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2016年6月

2016年6月30日 (木)

地域包括ケアシステムとは何か29

現在の地域包括ケアシステムを支えているのは、大きな意味で介護保険制度である。
もちろん、医療保険制度でも回復期リハビリ病棟や地域包括ケア病棟がつくられたりしている。
訪問看護や訪問診療は、多くの場合、医療保険制度のなかで行われている。
しかし、地域包括ケアを支えているのは介護保険である。
この介護保険制度がどのようにしてつくられたかを紐解いていくと、地域包括ケアが何を目指しているのかが見えてくる。
「介護保険制度史」(社会保険研究所、4600円+税)という本が出た。
制度以前、「家族介護を大事にしよう」という意見に対して、「家族を大事にしながら、できるだけ社会的介護にするのだ」という議論が起きたこと。
介護予防やリハビリに力を入れようとしたが、うまくいかなった反省点も載っている。
24時間対応の大切さや各種のサービスの充実の大切さも書かれている。

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前院長の故・今井澄さんは、野党に身を置きながら介護保険に積極的に取り組んだ。
与党側が保険料の負担の軽減を訴えて、選挙の道具にしようとしたとき、「中東半端な介護保険をつくるな」と述べているのが面白い。
介護保険料を上げさせないために、入院や入所は今までどおり社会的措置で行い、
在宅ケア系のみ介護保険でやったらどうかという姑息な意見が出ていたときに、
真っ向から反対し、「すべて介護保険で行うべき」とした。
老人病院や老人ホームを従来のように措置で扱うことになれば、日本中を収容所列島で扱うようになる、自立支援にもっと力をおくべき、と訴えた。
当たり前のことを言う人がいなかったとき、志が高い政治家がいたことは大きかったと思う。
いま自民党は選挙を前に、再度、消費増税の延期をした。
選挙に勝つためならば何でもするという近視眼的な考えが、この国をしっかりした柱のない国にしてきた。
「介護保険制度史」は、そういう状況のなかで、志高く、何とかまっとうな介護保険制度をつくろうとしたあたたかな物語である。
とてもわかりやすい。
少し高いが、地域包括ケアを勉強している人にはすばらしい参考書になると思う。

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2016年6月29日 (水)

地域包括ケアシステムとは何か28

71歳のYさんは、直腸がんが膀胱や仙骨に転移した。
直腸と膀胱がつながって、排泄が苦しい状態になっている。
それでも前向きで、いつでも明るい。
ぼくが病室に入ると、よく眠っていた、
声をかけずに出ようとしたら、気が付いたようで、目と目が合って、にこっと笑った。
「先生、今日は焼き肉だ」
そう、この日は緩和ケア病棟の焼き肉会だ。

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近々お迎えが来ることを受容している。
全部了解している。
家族はいない。
いとこやおばさんなど親戚がよく看てくれている。
持っているお金をどうするか決めた。
葬式の仕方も決めたという。
「今日は、焼き肉と一口だけのビール」
みんなで乾杯。
Yさんは、みんなの幸せを願っているとスピーチした。
いつも笑顔が零れ落ちそうである。
人生を肯定的に見ている。
楽しかった、いい人生だった、といつも彼はいう。
久しぶりの焼き肉をおいしそうに食べた。
             ◇
地域包括ケアは、できるだけ地域で診るステムであるが、
病気によっては、在宅ではむずがしい場合がある。
がん性の腹膜炎、腸閉そく、吐血などである。
そのためにも、二次医療圏に一つ、緩和ケア病棟があったほうがいい。
ほぼ在宅、苦しいときは上手に病院を使う。

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2016年6月28日 (火)

地域包括ケアシステムとは何か27

レビー小体型認知症の方の往診に行った。
娘さんが、仕事を辞め介護をしている。
褥瘡ができかかっているが、よくケアをしていた。
虫が這っているのが見えたり、亡くなった夫は話しをしたり、とはっきりした幻覚が見えるというレビー小体型の特徴的な症状があった。
レビー小体型認知症の患者さんには、薬の投与が難しい。
認知症の薬を投与するにも、常用量の半分とか4分の1とか調整する。
精神安定剤も、できるだけ使わないようにしないといけない。

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2016年の診療報酬の改定をみていくと、地域包括ケアを広げるために、診療報酬にメリハリがついている。
国は急性期の入院病棟をできるだけ減らそうと努力しているようだ。
その一方で、地域包括ケア病棟、回復期病棟など在宅ケアを支える病棟に関しては配慮されている。
柱はかかりつけの機能である。
かかりつけ医を中心に、かかりつけ薬剤師、かかりつけ歯科医になることで、診療報酬が上がり、
在宅ケアを支えるネットワークを強化しようとしている。
かかりつけ歯科医機能強化型歯科診療所などが、新設された。
同時に、認知症ケアに関しても、かかりつけ医の機能アップとともにスポットライトが当たっている。
できるだけ在宅でみていこうという方向性が読める。
「ほぼ在宅、ときどき入院」というのが、2025年の地域包括ケアシステムのゴールまでの目標になっているようだ。

