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2016年4月

2016年4月30日 (土)

鎌田劇場へようこそ!(266)

「シチズンフォー スノーデンの暴露」
元CIA職員で国家安全保障局NSAの職員をしていたエドワード・スノーデンが、アメリカのスパイ行為を世界に告発した事件。
世界中のニュースになったが、すでにドキュメンタリー作家のローラ・ポイトラスが香港でスノーデンの言葉をドキュメンタリーにした。
国家を告発する、彼にはどんな覚悟があったのか。
彼は勇気を奮い立たせて、自分の名前を公表し、政府がどのように国民の電話やインターネットを盗聴していたか暴露する。

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インターネットは、だれでも自由に発言できるという意味で、一人ひとりの人間を自由にするはずのものだった。
しかし、探ろうとすれば、だれが何を言っているのか、何を検索したのか、だれと会っているのか、すべてわかってしまう。
敵対する人間の知られたくない事実を新聞や週刊誌にリークすることで、その人間を悪に仕立てることだってできてしまう。
自由を守るには、プライバシーを守ることが大事なのだ。
スノーデンの言葉が、とてもシンプルでいい。
「自分の言うこと、すること、話す相手、想像や愛、友情の表現、そのすべてが記録される世界にぼくは住みたくない」
ぼくも同感である。
インターネットとの距離の取り方を考える時代になっているのは間違いない。
知らない間に監視され、コントロールされる可能性があるのは、この映画をみればよくわかる。

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2016年4月29日 (金)

鎌田劇場へようこそ!(265)

「追憶の森」
アカデミー主演男優賞のマシュー・マコノヒーと渡辺謙ががっぷり四つに組んで、
ずらしい演技をする。
富士山の樹海で自殺しようとする男をマコノヒーが演じる。
死を目指して彷徨いながら、人生がすばらしいということに気がつく。
死を目指しながら、必死に生きようとするところがおもしろい。
そして、愛の深さに出会うのである。
すぐれたミステリーだ。

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マコノヒー演じるアーサーは、ナオミ・ワッツ演じる妻とうまくいかない。
妻はアルコール依存症になり、夫は妻が何を考えているかわからない。
妻は死亡する前、病院ではなく、自然豊かなところで死にたいと言った。
その言葉に誘われて、片道切符で日本の樹海へと入る。
そこで、渡辺謙演じるタクミと出会い、俳句の世界のような不思議な体験を繰り返していく。
キーワードが、愛へとつながっていく。
映画はおもしろい。
4/29~ロードショー。

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2016年4月28日 (木)

チェルノブイリ30年から何を学ぶか3

25年前からゴメリのツーリストホテルを利用している。
当初は、ゴメリ市の幹部職員の善意で、ホテル側と交渉してくれ、安い料金で泊まることができた。
最近は、その特典はなくなったが、ベラルーシのお金は価値が下がっており、ドル換算で一泊26ドル、日本円で約2600円と安い。

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昼ごはんで、野菜サラダときのこスープ、豚肉のチーズ焼きを食べ、コーヒーも入れ、しめて400円。
夜はキエフカツレツを食べた。これも400円。

ベラルーシの経済は悪い。
ルカシェンコ大統領が圧政を敷き、自由な経済が行われていない。

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2016年4月27日 (水)

チェルノブイリ30年から何を学ぶか2

2012年1月、ベラルーシの首都ミンスクで、強制移住について副市長に聞いた。
ベラルーシでは、避難区域を定めるにあたって、チェルノブイリ原発事故被害住民保護法が制定された。
年間許容線量は1ミノシーベルトを超えてはならない。
その値を超えそうな地域に関しては、安全な地域の住居と交換する、という内容を明記している。
5ミリシーベルト以上は強制移住地域に指定している。
経済が崩壊し、生きていくのも大変な国ですら、厳格に年間許容線量を1ミリシーベルト以内にしようとしている(自然放射線以外)。

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これに対して、日本はどうか。
丸川大臣は、「1ミリシーベルトには根拠がない」と発言。
しばらく弁解していたが、結局、撤回した。
もっとチェルノブイリから学んだほうがいいと思う。

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2016年4月26日 (火)

チェルノブイリ30年から何を学ぶか1

1986年4月26日、チェルノブイリ原発が爆発した。
「見えない放射能」からどう身を守るかという闘いが始まった。
ぼくは25年前からチェルノブイリの子どもたちの支援を続けてきた。
初めてベラルーシのゴメリ州に入ったとき、州の幹部から「チェチェルスクにはまったく支援が入っていない。ぜひ、外国人の目で実態を調査してほしい。見えない放射能を見える化してほしい」と言われた。
チェチェルスク市の市内は割合、汚染は少なかったが、その周辺の村がホットスポットになっていた。
ハローチェ村は文字通り「埋葬の村」となった。
もちろん、人は住めない。
建物も壊し、土の中に埋めたのである。
村がすべて埋葬されたのだ。

