地域包括ケアシステムとは何か7
94歳のおじいちゃんの家に、往診に行った。
玄関で「お邪魔します」と声をかけると、遠くのほうから「上がれ、上がれ」と大きな声。
このおじいちゃんはものすごい勉強家。
以前、ぼくが健康づくり運動で村のなかを飛び回っているときも、よく顔を合わせ、質問したり、自分の意見を述べたりしていた。
漢方の勉強もしていた。
食べ物にこだわりがあり、自然農法にも取り組んでいた。
体が弱くなり、自分で畑をできなくなってからは、息子さん夫婦が継いでいる。
だが、農薬を使わないので、畑の草むしりがとんでもなく大変だという。
「おじいちゃんのこだわりがあるので、できる限り続けてあげたいけれど、自分たちも限界だ」という。
息子さんは70歳前後か。その気持ちもよくわかる。
あまり硬く考えなくていいのではないか、とお二人に話した。
やれるとこまでやって、手を抜くところは抜いてもいいのではないか。
介護する側が倒れてしまったら、結局は共倒れになってしまう。
息子さんがコーヒーをいれてくれた。
すると、おじいちゃんがつかまり歩きで奥から出てきた。
鎌田だとすぐに気付いてくれた。
頑固一徹で、自分流にこだわり続けるおじいちゃんがいいことを言った。
「家族にはそれぞれ自分の人生がある。そのことはよくわかっている。
息子は息子、嫁は嫁、孫は孫。その人生を縛ってはいけない」
カッコいいことを言うのである。
「じいちゃん、すごいな。まさか、そんなかっこいい言葉が出るとは思わなかった」
ぼくが茶化すと、子どもように、笑顔でくしゃくしゃになった。
息子さん夫婦も、ぼくに庭を見せてくれながら、
「いまのおじいちゃんの言葉、とてもうれしかった」とうれしそうだ。
でも、「明日になれば、違うことも言う。ときには心が折れてしまうこともある」と正直な気持ちも語ってくれた。
そうなのだろうと思う。
おじいちゃんは認知症ではない。
足腰が弱ってきているが、つかまり歩きができる。
94歳で立派なものである。
人間にはいいところもあれば、困ったところもある。
おじいちゃんはそんな自分に気が付いている。
在宅医療の現場を見ていると、最後は結局、自分の生き方が自分に降りかかってくる。
だから人生は奥深いのだろう。
往診は、たくさんのことを学ぶチャンスにあふれている。
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