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2016年6月27日 (月)

今も続く沖縄の痛み

6月23日は慰霊の日。
沖縄戦の組織的戦闘が終結し、戦没者を悼み平和を祈る日だ。
しかし、日本国土の0.6%しかない沖縄に、日本全体にある米軍専用施設面積の74.4%が集中し、今も沖縄の苦しみは続いている。
沖縄が日本に復帰してから、刑法犯は5862件。
米軍関係者による強姦殺人、殺人、交通事故事故死亡、強姦の被害者は620人を超える。
とんでもない犯罪があとを絶たない。
しかも、地位協定があるから、「オレたちは何をしても大丈夫」と、犯罪者が守られてしまう。
今年4月も、元米兵の凶悪な犯行により、20歳の未来ある女性の命が奪われた。
とんでもない凶悪犯罪である。
沖縄タイムスにメッセージを寄せた。

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2016年6月26日 (日)

鎌田實の一日一冊(290)

「パシュラル先生の四季」(はらだたけひで著、冨山房インターナショナル)
はらだたけひでさんの絵が好き。
以前「週刊朝日」で3年ほど連載したとき、はらださんが鎌田の絵をかいてくれた。
パステル調のこの絵を見るのが毎回、楽しみだった。
哲学者パシュラル先生が、林に入り、迷子の卵を見つけたりする。
特別なストーリーはない。
絵と絵の間にある隙間を、想像力で埋めたくなる楽しい絵本だ。
パシュラル先生が大きな木をくすぐる絵がある。
大きな木は何を感じているのだろう。
パシュラル先生は何を考えて、木をくすぐっているのだろう。

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川のほとりでお昼寝をしたり、自分も一本の木になろうとする。
自然のなかで生かされている自分を感じたりする。
いちばん好きなのは、夜空の窓に梯子をかける絵。
想像力は偉大だ。
疲れたときなど、何度も何度も、見直したくなる。
「意味」は自分でつくればいい。
隙間だらけのいい絵本だ。

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2016年6月25日 (土)

鎌田實の一日一冊(289)

「産科が危ない 医療崩壊の現場から」(吉村泰典著、角川書店)
著者は日本産科婦人科学会の前理事長で、慶応大学医学部名誉教授。
実に明快な人である。
慶応大学で生殖医療に取り組み、日本の先頭を走ってきた。
非配偶者間人工授精(AID)は、不妊治療をしているクリニックの一大産業になっている。
少子化対策として、国にお金がたくさんあるなら助成をつけてもいいが、
限られた予算ならば、出産育児一時金などをもっと増額したほうが有効だと考え、
出産育児一時金制度を38万円から42万円に増額した。

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非配偶者間人工授精は、精子提供者の精子を使う。
そのため、生まれた子どもにしてみれば、自分の父親がわからない。
吉村先生は、精子提供者を秘密にすることが大事だと思ってきたが、
AIDで生まれた子どもが自分の親について悩んだり、親と思っていた人に嘘をつかれていたことに悩んだりしていることを知り、
子どもが希望する場合は、できるだけ経過を説明したほうがいいと、考え方が変わったという。
今は病院も、精子提供者の情報を求められたときにこたえられるよう、きちんと記録を残すべきと考えるようになった。
技術の進歩で顕微鏡受精もできるようになった。
元気がよさそうな精子を顕微鏡下で選んで受精させるという技術である。
しかし、通常の妊娠のように、1億個の精子のなかから卵子に到達することがとても大事だという。
命の尊厳についても考えている。
東日本大震災の後、産科がピンチに陥った。
学会を通して、3つの大きな産科の産科医を長期間サポートしてきた。
対談で、「総合医の研修で、女性の医師が子宮頸がん検診などができるようになれば、産婦人科の負担が少しは減っていくのではないか」と提案すると、
大賛成、そういう新しい時代になってきた、と吉村先生はこたえてくれた。

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2016年6月24日 (金)

地域包括ケアシステムとは何か26

東京から来た患者さんは、前立腺がんで骨転移がある。
がん性骨髄症で血液がつくれなくなり、極端な貧血を繰り返している。
東京の病院で、厳しい余命宣告をされた。
本人の希望は、「蓼科の山荘で最後を過ごすこと」だった。
3日間、諏訪中央病院の緩和ケア病棟に入院し、その間、在宅ケアの準備をした。
以前から鎌田の本を読んでいたと聞いて、看護師が「もう2、3日すると鎌田先生の回診がありますよ」と伝えたが、
「一刻も早く、自分の別荘に行きたい」ということで退院していかれた。
その報告を聞きながら、緩和ケア病棟の片岡先生と訪問診療をしている奥先生、京都大学からきている研修医の4人で、
訪問診療の軽自動車に乗り、蓼科まで行った。