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ベラルーシやウクライナは、厳格に放射能に対処した。
年間被曝量が5ミリシーベルト以上の地域は強制移住地域とした。
1~5ミリシーベルトは、移住権限地域とし、希望すれば安全な地域に新しい住居を与え、そこに住み続けたい人は、
食べ物の放射能測定し、健康診断と体内被曝の測定をすることにした。
子どもはさらに年2回、保養に行くことにした。
この4月、原発事故から30年のベラルーシを訪ねた。
チェチェルスク地区のオートル村に立って放射能の測定をすると、毎時0.24ミリシーベルトになっていた。
年間1ミリシーベルトくらいに当たる。
セシウムの半減期は30年。
放射性ヨウ素のI-131の半減期は8日なので、甲状腺がんを起こすヨウ素はとっくにない。
30年経って、高汚染地域の汚染が減少しているのがわかる。
しかし、住める地域には戻っていなかった。
一度、原発事故を起こすと、悲しい現実が待ち受けているのだ。

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2016年4月25日 (月)

熊本・大分地震医療支援2

阿蘇市の阿蘇医療センターに支援に入った諏訪中央病院の医師からの報告によると、
一部だが水道が復旧しはじめたとのこと。
濁りが強く、飲用には難しいが、トイレの後に手を洗ったりすることができ、ほっとしているという。
「熊本は日本一水がおいしい」と、自慢の水だった。
その水がおいしく飲めるまでには、もうしばらく時間が必要である。
電気が復旧した家も徐々に増えてきた。
水道や電気が復旧しはじめたことで気分が変わったのか、
夜間の救急外来の数が少し減ったという。
熊本、大分では地震が続くなか過酷な避難生活が続くが、心と体の元気を取り戻してもらえたらいいなと思う。

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熊本・大分地震医療支援1

諏訪中央病院の山中克郎医師と小澤廣記医師の2人が支援のため、阿蘇医療センターに入った。
山中先生の報告によると、現場の医師や看護師たちは疲れ切っているという。
多くの医師は熊本市に家があり、被災者でもあるが家に帰ることもできていない。
休ませてあげることが大事だという。
道は、阿蘇大橋が崩落したため、熊本へのルートがなかなかなかった。
ここへ来て峠を越えるルートが開通したようだが、
専門病院で診てもらっている人たちの薬がなくなり困りだしているという。
小さな避難所でも、医療や物資が十分に届いていないところがあるようだ。
諏訪中央病院は一週間交代で医師や看護師を派遣。
必ず1日は重なるようにして、自分たちで申し送りをし、被災地側に迷惑をかけないようにしている。
この諏訪中央病院のスタイルはとても評価されているという。
DMATが一週間で撤退した後、救護班が入っていきているが、
諏訪中央病院の医療支援はしばらく必要そうだと語っていた。
                       ◇
24日の「日曜はがんばらない」(文化放送)に山中医師が電話出演し、報告してくれた。

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2016年4月24日 (日)

深刻な子育て世帯の貧困

子育て世帯の貧困が深刻だ。
子育て世帯のうち、生活保護基準以下で生活としている人が2012年で13.8%いる。
1992年では70万世帯(5.4%)だったのが、2012年には146万世帯(13.8%)と、世帯数で倍増した。
20年で2.5倍に増えたことになる。
39の都道府県で、子育て世帯の1割以上が貧困状態である。
最も深刻なのは、沖縄で37.5%。
大阪21.8%、鹿児島20.6%、福岡19.9%、宮崎19.5%と続く。
本気で少子化から脱却しようとするならば、
政府はここを何とかしなければらないと思う。

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2016年4月23日 (土)

鎌田實の一日一冊(282)

「バビロンの秘文字Ⅱ追跡篇」
「バビロンの秘文字Ⅲ激突篇」(堂場瞬一著、中央公論新社)
大部の著だが、とにかくおもしろい。
堂場瞬一が創造した、シュメール人の末裔である謎の民族ラガーンが、
混沌としたイラクに建国しようと試みる。
アメリカやロシアを巻き込みながら、日本やドイツ、オランダと、世界中のものが一つに集約されていく物語がすごい。

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一巻の胎動篇は、日本の各地に赴きながら新幹線の中で読んだ。
二巻は、イラクの難民キャンプへ持って行った。
明け方、街中に流れるアザーンを聞きながら、この本を読むのは不思議が感じがした。
4500年前のバビロンの話が展開される。
バビロン文書が暗号でできていることがわかり、それをどう解くか。
「この世界はマザー・テレサとヒトラーの間で揺れ動いている。
あるいは両方の要素かまだらに存在している」
人間の不思議さが描かていれる。
「未来は自分で設計できるけど、過去は想像するだけ」
味な言葉も出てくる。
ネタバレになるので書かないが、最後の最後がまた癪に障るくらいしゃれている。
三巻はチェルノブイリの汚染地帯の埋葬の村に通いながら、読み切った。
小説の世界同様、現実もたしかに混沌としている。

