まけない体操」をすすめてきたのは、こうした生活習慣病のリスクを下げるためだ。
また、震災直後、避難所などでの食事はおむすびやパンなど、どうしても炭水化物が多くなりがちである。
これらの食事も、今後は見直す必要があるのではないか。
緊急支援としておむすびはとても便利だが、同時にタンパク質や野菜を提供できるようになるといいと思う。

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2016年3月 4日 (金)

聴診器でテロと闘う(42)

マルチシムーニ教会で、難民の人たち50人に集まってもらい、
健康づくりの講演をした。
会場は、笑いと涙があふれた。
このクリニックで、ぼくたちの相談役をしているバッサーム先生は、講演会も手伝ってくれた。
バッサーム先生はいつも明るく、やさしい。
モスルのハムダニア病院からISに追われて逃げてきた。
娘さんがダウン症で、白血病になった。
白血病は、リカア先生の治療で完治することができ、とても喜んでくれた。

Image2f1f6626aeb893b2856282c8b6ff_2 健康づくりの講演会に協力してくれた、頼もしい相談役のバッサーム医師(右から2番目)

アルビルにあるJIM-NETの事務所には、時々ナナカリ病院でがんの治療を受けるため、バグダッドやバスラからやって来た貧しい子どもたちが、ホテル代わりに泊まっていく。
ある時、ユーイング肉腫の子どもが激しい痛みに襲われ、スタッフではどうすることもできなかった。
そのとき、バッサーム先生が鎮痛剤をもって駆けつけてくれた。
イラク人は、フレンドリーで信頼があつく、あたたかな人が多い。

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2016年3月 3日 (木)

聴診器でテロと闘う(41)

マルチシムーニ教会の4つの診療所は64人の人々で1年半維持されてきた。
その多くはモスルやカルクーシュなどでISに迫害され、着の身着のままで逃げてきた人たちだ。
ドクターから掃除のおばさんまで、職種に関係なく、半年以上働いた64人のスタッフの労をねぎらって、一時金を渡した。
このお金は日本のキリスト教徒の医師団が募金活動をし、JCFとJIM-NETに寄付してくれたものだ。
ボランティアとして働いたこの人たちも、長期化にともなって、望郷の念が強まっている。

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診療所のドクター・ハナにインタビューした。
「本当につらい状況だった。
何が起きたかわからなかった。
自分の命を守ることだけで精一杯だった。
しかし、小さなテントのなかで熱を出し、死にかけている人を見て、
自分が医者であることを思い出した。
産婦人科医であるが、人々の命を救わなければと思った。
日本人のおかげで、薬を供給してもらい、避難民の人々の健康を守ることができた」
ISから逃げて避難生活をはじめたときの様子を語った。
診療所を支えてきたドクター・ハナだが、
彼女の7歳の子どもが糖尿病になってしまったという。
発病にはストレスが関係しているようで、遺伝性の糖尿病ではないようだ。
日本でも南相馬と相馬で大々的な調査が行われ、大人ではあるが被災者の6割に新しく糖尿病が発生していることがわかった。
避難生活ではストレスが大きい。
同時に、救援のために配られる食糧は糖質に偏りがちである。
国連では、小麦と砂糖と油を配った。
これも、糖尿病のリスクを高める一因ではないか。
ドクター・ハナは難民となり、息子とともに、ドイツへ行く決意をした。
「この国ではキリスト教徒は受難である。
ドイツで医師としての仕事を見つけられるかわからないが、とにかく決意した。
今日はうれしい。
こうやって表彰状と金一封をもらえた。
日本人に感謝します」

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2016年3月 2日 (水)

カマタの怒り(20)

40年廃炉ルールが骨抜きに
原子力発電所は、運転開始から40年で廃炉にするという「40年ルール」。
脱原発に向けた流れをつくるものだ。
「圧力容器が中性子の照射で劣化する目安」を40年とし、当時の民主党政権下でこのルールが決まった。
しかし、運転開始から40年以上経つ高浜原発1、2号機(関西電力)が、原子力規制委員会の新規制基準に事実上合格し、
この40年ルールが骨抜きにされようとしている。
納得できない。
福島第一原発事故でこれほど苦しんでいるのに、まだ脱原発へと舵を切れない。
とんでもない国である。
この40年ルールで、美浜原発の1、2号機(関西電力)は廃炉になった。
発電効率の低い小さな原発であったため、切りやすかったのではないか。
廃炉にするにも莫大なお金がかかる。
老朽原発でも稼働できれば、経営上助かるのだ。
こういう打算的な考え方だけをしているから、いつまで経っても脱原発はできない。
日本が世界のリーダーになっていくには、すぐれた技術で新しいクリーンなエネルギーを確立していくことが大事なのだ。
40年ルールを守ると、時間の経過とともに原発は廃炉になっていく。
廃炉のために、莫大なお金がかかる。
結局、原発はつくるときにも、原発立地の市町村にお金を注ぎこむなど、莫大なお金がかかり、廃炉にするときにも莫大なお金がかかる。
しかも、使用済み核燃料は行き場がない。
そんなどうしようもない問題を国民に見せないために、
問題解決を先送りにして、できるものなら続けていこうということなのだろう。
とんでもないことである。

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2016年3月 1日 (火)

ヨルダン大使館の勉強会で

ヨルダン大使館では、外国から来られた女性と日本の女性とで4つのグループに分かれ勉強会をしている。
その勉強会に呼ばれ、ヨルダンのザータリキャンプで行っている手足を失った難民たちのリハビリテーションの話や、
イラクの難民キャンプで行っている健康づくりについて話をさせてもらった。
ぼくたちの活動に共感や理解をいただき、JIM-NETのチョコ募金にも協力していただいた。ありがたいことである。

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ヨルダン大使夫人のシーファさんにはいつも応援していただいている。
もう12年のおつきあいになる。
ぼくたちがヨルダンのアンマンに事務所を構え、
イラクの子どもたちの支援をしたときから、通訳をしていただくなど支援をしていただいた。
ヨルダンに行くと、シーファさんのお母さんの手料理でもてなされたこともあった。

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