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玄関のドアを開けた瞬間、奥さんが驚いた顔をし、涙目になった。
緩和ケア病棟で診たくれた医師と鎌田が来たことに驚いたようだ。
すでに、諏訪中央病院ではない、民間の訪問看護と訪問リハが入っている。
地域包括ケアは、公のサービスと民間のサービスを、垣根なく展開できるのがいいところだ。
前日の訪問リハでは、若い男性の理学療法士が患者さんの要望にこたえ、一緒に入浴した。
山荘には、温泉が引いてあり、それが自慢のようだった。
理学療法士も、裸になって、一緒に入ったという。
2人で温泉に入っている写真は、iPadで東京にいる娘さんや、往診医、訪問看護師らが共有してみた。
ぼくも写真を見たが、こんな幸せな写真はないのではないかと思うくらい、いい笑顔をしている。
患者さんと奥さんから「ぜひ、温泉に入っていってください」と強く勧められた。
心の中では迷った。
しかし、ぼくと奥先生と京大の医学部の学生は、えいやと裸になって入れてもらった。
43年間、在宅医療をやってきたが、こんなのは初めてだ。
人工肛門の患者さんたちとよく温泉に行ったが、患者さんのお宅で風呂に入るのは初めてだった。
患者さんも、奥さんも喜んだ。
なんか「裸の付き合い」ができている。
おそらくこういう空気にしてくれたのは、先に入ってくれた若い理学療法士のおかげだ。
地域包括ケアは、こういう人間関係を、地域に根差した形で築いていくことを可能にしてくれる。

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2016年6月23日 (木)

地域包括ケアシステムとは何か25

地域包括ケアは、新しい命を支えるシステムでもある。
福岡県のTさんの家族は実子が1人、里子が2人、養子が1人。
カオルちゃんという1歳の養子の女の子がいる。
長女はいまアメリカの大学に留学している。
みんな事情がある子たちだ。
長男のヒカル君は、生まれて3日後に母親がいなくなってしまった。
祖母に育てられたが、祖母が突然、亡くなり、児童相談所に預けられた。
ヒカル君は、介護福祉士になりたいと言っている。
実子のエミさんは11歳。
「将来は医師か看護師になりたい」
地域包括ケアの担い手を目指している。
あたたかい家庭に育つと、命に寄り添いたくなるのだろうか。

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1歳のカオルちゃんの両親は重い精神病だ。
母親は産後、重いマタニティブルーで、父親は入院中。
「育てられないことに気が付き、養子縁組に出します」と泣く泣く決断した。
Tさん夫婦は、「私たちがしっかり育てますので、まずはお母さんは自分の回復を考えてください」と引き受けた。
病気のご夫婦が調子のいいときは、子どもと一緒に過ごす時間を設けている。
「二人のどちらかが回復し、子どもを育てたいと思ったときには、そうすればいい。
そのときは祖父母のような気持で一緒に育てていきたい。
同じ市内にいますし、昔の家族みたいにできると思います」
すごいなあ、と思った。
以前、ダウン症の子どもの養親になったが、実の父親がやはり自分で育てたいと思い直したことがあった。
このときも、気持ちよく承諾したのだという。
地域包括ケアが広がると、「地域のなかの子どもを育てる」という感覚も広がる。
子育てしやすい環境ができる。
子どもが生き生きとすごせるようになる。
地域包括ケアは、そういう可能性をもったシステムだと思う。
かつて日本にあったつながりを、新しい地域包括ケアという形でもう一度つくりなおし、情が通い、血が通う地域をつくっていきたい。

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2016年6月22日 (水)

地域包括ケアシステムとは何か24

複合施設型のサービスは、いかにもメニューが充実しているように見えるが、そのグループ内のメニューでまわされて、利益もそのなかで生まれるようになってまう。
地域にそういう複合施設型もあっていいのだが、その地域にあるほかの社会資源もネットワークで結ぶべきだと思う。

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アメリカ型の非営利フォールディングカンパニー型法人制度や、地域連携型医療法人制度などが国で検討されている。
非営利フォールディングカンパニー型は、一見、便利そうで質も上げられるというが、
結局、全国チェーンの企業体が一律のケアを展開し、地域包括ケアの大切な情念みたいなものを奪ってしまう可能性がある。
地域連携型は二次医療圏のなかに地域医療構想区域をつくり、そのなかで大型の医療と福祉の法人がサービスを展開していくというものだ。
ぼくはこういうものも反対だ。
できるだけ、それぞれの地域にあった、手作りの地域包括ケアをつくっていくことが大事だと思う。