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2016年4月22日 (金)

伊那谷の老子を偲ぶ

伊那谷の老子と言われた加島祥造さんが昨年12月、92歳で亡くなった。
彼と対談したことがある。
「ぼくの文学の仕事はしゃべり言葉のリズムが中心です」
と言われた。
ぼくも本を書くときには、息づかいを意識して文章をつくってきた。
一息で読み切れる短いセンテンスにこだわっている。
同じだなと思った。
「宇宙に満ちているエナジーとぼくたちはつながっているんだ」
「今ここ、が大事なんだ」
「生きるという欲望は絶対で、子孫を残すという欲望も絶対。
なおかつという部分に関して“がんばらない”とか、“求めない”ということがあるんです」
ぼくの「がんばらない」は、老子の中庸に通じると話してくれた。
「無為無策と無作為では質が大きく違うけど、本当は同じことを言っているんだよ。
鎌田さんの本『いいかげんがいい』じゃないけど、いい加減とよい加減が同じことを言っているのと同じなんだ。
実は無作為という言葉ほど東洋の芸術や人間の在り方において重要な言葉はないかもしれない。
無造作も無邪気も、いい言葉なんですよ」
邪気がない、あるがままを受け入れて自然体で生きる。
こんな生き方が老子のいう「宇宙につながる」ということなんだろうと思った。
大切なことを教えていただいた加島祥造さん。
ご冥福をお祈りします。

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2016年4月21日 (木)

義肢の支援にご協力ください

JIM-NET はアンマン事務局を中心にして、2015 年より、主にシリア内戦で手や足を失った難民を対象に、義肢の提供を行っています。
2015 年度は21 名に対し計22 の義足/義手を提供しました。
現在も紛争が激化を続けるシリアではすでに100 万人以上の人々が負傷したと言われています。
多くの負傷者が、緊急治療のために国境を越えてヨルダンに入り、手足を切断せざるを得ない状況におかれる難民も少なくありません。
義肢、特に義足は、足を失った人々がより自立しまた自由に生活することを可能にします。JIM-NET は彼らが再び将来に向けて希望を取り戻していくための支援を行っていきます。
以下は、アンマン事務局からのレポートです。
                      ◇
ハラフさん(24 歳)*義足(右足膝下)新規作成
ハラフさんはシリア南部、ラハムの出身です。
ヨルダンには5 ヵ月前、義足をつくるために来ました。
もともとベドウィンとして生計を立てていました。

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彼の住む地域の周辺に地雷が埋まっていると言うことは知っていましたが、
彼が実際に地雷の被害に遭った場所は安全だと思っていたそうです。
地雷を踏んだことによる爆発で、彼は左足を失い、また左手の指も負傷しました。
左手には障害が残り、動かすのが難しい状態です。
ラハムは多くの人が住む地域です。
一度、政府軍に制圧された時にラハムから逃れた多くの住民は、半年後に自由シリア軍が奪還した時に戻ってきたそうです。
彼は100 頭もの羊を飼っているとのこと。
その羊たちの世話を続けるために、義足を得た後シリアに戻る予定です。


モハンマドさん(25 歳)
*義手(左腕肘下)作り直し
ダラア出身のモハンマドさんは、現在ザアタリ難民キャンプに住んでいます。
2014年1 月、戦闘に巻き込まれて負傷しました。
戦車の砲弾が彼の近くに落ちた時、近くにいた2 人は亡くなりました。
彼自身はラムサ(ヨルダン側のシリア国境に近い町)の病院に搬送され、そこで負傷した腕を切断しました。
その後彼の両親、兄弟がすでに住んでいたザアタリ難民キャンプに来ました。
当初、他のNGO から義手を提供されたものの、それが合わなかったとのことで、今回新しく作り直すことにしました。

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新しい義手は可動式のもので、手でものを掴むこともできるタイプです。
紛争が始まる前、彼は車の修理や洗車をするワークショップで働いていたそうです。
そのワークショップは今は閉じられたままです。
彼が住んでいた家は、戦闘の最前線の位置に会ったため、壊されてしまいました。
彼がシリアを離れた当時から、その地域には電気も水も通っていなかったとのことです。
ザアタリ難民キャンプにいる彼とその家族は、安全な状況が戻り次第シリアに戻りたいと言います。
モハンマドさんは、新しい義手を使って生活するのを楽しみにしています。
                      ◇
JIM-NETの義肢の支援活動にぜひ、ご協力ください。

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2016年4月20日 (水)

鎌田實の一日一冊(281)

「セシウムの雨」(今野金哉著、現代短歌社)

