ベトカ地区のナージャ元院長と、彼女から引き継いで、新任の院長となった31歳のセルゲイ医師、そして、ベトカ地区の執行委員会の副会長セルゲイさんと会った。
執行委員会の副会長は、日本でいうと「副市長」といったところか。
ベトカ地区は、高汚染地域が多い。
事故前には4万人が暮らしていたが、強制移住などで2万人に半減した。
除染も行った。
屋根を洗ったり、枝を切ったり、土もひっくり返したりした。
それでも住めないところがたくさんあった。
40キュリー以上は強制移住地域。
15~40キュリーは移住権を与え、希望すれば新しい家を安全な地域に確保するという条例がつくられた。
残ってもいいし、避難してもいい。
ただし残る場合は、いくつかの義務を負う。
検診を受けること。
除染作業員と子どもに関しては、検診を年2回行ってきた。
体内被曝の測定をすること。
そして、子どもは保養に行かせること。
30年経った今も、年1回の保養を続けている。
以前は年2回。余裕のある人は、自分のお金出して、年3回保養に行かせたという。
子どもを守るために、保養に行かせ、ベトカで採れた野菜を食べないようにした。
ここで住むことを、あいまいに認めたのではなく、やるべきことを徹底してやってきたのだ。
ナージャ先生は産婦人科医。
11年間、ベトカで働き、子どもの奇形に注意してきたが、「事故以前に比べて子どもの奇形が多いということはなかった」という。
ゴメリ州立病院の産婦人科でも同じ意見だという。
甲状腺がんは小さな町だが、毎年1人くらい見つかる。
やはり、甲状腺がんは原発事故と関係があるようだ。
心配されているがんも、全体的に増えている(年間78人)。
原因はわからないが、現段階では、日本の医療支援で診断技術が向上し、がんを発見できるようになったことが一因のようだ。
JCFは、胃カメラや超音波の医療機器を寄付したが、これらでがんをチェックできるようになった。
心臓の異常も若干増えているが、臨床医としてみると、原発事故が関係しているようには思えない。
40キュリー以上の強制移住地域の死亡率の統計をとっているが、ベトカ地区の汚染が低い地域とあまり変わらない。
空き家になったところに、中央アジアなどから来た移住者も増えたので、
原発事故当時、ここにいた人だけの健康状態の統計が取れないのだという。
子どもの奇形も、がんも、現時点では、白とも黒ともいえない。
さらに長期的に見守っていく必要があるのは間違いないだろう。
見えない放射能は、30年経っても、そして、これからも、決着のつかない問題をつきつけている。
セルゲイ副市長は、原発事故当時、16歳だった。
事故のことがわからず、30キロ圏内のブラーニンという村で2週間ボランティアをした。
その後、ホールボディカウンタで調べたが、被曝してはいなかった。
ホールボディカウンタの測定で、毎年50人くらいに体内被曝が見つかるという。
原因は、食べないように指導されている、ベリーやきのこ、鹿肉などを食べていることにあるようだ。
病院の職員にも一人、わずかだが、体内被曝が見つかれる人がいるが、なんど言ってもベリーやきのこ、鹿肉を食べてしまうそうだ。
人間はなかなか習慣を変えられない。