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2016年6月21日 (火)

地域包括ケアシステムとは何か23

76歳の膀胱がんの男性が緩和ケア病棟に入院してきた。
多発リンパ腺転移で、回腸導管で人工肛門造設。
がん性の胸膜炎と腹膜炎をおこし、胸水と腹水がたまっていた。
たいへんな状態だが、本人の意識ははっきりしており、在宅療養を望んでいる。
状態の改善をし、残された時間を有意義に過ごしてもらうためにできるだけ早く自宅に帰すことになった。
ぼくは、緩和ケア病棟を回診した後、自宅に戻った患者さんを往診した。
オピオイド系の医療用麻薬を使うことで、痛みはほとんどコントロールできている。
眠る時間は長いが、呼びかけると、にこにこして迎えてくれた。
本人も、家族も、できるだけ自宅で、と望んでいる。
場合によっては看取りも自宅で、と望んでいるが、もちろんどうなるかはわからない。
それでいいのである。
状況によって揺れ動いてもいいのである。
地域包括ケアはふところが深い。
基本的には患者さんや家族が何を望むか、それにこたえていけばいいのである。

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内閣府の規制改革会議は、在宅での看取りの規制の見直しを始めている。
できるだけ、緩やかにしたほうがいい。
早い時期に死亡することが医師によって予想されていて、看護師との十分な連携がとれ、
医師が速やかな対面での死後診察が困難ときに、訪問看護師士が医師と電話連絡をとりながら、
死亡確認をしてもかまわないのではないかと思う。
この地域の地域包括ケアは、病院と医師、開業医間の連携が密であり、自宅での看取りを支えている。
しかし、地域によっては医師のバックアップ体制が十分ではなく、医師が24時間体制で看取りをすると、通常の診療行為に支障をきたすことも出てくる。
地域の人材の状況を柔軟に受け入れて、これでなければだめだというルールではなく、
21世紀の看取りを考えてくべきだと思う。
看取るということは、基本的には最期の瞬間まで生きるということである。
どこで生きるか、患者さん自身が選んでも、看取りの体制が十分でないところは結局、病院に入れられてしまう。
これでは、患者さんにとっても不幸であるし、病院にとっても本来の任務から外れ、医療費を上昇させてしまう。
自分の家で最期を迎えることを望んでいる場合には、できるだけ自宅での看取りを考えていくことがしかるべきだろう。

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2016年6月20日 (月)

地域包括ケアシステムとは何か22

地域包括ケアは、社会復帰を支援する。
リハビリテーションはとても大事だ。
2000年の介護保険スタート以降、2015年の介護報酬改定でも、リハビリテーションは大々的に見直しがされた。

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短期集中リハビリ加算、リハビリテーションマネジメント加算、社会参加支援加算などがつけられている。
改正のポイントは、「活動と参加」に焦点をあてたリハビリテーションの推進をうたっていることだ。
「参加」というのは、とても大事なことである。
PHC(プラスマリ・ヘルス・ケア)も、参加、自助、自決を原点としている。
人間が人間らしく、その人がその人らしく生きていくときに、自分が主人公になって参加し、自分で決めることが大事なのである。

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2016年6月19日 (日)

鎌田劇場へようこそ!(272)

「ミモザの島に消えた母」
原作は世界的ベストセラー小説「秘密のケプト」。
ミモザの花が咲き乱れるフランス大西洋にある小さな島。
引き潮のときの数時間だけ、島と大陸の間に道が現れる。
その海の中道で、物語が展開する。

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10歳のとき、母が突然、亡くなった。
家族が、母の死を語ることはなかった。
ドストエフスキーが「人間という秘密」という言葉を残しているが、
どんな人間にも不可思議なところがある。
本人さえ、自分の秘密に気が付かないこともある。
どこに真実があるのかなかなかわからない。
母の死の真実を、40歳になった息子がひもといていく。
そこから一歩が始まる、喪失から希望への映画だ。
監督はフランソワ・ファブラ。
とても美しい映画。
ぜひ、ご覧ください。

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2016年6月18日 (土)

鎌田劇場へようこそ!(271)

「ヒマラヤ~地上8000メートルの絆~」
韓国映画。
実話を基にしている。
エベレストに眠る仲間のため、遺体回収のための遠征が始まる。
遺体を見つけ回収するリスクは、ふつうの登山より大きい。
命を落とした仲間のために「必ず迎えに行く」と誓い、デスゾーンに入っていく男たち。
友情や、兄弟愛、男女の愛など、男たちの愛を通して、人生にとって大切なものは何か、考えさせてくれる映画である。
韓国の登山隊が世界的かどうかわからないが、必死に厳しい山へ向かう人間がいることは間違いなさそう。