福島で生活する不安やつらさを短歌に詠んだ。

                  ◇
避難して三年経てる 君言えり 酒に溺るる日々うとましと

戻れない もう戻れない 戻りたい 三者三様に今を苦しむ

廃炉には何年かかるものなのか 「長い戦い」と老いの言ひたり

原発の廃炉行程の先見えず 今日も汚染水漏るる事故あり

遅々として進まぬ除染にいらだつか 君もアル中の風に入りゆく

三十年のちの廃炉を見て死なむ と思えど残る命少なし

自らの命絶たむと思えども 東電憎くしこのまま死ねず

セシウムの雨降る街に並びつつ 水求めむと幾時間待つ
                  ◇

福島第一原発の事故発生当時から続く避難の様子、その後の廃炉作業、そして町への帰還が少しずつはじまるなかで、苦しむ人たちの思いが迫ってくる。
ぜひ、この歌集を読んでもらいたい。

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2016年4月19日 (火)

鎌田實の一日一冊(280)

「兵士は戦場で何を見たのか」(ディビッド・フィンケル著、亜紀書房)
アメリカは勇猛な指揮者の中佐をイラクに派遣する。
配下の兵士たちは反撃を受け、四肢を失い、不安で眠れなくなり、体が震えてくる。
地獄のような光景である。
アメリカがばからしい戦争をし、どれほど多くのイラク人を傷つけるとともに、
自国の兵士となった若者たちをも傷つけたか。

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アメリカのすごいところは、著者のようなジャーナリストを同行させ、長期取材をさせていることだ。
その取材中に、非公開といわれたのは2回だけだという。
同じ著者が書いた後編的作品「帰還兵はなぜ自殺するのか」という本もすごかったが、この本もすごい。
いかに戦争が愚劣で、ばからしいものかがわかる。
2万5000人のイラク兵とアメリカ兵が亡くなり、諸説があるが民間人は65万人が亡くなったといわれている。
この本は2007年のイラクを舞台にしているが、この年にアメリカ兵は傷つき、命を失っている。

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2016年4月18日 (月)

鎌田實の一日一冊(279)

「闘う力 再発がんに克つ」(なかにし礼著、講談社)
2年半前、食道がんが見つかり、陽子線治療でいったんはがんが消えた。
それが再発した。
今度は、内視鏡手術と抗がん剤治療を計画したが、内視鏡ではとりきれず開胸手術を受けた。
しかし、がんは取りきりなかった。
外科医の直観で、気管支を圧迫している腫瘍部分に接している静脈を切除。
これで、気管支穿破を起こさずに済んだ。
再発がんと闘いながら、同時に「夜の歌」という小説を書き始めた。
書くことによって救われたという。
堀田善衛が好きで、読み直しているという。
ぼくも堀田善衛さんのファンで、愛読していた。
堀田さんは蓼科に山荘があり、夏には毎年うかがった。
書斎に入れてもらい、何を書いているのか話してもらったこともある。
「若き日の詩人たちの肖像」は大好きな作品だ。

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前回、なかにし礼さんと対談したときには、カフカの話になった。
カフカの「変身」にでてくる虫。
なかにし礼さんは、自分のがんを「アブラムシ」とたとえていたのが印象的だった。
カミュが好きだという。
神もない、明日もない、希望もないというなかで、何者にもすがることなく、
カミュの「異邦人」のように、不条理のなかを崩れても崩れても生きる意志をもたげていく。
なかにし礼さんは、そこに生きる意味を見出しているように思った。

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2016年4月17日 (日)

鎌田實の一日一冊(278)

「漂流怪人・きだみのる」(嵐山光三郎著、小学館)
きだみのるは、「ファーブル昆虫記」の訳者。
フランス語やギリシャ語に精通した破天荒な学者である。
被差別部落に入り、准住民になるなど、日本中を駆け巡った。
戦後は、「モロッコ紀行」を書き、フェズなどの迷路のような町を旅した。
ドブネズミ号と名付けたブルーバードで、人妻との間にできたミミ君という少女をつれて旅をした。
借金の達人。
料理もうまかった。
あらゆる欲望に忠実。
常に反権力で、公平であることを大事にしてきた。

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ミミ君を預けたのは、三好京三。
三好は「子育てごっこ」を書き、直木賞を受賞している。
そのへんの不思議なくだりを、嵐山は鋭い文章で書いている。
きだみのるやミミ君の純粋さに対して、三好の、決して上品ではない人間の質のようなものが現れていて、
とてもおもしろい。
きだみのるのような、教養人で何者もおそれないような人は、なかなか出現しないように思う。
おもしろい本だ。

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2016年4月16日 (土)

鎌田劇場へようこそ!(264)

