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2016年5月 5日 (木)

チェルノブイリ30年から何を学ぶか4

アナトリーさんとは25年来の付き合いだ。
ずっとJCFの運転手をしてくれている。
娘さんが10歳のとき、チェルノブイリ原発が爆発した。
今から10年ほど前、その娘さんが甲状腺がんになった。
事故発生当時は、どんな状態だったのか、思い出してもらった。
                   ◇
アナトリーさんは30年前、ベラルーシのゴメリで生活していた。
原発事故が起きたことなんてまったく知らなかった。
知らされたのはメーデーが終わってから3日後。
それも、どういう意味かわからなかった。
「ウクライナのチェルノブイリ原発で事故があった」とラジオで聞いただけである。
「食べものに注意しろ」とか、「家の外に出るな」とかも言われなかった。
何に注意していいかもわかもわからなかった。
風が北側に吹いて、ウクライナからベラルーシへと放射能雲が広がっていっているなんて、まったく知らされなかった。
子どももメーデーに参加した。
風の強い日だったことを覚えている。
そして、20年後、甲状腺がんになった。
ミンスクの甲状腺の専門の病院で手術をした。
「あのときは不安で、地獄のようだった」という。
今、娘さんは元気だ。結婚して子どもが一人いる。

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JCFのモスクワのスタッフをしているイリーナさんが、チェルノブイリ原発爆発事故ことを知ったのは、5月になってからだった。
新聞で小さな記事を見た。
ただ、「チェルノブイリ原発で事故があった」というだけのもので、それ以上のことは書かれていなかった。
2週間ほどして、ウクライナのフルーツや野菜は買わないほうがいいんじゃないかと噂が流れたが、意味はわからなかった。
                   ◇
31歳の女性は、「私は当時2歳だった。だから何も覚えていない」という。
しかし、2、3年経ってから、徐々に大騒ぎになったと記憶している。
健康診断も始まり、食べ物に注意するようになった。
彼女は、イタリアとドイツに保養に行った。24日間だ。
そのほか毎年、国内のサナトリウムに子どもたちだけで保養に行った。
「この国は、情報は流してくれないけれど、最低限のことはやっているように思えた」という。
                   ◇
チェチェルスクの村の人にも、30年前のことを聞いたが、やっぱり知らなかったという。
「この国は何も言わない国。ましてやウクライナで起きた事故。
本当は風にのった放射能が、ベラルーシを汚染しても、それが見えない限り何も言わない国だ」と言う。

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