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韓国映画は物語をつくるのがうまい。
漫才をみているように面白くて、泣かせる。
韓国映画はぼくたちを元気にさせてくれる。
日韓関係はギスギスしているが、映画や音楽など文化を通して理解し合い、
隣人としていい関係ができるといいなと思う。

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2016年6月17日 (金)

地域包括ケアシステムとは何か21

総務省が5月に発表した2015年の家計調査によると、
一世帯当たり(2人以上の世帯)の貯蓄は前年比0.4%増の平均1805万円。
しかし、全体の3分の2は平均値を下回っている。
一割強は100万円未満である。
格差が広がってきているということである。
格差を影響させてはいけないものは、教育、医療、介護である。

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地域包括ケアの対象者には、生活保護者や低収入者が多い。
生活を切り詰めて、畑を耕し、食べるものを何とか工面しながら、丁寧に生きている。
この人たちが自分の生きる場所を選択することができ、命の岐路に立ったときに自己決定できるようにしなければいけない。
そういう国にしようと、政府は考えているかはわからないが、
消費増税を先送りしたことで、社会保障が手薄になるのではないかと懸念する。
格差社会で、命の重さに差が出てくることは、どうしても避けなけばならない。
近々選挙がある。
選挙は、今後の政治を決めていくもの。
空気に流されず、きちんと選挙に行き、自己決定していきたい。
そして、地域包括ケアの現場にいるものは、格差を超えて、命の重みを実感しながら、命を支えていきたい。

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2016年6月16日 (木)

地域包括ケアシステムとは何か20

一つひとつの医療行為には、診療報酬が決められている。
2年に一度の診療報酬の改定を読んでいくと、かかりつけ医の機能評価がみえてくる。
病院には「地域包括ケア病棟」がつくられ、かかりつけ医機能評価と地域包括診療料の見直し、認知症ケアの評価などが改定されている。
開業医院や診療所だけでなく、地域の中小病院もかかりつけ医としての役割を果たしていく、というメッセージなのだろう。

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地域包括ケア病棟は、回復期リハビリ病棟、医療療養型病棟と住み分け、地域にある認知症ケアのグループホーム、お泊りのできる小規模多機能姿勢などのたくさんのメニューとうまく連携ができるように、医療報酬の改定は、日本の医療や介護の方向性を示している。
2年後は、診療報酬の改定とともに、3年に一度の介護報酬の改定がある。
この時期は、もっとドラスティックに「地域で診る」という方向性が示されるだろう。

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2016年6月15日 (水)

地域包括ケアシステムとは何か19

「御柱街道」に、ひき出された御柱を休め、一夜を過ごす「子の神(ねのかみ)」という集落がある。
その公民館で、10回目の鎌田塾が開かれた。

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地域の食生活改善推進委員会たちの女性陣約20人と研修に来ている医学生らが、夕方5時ごろから食事をつくり始めた。
エゴマをつかった“半殺し”のごはん、タラの芽の天ぷら、鯉こく・・・。
ぼくたちがどんな形で健康づくり運動を進めてきたか、食を通して、若い医師たちに歴史を語っていく。
地域包括ケアは、歴史を引き継いでいくこと、そして、住民と一緒になるだけでなく、むしろ、積極的に住民に巻き込まれるような活動が重要になる。

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参加者は、研修に来ている医学生5人のほか、諏訪中央病院のドクターら総勢35人ほど。
なかには子どもやパートナーを連れてきたドクターもいる。
そこに指導医の山中先生や都立駒込病院長・坂巻先生、ベテランの産婦人科の先生ら、在宅医療を中心にやっている高木先生や奥先生も参加した。
どんな場も、若い医師たちの指導の場になる。
地域包括ケアは、プロセスが大事だ。
一つのゴールがあるわけではなく、それぞれのゴールを目指していく過程が、地域包括ケアを豊かにしていく。

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2016年6月14日 (火)

地域包括ケアシステムとは何か18

地域包括ケアは多様なサービスを上手に利用し、在宅看護と在宅医療と連携しながら、
地域の命をみつめていく仕組みだ。
認知症になっても、一人暮らしでも、その人が地域で生きたいようにサポートしていく。
要介護2で、在宅酸素療法をしている女性は生活保護を受けながら、県営住宅で自分らしく生きている。
この人の生き方を見ると、つらいこともあるだろうが、人生を投げ出していない。
生活も、きれいでていねいだ。
断捨離をしながら、命の期限が近いことも承知している。
孤独死なんておそれていない。