「ディーパンの闘い」
迫力ある映画だ。
カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を受賞している。
スリランカで反政府活動をする男が、家族を殺され、追われて難民となった。
外国に入るためには家族がいるほうが有利と言われ、女性と9歳の女の子と偽りの家族となる。

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フランスでアパートメントの管理人になるが、そこは無法地帯。
生きるためにつくったニセの家族が、少しずつ心をつないでいく。
そして、暴力が押し寄せてくるとき、男は家族を守るために再び戦いを始める。
偽りの家族が、真の家族になっていく。
見ごたえのある映画。

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2016年4月15日 (金)

鎌田實の一日一冊(277)

「道徳性の起源 ボノボが教えてくれること」(フランス・ドゥ・ヴァール著、紀伊國屋書店)
イラクの難民キャンプで巡回診療して疲れ切っていた。
夜まったく眠れない日が続いた。
そこでこの本を手にとった。
道徳は人間だけで持つものではない。
チンパンジーやボノボに木の実を配り、ハンマーと石臼を置いておく。
すると、ボノボはきちんと自分の順番を待つという。
早く食べたくて、ハンマーの奪い合いのケンカが始まりそうな気配もあるが、順番を待っている。
順番を待つという道徳性を支えているのは、見えないところでの力関係だと著者は言う。
一度闘って、勝ったり負けたりすることで社会生活を営む序列ができるのだという。
経験が一定の秩序をつくる。
もちろん秩序を壊そうとする若いボノボも出てくるので、すべてが想定内とはいかないが、
一つの経験が道徳をつくっていくという。

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イスラム過激派組織「IS」を中心にしたイスラム原理主義が世界を震撼させている。
宗教が網羅するところの道徳は適応範囲が限られて、用をなさなくなってしまった。
今まではこの道徳に宗教が一定の働きをしていた。
むしろ最近は、宗教の名のもとに、間違った行動を正当化する道具にしてしまっているように思う。
生き物が根源的にもっている道徳性に焦点をあて、その先へつながるものへと広げていくことが大事なのではないか。
難民キャンプの健康づくり運動では、食事や運動だけでなく、生きがいをもち、困っている人を助けることの大切さをポイントとして入れるようにしている。
人間がもっている道徳性の根源に期待しているからである。
だからこそ、ぼくは聴診器でテロと闘うと言い続けているのである。

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2016年4月14日 (木)

新しい在宅医療の旗手

医療法人悠翔会の理事長、佐々木淳医師(43歳)と「おはよう21」の対談をした。
都内に9つの診療所をつくり、24時間365日、在宅ケアを行っている。
常勤医は約30人。
都全体をカバーし、2人の当直医体制をとっている。
なかなかすごい。
在宅看取り率が約7割。
最期まで丁寧に看取るために、QOLを大事にしている。

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在宅医療の質をかなり徹底している。
認知症の患者さんも、生きがいを見つけるようにしている。
胃ろうに対しても、いいとか悪いとか決めつけず、その人にとって生きる意味が見えてくるなら胃ろうをするというように、
とても柔軟だ。
若い感覚の人たちがこんな形で新しいスタイルの在宅医療をするのは心強い。
都道府県別で在宅死でいちばん多いのは東京。
こういう若い在宅医療の旗手が生まれてきたことが大きいと思った。
頼もしい思いがした。

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2016年4月13日 (水)

縁側

福島では、いろいろな分断が起きている。
災害関連死も、宮城や岩手に比べて2倍近く多い。
賠償金がもらえた人ともらえなかった人。
20キロ圏内で帰還許可が出たけれど、帰りたい高齢者と、帰れない若者世代。
家族のなかの分断も起きている。
自主避難して県外に出ている人と、残った人。
どちらも被害者だが、非難しあっている。
自主避難で県外に出た人たちの住宅支援が近々、終わってしまう。
決してわがままで避難しているわけではない。
被災者であり、原発事故の被害者でもある。
夫が福島に残り、妻が子どもを抱えて他県で生活する。
大変なことである。

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いちど共感をつくりあげることが大切だと思う。
当面、別々に住むけれども一緒にご飯を食べる時間をつくったり、家族やコミュニティが壊れないようにすることが、これから大切になるのだろうと思う。
分断を防ぐにはどうしたらいいか。
たくさん「縁側」ができるといい。
帰還が進む自分の町に帰ると決めた人に、帰らない、帰れないという人も、
ふらりと立ち寄って、なごやかに一緒にお茶がのめるような「縁側」のような場所が大事だ。
実際、双葉食堂も、カフェほっと悠も、いち早く再開した床屋さんも、そんな「縁側」の機能を果たしてきた。
「ご飯食べていかないか」
「お茶っこ飲んでいけや」
そんな声を掛け合う空気が大事なのだ。
福島のある人から、何を言っても批判が出ると言われた。
苦しいからだろうと思う。
苦しいからこそ、お互いを共感し合うことが大事だと思う。

