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2016年5月16日 (月)

チェルノブイリ30年から何を学ぶか13

医療労働組合は、ゴメリ州全体の医療労働者4万1000人が加入している。
その委員長は、ゴメリ州立病院の整形外科医でもある。
彼と話しているとき、なつかしい名前を聞いた。
「雪とパイナップル」のアンドレイ少年を支える、タチアナ先生の名前だ。
彼の病棟の一つ上の階は、小児科白血病棟。
「タチアナ先生は、非常に素晴らしいドクターだった。
患者を大事にし、腕もよかった。
家族も支えた。
看護師や掃除のおばさんたちも大事にした。
彼女の信頼は厚く、彼女を信頼している日本やドイツのNGOが支援をした。
特にJCFの支援はすばらしかった」
彼は、ぼくたちの噂も耳にしていると言った。
人工衛星を使って、ゴメリ州立病院と信州大学病院をつなぎ、白血病細胞読み方を教えたり、
抗がん剤の治療をした。
日本の支援で、ベラルーシでもはじめて末梢血幹細胞移植ができた。
「日本のNGOがこのゴメリのために働いていたことは覚えている」と語ってくれた。

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人生は偶然である。
1991年1月15日、ぼくがはじめてゴメリを訪ねたとき、ほかの病院を視察する予定だった。
ウラジミールという白血病の少年のおばさんが、今回も泊まっているゴメリツーリストホテルのロビーで何時間も待っていた。
そして、どうしてもゴメリ州立病院へ来てほしいと言われたのである。
その病院でタチアナ先生と出会った。
ぼくはいつも支援するときには、人間として信頼できるかということを、大事な基準にしている。
彼女ならば、送った抗がん剤や抗生剤を無駄なく使ってくれるだろうと思った。
その通りになった。
モスクワから夜汽車で10時間以上かけてゴメリに行くと、彼女は必ず、駅に迎えに来てくれた。
帰りも、見送ってくれた。
彼女は、乳がんと闘いながら、子どもたちの治療を続けた。
そんな彼女とゴメリ駅で別れるときは、つらい思いがこみあげてきた。
久しぶりに、タチアナ先生のことを思い出した。

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