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最近、孤独死保険というが登場したらしい。
内閣府の高齢社会白書によると、65歳以上の一人暮らしは479万人(2010年)になった。
10年間で約1.6倍に増加した。
これに伴い、孤独死も増えている。
アパートの住人が孤独死をしたとき、家財の処分や部屋のリフォームに費用がかかるため、孤独死保険ができたという。
大手保険会社も参入してきている。
一戸当たりの契約はシンプルなものでは300円と安い。
事故後1年間、最大200万円を補償するという特約もある。
孤独死というと、行政には批判がいくが、
本人が納得しているなら、それでいいのではないか。
孤独死なんておそれなくていい。
亡くなる間際まで、その人らしく生きていることが大事なのだ。
死が、いつも望ましい死とは限らない。
一人で死んでも、本人が大満足の死もあるはずだ。

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2016年6月13日 (月)

地域包括ケアシステムとは何か17

気仙沼の理学療法士や介護福祉士らが3日間、見学に来た。
震災で自ら経営するサービス事業所が流れてしまったケアマネジャーからの紹介だ。
国は2025年までに、全国の中学校区に一つ地域包括ケアをいきわたらせようとしている。
そのため、いろんな地域で、「地域包括ケア」とは何か、何をしたらいいのか、悩んでいる。

160526dsc_0624 屋上庭園で働くグリーンボランティアを見学

地域包括ケアとは、ネットワークだ。
地域のなかの、公的な機関だけでなく民間機関、いろんな人たちの活動がネットワークで結ばれていくことだ。
どこの地域も同じの金太郎飴みたいなものをつくる必要はない。
それぞれみんな違っていいいのだ。

160526dsc_0629 病院のグリーンボランティアが育てたラディッシュ

同じ日、陸前高田の看護師から電話がかかってきた。
震災後、大阪から来てくれていたドクターが、90人の在宅ケアを担ってきたが、大阪に帰ることになったという。
在宅医療は、地域包括ケアの要の一つである。
これがしっかりとあることで、訪問介護も訪問看護も、デイサービスもショートステイもネットワークを結ぶことができる。
その中核の在宅医療が厳しくなる、とピンチを訴えた。
被災地の医師、看護師、介護士たちの不足は目に余る。
職をどこでも見つけられる若い人たちが内陸部に大都市に移動してしまっていることも、人手不足の一因だ。
被災地に地域包括ケアをどうつくっていくか。
これから数年、いばらの道になるように思うが、どうにかして応援していかなければらない。

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2016年6月12日 (日)

鎌田劇場へようこそ!(270)

「改訂の巻 秘密の花園」
鬼子母神に立つ紅テントを見に行った。
このところちょっと元気がないかなと思っていたが、やっぱり面白い。
日暮里を舞台にした、愛と騒動の物語。
1982年初演の改訂版だ。
唐十郎とカフェでお茶を飲んでいると、日が当たった。
「カマさん、西日だね」
まるで、芝居のセリフみたいに、しみじみという。
唐十郎の世界には、西日が大事なモチーフとして登場することが多い。
水たまり、沼、ブリキ、坂、大陸・・・も、そうだと思う。
水たまりや坂のその先に何があるのか、唐十郎が想像力をめぐらす。

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今回の「秘密の花園」は久保井研、藤井由紀も生き生きして、存在感を際立たせていた。
唐十郎の優れた脚本があるからだが、ベテランと若い役者たちの汗が、不思議な破たんと調和をもたらしている。
唐十郎の「水中花」を、鳥山昌克が一人芝居で演じている。
名演である。
8月6日からは、宮沢りえ主演で、蜷川幸雄が演出・監督をする予定だった。
蜷川さんを追悼して、唐十郎の「ビニールの城」がシアターコクーンで上演される。
唐十郎の世界は、人間という秘密に迫っているから、いままたブームのように取り上げれるのだろう。
唐十郎に注目。

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2016年6月11日 (土)

鎌田劇場へようこそ!(269)

「裸足の季節」
原題は「野生の馬」。
監督は、トルコ出身でフランス在住のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン。
撮影はトルコで行われた。
両親を亡くした5人姉妹は、厳格な祖母に育てられる。
女性が自由に生きられないイスラムの世界で、5人の美しい姉妹が自由を求めて行動を起こす。

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祖母が決めた縁談を拒み、好きな男性に求婚させ家を出ていく姉。
自由を束縛されることに絶望して、命を絶つ姉。
そんな姉たちをみながら、自由に向かって突っ走る。
感動的で美しい映画だ。

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2016年6月10日 (金)