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2016年4月12日 (火)

鞄で平和をつくる

京都の一澤信三郎帆布は有名な鞄屋さん。
ダラシャクランの難民キャンプの子どもたちに、たくさんの鞄を寄付していただいた。
子どもたちは、すてきな鞄に大喜び。

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この鞄に教科書を入れて学校に通う、普通の生活が戻ってくるよう、平和をつくる活動をしていかなければとあらためて思う。
京都に行かれたときには、一澤信三郎帆布に寄ってみてください。

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2016年4月11日 (月)

市民が自らの健康を守る

京都で開催されたNPO学会で、JIM-NETが「市民放射能測定所の変遷と支援について」と題して発表した。
演者は、元スタッフで現在は広島大学で研究している小松真理子さん。
原発事故が起こり、放射能の「見える化」をすることと、放射能リテラシーの向上をめざし、放射能測定活動の支援を行ってきた。
2012年7月、県内に25か所に市民放射能測定所ができた。
開設や運営のための講師や専門家を呼び、勉強会を開いたり、フォローアップ研修を企画。
同時にそのノウハウを公開する機会をつくった。
2014年1月には福島市民放射能測定所ダイレクトリーの冊子をつくり、ひろく配布した。
さらにJIM-NETはホットスポットファインダーを購入し、外部被ばくを防ぐことも考えた。
これは、徒歩や自転車などにつけて地域の空間線量を測定し、グーグルマップに記録して地域の線量地図が作成できる。
これを測定所に貸与する形式にした。
すべて科学者に任せるのではなく、市民が自らの健康を守るために自分で勉強し、測定し、公表していくことの大切さを訴えた。

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2016年4月10日 (日)

鎌田實の一日一冊(276)

「ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する―今あるがんが消えていく『中鎖脂肪ケトン食』」(福田一典著、彩図社)
著者は元国立がんセンターのがん予防研究部第一次予防研究室長である。
ケトン食でがんが消えるという。
このドクターとは、朝日新聞出版社から出した「がんに負けないあきらめないコツ」のなで、
がんの漢方医として紹介した。
がん細胞は、エネルギーに必ずブドウ糖を使って増えていく。
だから、エネルギーであるブドウ糖を絶って、がん細胞を兵糧攻めにするというのが福田医師が行っている治療だ。
ある脳腫瘍では、ケトン食をはじめて数年生きている人もいるという。
ケトン食で、がんの予防ができるかというとそれはデータがない。

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いまぼくたちは糖質をたくさん摂って生きているが、正常な細胞はそれほど糖は必要ではなかった。
人類の長い歴史からみると、糖を豊富に食べられるようになったのはたかだか1万年前。
それまでは狩猟採集が中心で、脂肪やたんぱく質をとるのが主だった。
だから、糖質を減らし脂肪を増やしたケトン食にしても、脳細胞の働きは低下しない。
ケトン食がてんかん発作の抑制効果があることは知られている。
アスペルガー症候群の整形外科の医畠山医師とも会ったが、彼もケトン食を実践することによって、怒りの爆発が少なくなったという。
福田医師は、中鎖脂肪酸が大事な武器だという。
これを野菜サラダにかけたり、ジュースに入れて飲んだりする。
自身も、ほどんど糖質はとらないそうだ。
そのお陰か、英文の論文を読むスピードが上がったという。
糖尿病にも認知症にも注目されているケトン食。
けっこう大事かもしれない。

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2016年4月 9日 (土)

春の日差し

諏訪中央病院の緩和ケア病棟のベランダ。
ベッドごと外に出て、春の日差しを浴びる。

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信州も、いよいよ芽吹きの春。

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2016年4月 8日 (金)

聴診器でテロと闘う(62)

アルビルにいると、いろんな話が聞こえてくる。
いちばんの話題は、ISからのモスル奪還の日が近い、ということ。
ペシュメルガとイラク政府軍がクルド自治区の町マフムールに集結しているという。
ISへのの攻撃が始まると、市民は大挙して逃げてくるだろう。
難民キャンプを新しくつくり、受け入れなければいけない。
50万人のキャンプでは足りなくなるおそれがある。
負傷する人も出てくるので、救命もしなければいけない。
クルドでは経済が傾き、給料が4か月遅配されたり、人によってはカットされたりしているが、
そのなかで、どうやって命がけの医療サポートチームをつくるのか。

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JCFでは、クルドとアラブが協力し合うPHC(プライマリ・ヘルス・ケア)診療上を2つ、アルビル郊外につくる。
3万人の市民のところに8000人の避難民が入ってきたので、
慢性疾患を診る診療所が必要なのだ。
JCFは心電計や超音波検査機、生化学血器検査機器、その他備品を支援する。
今後、膨大な避難民が出てくるときには、医療の緊急サポート態勢も必要になってくる。
いよいよこれから大変なことが起こる。
平和を目指してイラク支援を12年続けてきたが、いよいよ正念場を迎える。
みなさんの応援をお願いいたします。