地域包括ケアシステムとは何か16

この日の往診は、京都大学医学部5年生が研修に同行した。
在宅医療を見るのは初めてだという。
4年間の基礎実習のあと、1年半は臨床実習をする。
大学がすすめる実習場所から、自分でプログラムをつくるのだが、
彼は、ほぼ関西圏でプログラムをつくり、一つだけ関西圏以外の諏訪中央病院を選んだという。
              ◇
患者さんは、認知症で一人暮らしをしている女性。
デイサービスを週2日利用し、デイサービスのない日は、ヘルパーが1日3回、食事介助のために訪問する。
土日は、息子さんがみている。
平日は息子さんと電話でよく話す。
多いときには1日7回。
電話がかけられるということ自体がすごい。
この日の往診には、息子さんも待機していた。

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よく知っている人だった。
お寿司屋さんのオヤジさんで、何度も助けてもらっている。
ボランティア精神が旺盛で、特養ふれあいの里などでお寿司の会を開くと、
米や魚をもってきて、入所者100人やデイサービス通所者、ボランティア、職員たちも食べられるように大盤振る舞いをしてくれた。
「でも、鎌田先生が施設長をしていた、やすらぎの丘は違っていたな」
何が「違っていた」のかと思ったら、息子さんは寿司屋らしい目のつけどころで話をつづけた。
やすらぎの丘でも、お寿司の会を開いているのだが、
そのときの食材が、ピカピカの新潟の最高の米と、日本中から取り寄せたおいしい魚には目をみはったという。
「とんでもなく上等なマグロもあった」と、当時を思い出し興奮ぎみだ。
「鎌田先生の小学校の同級生が送ってくれたんですよね」と、彼はよく覚えてくれていた。
              ◇
認知症のおばあちゃんと、診察の後、仕事の話になった。
「たくさんキャベツを作っていた」
この集落でつくっている高野豆腐をかついで、「よく山梨まで行商にも行った」。
行商は「よく売れた」という。
昔は一人で行っていたが、高齢になってからは息子さんが車で送り迎えした。
4年前まで続けた。
認知症がわかっても、お客さんの家のことはちゃんと覚えていた。
そんなふうに行商の話をしながら、目を生き生きと輝かせるおばあちゃん。
自分の人生を肯定している。
「大変だったが、畑もおもしろかったし、行商もおもしろかった」
               ◇
地域包括ケアはその人の人生のすべてを包括的にみること。
ここで生きてきてよかったなあと振り返り、いろんな人に感謝しながら、最後まで生き生きと生きていけるように手助けするためにある。
そのために、医師が往診にいき、デイサービスがあり、訪問介護がある。
息子さんはいま、在宅歯科をする歯科医のお手伝いとして、運転手している。
「人に役に立つことをするのは、とてもおもしろい」と、彼は言った。
地域包括ケアは、かかわる人たちが達成感をもてる、みんながおもしろくなるシステムでもあるのだ。

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2016年6月 9日 (木)

地域包括ケアシステムとは何か15

母親は要介護5で、難病と認知症を抱えている。
父親は要支援2。
東京にいる夫の両親もそれぞれ要介護5。
すべて合わせると、介護度15.5。
義理の両親は、家を売って、有料老人ホームに入った。
その4人の親を、あずさ回数券を買って、長野県と東京を行き来しながら看ている。
愚痴を言っていてもしかたないと、とにかく明るい。

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母親はふだん近くの開業医が往診に来てくれ、難病は諏訪中央病院の医師が診ている。
その難病の進行を抑えるために、いろいろな治療をやってきた。
娘さんは、諏訪中央病院の医師を「戦友」と言い、いつも心の支えになってくれたと話した。
地域包括ケアはネットワークシステムだ。
患者や家族を中心にして、どうやって専門集団がネットワークをつくれるかが大事だ。
開業医の先生が生活を軸にして、定期的に往診し、病院の医師が難病をフォローアップしていく。
そうすることで、患者や家族は安心できる。
地域包括ケアは、安心のシステムである。

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2016年6月 8日 (水)

地域包括ケアシステムとは何か14

間質性肺炎で在宅酸素療法を行っている80代の女性を往診した。
数メートルはつかまり歩きができる。
不自由なことも多いだろうが、彼女は「一人で生活していきたい」と考えている。
もちろん、介護施設や病院にいたほうが安全なのではないか、と心の迷いもある。
しかし、自分の暮らしができるという点は譲れないようだ。
たとえば、施設や病院では夜9時に消灯になる。
すると、夜中に目が覚めてしまい、なかなか眠れない。
これは大事な問題だ。
80歳くらいになると、睡眠時間は6時間くらいか。
9時に寝ると、夜中の3時には目が覚めてしまう。
朝6時に起床するなら、11時くらいまで本を読んだり、音楽を聞いたりする自由な時間があってもいいはすだ。
自宅では好きなことができる。
施設や病院は共同生活のルールがあるが、自由に過ごせるというのが本来の姿だと思う。