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2016年4月 7日 (木)

聴診器でテロと闘う(61)

アルビルのハルシャム地区は、郊外にできた新興住宅地。
その空き家に、モスルを中心にした9000人の避難民が入ってきた。
モスル住民はアラブの人が多いが、クルド自治区に逃げてきたことになる。
もともとこの地域には、クルドの人々のために診療所が必要なのに、
今まで病院も診療所もなかった。
日本政府の支援を受け、JCFがこの地域ともう一つのゼイリン地区に、2つのPHC(プライマリ・ヘルス・ケア)診療所をつくる。

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ニーナワ県というモスルを含む県から逃げてきた人たちのなかには医療者も多い。
医師400人、専門医100人、看護師も含めると6000人いるといわれる。
彼らの多くは、仕事がない。
クルド自治区では専門家が足りない。
そこで、中央政府直轄のニーナワ県の保健局長と副保健局長に会い、
薬と人材はアラブが、場所と建物はクルドが、心電計や超音波検査機、生化学血液検査機器、ペット、酸素、簡単な手術器具などをJCFが支援することになった。
アラブとクルド、日本が協力し、診療所を運営していくことになる。
アラブとクルドは今まで協力し合うことが少なかったが、
この2つの診療所をきっかけに、いい協力関係ができる。
日本の支援が、「アラブとクルドの接着剤になった」と喜ばれ、地元のテレビ局もやってきた。
みんなが期待している。
日本が「接着剤」というのが面白い。

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2016年4月 6日 (水)

聴診器でテロと闘う(60)

難民キャンプをまわると、多くの人たちがヨーロッパへ渡りたいと願っていることがわかった。
トルコからギリシャへ、ボートに乗って密航していくのだ。
ブローカーがいて、一人30万円くらいで請け負う。
船は沈没することもあり、たくさんの人が犠牲になった。
命がけである。
EUはNATO軍の軍艦を派遣し、密航船を見つければ、トルコに引き戻すと言い出している。
ギリシャに着いたとしても、その後の道は厳しい。
ギリシャからバルカン半島を北上するが、多くの国が国境を閉ざしている。
ドイツとオーストリアだけが難民申請を審査するというが、「審査」というだけで、「受け入れ」までにはまた時間がかかる。
シリアやアフガニスタンなどの紛争地以外の人は、経済難民として今まで以上に国境通過が難しくなっていると聞く。
ハンガリーやポーランドでは、通過することも拒否している。

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ドイツやオーストリアなど難民を受け入れた国では、難民を排斥するような右翼政党が躍進する。
自由と民主主義を守り、弱い難民を助けたいと思うと、自分の国を締めることになるという悪循環が起こっている。
難民問題を世界的問題としてとらえ、解決していかなければ、EUがたちかなくなるだけでなく、世界の経済も平和も壁にぶち当たる。
いまシリアやイラクにいる人たちが難民にならないように、早く平和を取り戻すことが大事なのである。

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2016年4月 5日 (火)

聴診器でテロと闘う(59)

ダラシャクランの難民キャンプでの健康づくり講演会は3回目。
会場は立錐の余地もないほど、たくさんの人であふれた。
何だかわからないが、人気になっている。
健康と命と平和はつながっているというのが、ぼくの話の柱である。
平和から話し合うと喧嘩になるが、健康の話はみんなが納得しやすい。
自分の健康を守りながら、命のことを考え、自分の命も他人の命も大切だとわかったとき、やがて平和がやってくるという考え方だ。
それを具体的に実践するために、5つの目標というのを提示している。
これがどうもキャンプのなかで有名になりだしたようで、みんなが5つを知っている。
1野菜を食べる、2減塩、3歩く、4生きがいをもつ、5困った人を助け、あいさつをする。
みんなが唱和をしてくれるのだが、これが圧巻である。
痛いほど、命の大切さがわかっている。

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今回は、講演の途中でイブラヒムが自分の話をしてくれた。
妻を白血病で亡くして弱かった自分だが、今は白血病の子どもを助けることで強い自分になろうとしている。
人間は弱いけれど、強い。
みんな泣きながら、彼の話を聞いた。
ダラシャクランの難民キャンプを少しでも明るくしようと思っている。
これからも通い続ける。

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2016年4月 4日 (月)

聴診器でテロと闘う(58)

ダラシャクランの難民キャンプを歩いていると、
赤ちゃんを抱いた母親たちがおしゃべりをしていた。
みんないい笑顔だ。
現地スタッフの看護師リームが、妊産婦支援やその後の育児指導などをしている。
この母親たちはみな、厳しい生活に負けていない。
明るくて、美しい。輝いている。
子どもを抱くと、オキシトシンが出て、強くなるのだろう。

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一人の母親がぼくに子どもを抱かせてくれた。
子どもはぼくの腕のなかで、ぐずらず、気持ちよさそうにしていてくれた。
小さな心臓の音が伝わってきた。
困難な生活や病気の子どもたちを見て、つらい気持ちになっていたが、
そんな気持ちが溶けていった。
子どもの力は偉大だ。
難民キャンプで過ごす母親たちも、そんな大切なものを子どもからもらっているのだろう。
「早くシリアが平和になるといいね」というと母親がうなづいた。
「この子、ぼくになついているよ。日本に連れて行って、教育のチャンスを与え、世界を平和にするような男にしたいな」
そう冗談を言うと、母親は冗談で切り返してきた。
「ドクターに任せてもいいよ」
この母親は決して自分の子を手放す気がないことはわかっている。
でも、のどから手がでるほど平和がほしい。
いつか世界を平和にするような人間を待っているのだ。
この子がそんな人間に育ってくれたらいいなと思う。
ほかの母親たちは現実に戻り、
「シリアに戻るより、ヨーロッパへ行きたい」と言う。
シリアが平和になることを、たくさんの人はあきらめはじめているのかと感じた。
残酷な現実である。
2000万人のシリア人がみんなヨーロッパへ脱出したら大変なことが起こる。
やはり、シリアが平和になることが大事なのだ。

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2016年4月 3日 (日)

鎌田劇場へようこそ!(263)

「土徳流離~奥州相馬復興への悲願」
青原さとし監督。
震災以来、通い続けている南相馬市の小高区や原町、相馬市などが舞台である。
江戸時代、天明の飢饉が襲い、奥州相馬は大打撃を受けた。
このとき、たくさんの人が流民になった。
極端な人口減少のため、相馬藩は地域復興を願って、移民を奨励。
親鸞の浄土真宗が広がっていた北陸の加賀など全国から、多くの門徒が寺ごと移入し、開拓に入ってきた。
見事に復興していくが、もともといる人たちの宗派や門徒たちとの軋轢も起こる。
そうしたなかで、再び起こった天保の飢饉。
藩は、二宮尊徳の思想に基づき、ため池や水路をつくり、農村のマネジメントを実践していく。
「報徳仕法」という言葉で村おこしを行っていくのである。

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原発事故で大きな被害を受けた土地に、こうした真宗移民の歴史があったのだ。
ぼくは、この地域に通いながら、「ご飯を食べていきない」「泊まっていきなさい」とよく言われることが不思議だった。
この映画を見て、よそから来る人を受け入れる歴史のようなものがあったことがよくわかった。
人のために、という思いが強いこともわかった。
この地域が再び、復興することを予感させてくれる、元気が出る映画である。

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2016年4月 2日 (土)

「青春と読書」で連載中

「青春と読書」(集英社、90円)という月刊の小冊子がある。
そこで、ぼくは「くもり時々輝いて生きる」という連載をしている。
5回目は、「社会的共同親」のことを書いた。
多くの人は対人関係で悩んでいる。
しかも、きょうだい、親子、夫婦の間の悩みが多い。
千春さんは、2度、親に捨てられた。
2歳で施設に預けられた。
母親が恋しくて、都立高校に受かったら同居してもいいといわれ、
がんばって勉強し、合格した。
しかし、母親のところには、見知らぬ男が何人もやってきて、千春さんは邪魔者扱いされた。
2か月で出て行けと言われてしまった。

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「私、生きてていいのかな」
「もう無理」
と思っていたとき、出会いがあった。
ゆるやかな空気があふれている、歌舞伎町にある駆け込み寺にたどり着いたのだ。
新宿の玄さんが、父親的な存在になった。
そんな傷をもつ人たちがつくる新しい家族の形を書いた。
ぜひ、お読みください。

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2016年4月 1日 (金)

鎌田劇場へようこそ!(262)

「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」
1961年、ナチス戦犯のアイヒマンを裁く裁判がイスラエルで行われた。
その裁判を世界にテレビ中継しようという、男たちの物語だ。
ナチスのシンパから脅迫も届くなか、準備はすすめられた。
そして、裁判が始まるが、アイヒマンは無表情を貫き続ける。
アイヒマンは、命令に従っただけという。

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この映画にはまったく取り上げられていないが、哲学者アーレントはアイヒマン裁判を傍聴し、「悪の凡庸」と表現した。
命令を守り、何も疑いもなく、粛々と実行してしまう有能な官吏。
どんな人間も一歩間違うと、こんな罪を犯してしまう。
テレビの撮影クルーのなかに、「私はアイヒマンではない」と何度も怒鳴る男がいたが、
だれでもアイヒマンになりうると思わせる衝撃的な映画である。
4/23~ヒューマントラストシネマ有楽町ほかでロードショー。

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