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彼女が利用しているサービスはそれほど多くない。
これから、訪問入浴サービスが来るという。
買い物は、時々ヘルパーに頼む。
冷凍野菜ラーメンを買ってきてもらって、冷凍庫に入れている。
一食はラーメンを食べ、次の食事はそのスープに冷やごはんを入れておじやのようにして食べる。
炊事も、簡単なものだが、自分でやる。
そうやって、やりくりしながら、在宅で暮らそうと思っているという。
彼女は、とても聡明な人だ。
周囲の人への心配りもすごい。
見学をしている医学部の学生さんに、「よく勉強して、いいお医者さんになって」と励ます。
いつ、突然、お迎えが来てもいいように、荷物も整理しはじめている。
「荷を軽くしている」
にこにこしながらそう言う、素敵なおばあちゃんだ。
一人暮らしで生活がきつくても、丁寧に生活している。
人生を投げ出していない。
この人は最後の最後まで、きちんと彼女らしく生きるだろう。
自分の人生を、自己決定しているところがすばらしい。
みんながもっと、自分の人生観を語るようになればいいと思う。
地域包括ケアは、それぞれの人生観をかなえ、支えるためにサービスを展開していくのが目的だ。
つまり、地域包括ケアは、その人の人生を応援するシステムなのだ。
「なんであんなに達観しているのかね」と、思わず奥先生に聞いてしまった。
奥先生は、彼女の主治医として、何度もICUで、重症の喘息発作や心筋梗塞など、命の修羅場をくぐり抜けてきた。
退院した後、主治医が往診に来てくれること自体も、この方の心の支えになっているように感じた。

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2016年6月 7日 (火)

地域包括ケアシステムとは何か13

脳幹梗塞の中年男性のところへ往診に行った。
介護する部屋は、バリアフリーで広々として気持ちがいい。
彼は、ロックドイン症候群(閉じ込め症候群)。
大脳皮質は障害は受けていないが、脳幹部に障害を受けているため、
わずかに口が動く、そして少しだけ飲み込むことができる。
パソコンを使うと、複雑な会話もできる。
でも、奥さんは、彼のわずかな口の動きで、言おうとすることがほぼわかるようだ。
栄養は主に胃瘻からとり、あとは好きなものを食べさせているという。
壁には、彼の作った俳句がびっしりと貼られている。
自由律俳句の山頭火のような作風だ。
「わがままか とにかく帰ろう自宅へと」
どんなにつらくても、家がいいと思っている。
そんな彼を、家族が必死に支えている。
奥さんに「頑張り過ぎないように」と言うと、
「ショートステイはあまり利用したくない。この人がどんなに家がいいかわかっているから」という答えが返ってきた。
それから、奥さんは2人のなれそめや、子育ての話を聞かせてくれた。
夫はそれを聞き、泣き出した。
青年のころからずっと一緒だという。

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彼は、ロックドイン症候群になって体は不自由だが、自由律俳句をつくるなど、心は自由だ。
たくさんのいい俳句ができていた。
ぼくがほめると、2人はうれしそうに照れた。
「パイン みそ汁 あんパン せんべい 甘酒 レーズン」
これも、彼の俳句だ。
何度も声に出して繰り返すと、いいリズムがついてくる。
「すごいね」と言って、お宅を出ようとしたら、
奥さんが「今日は力をもらいました」と涙目で言った。
地域包括ケアのいちばんの要は、自己決定できること。
自分の生き方を自分で決められる。
それを支えるためにサービスが入る。
彼がパインやみそ汁、あんパンなどを食べられるように、諏訪中央病院からST(言語聴覚士)という嚥下の訓練士がときどき通っている。

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2016年6月 6日 (月)

カマタの怒り(21)

豊富な天然資源が眠るとされる南シナ海の海域で、環礁を埋め立てて基地化するなどの中国。
その中国の国家発展委員会が、「浮動式小型原子力プラント」を開発する計画だと発表した。
イメージとしては、航空母艦のような大きな船だが、自分では移動できない。
小型の原子炉を積んでエネルギーを起こし、引いてもらって移動する。
南シナ海や東シナ海などの海上で石油やガスなどの採掘をしようという考えらしい。
とんでもないことである。
核の廃棄物の処理法が見い出せない以上、核兵器はもちろん、すべての核開発を止める方向にすすめていくべきなのに、
自分の身を律しなければいけないのに、どこかの国が身勝手につきすすむことで、各国もその方向に流れてしまう。
めちゃくちゃな世界にならなければいいが。

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2016年6月 5日 (日)

鎌田實の一日一冊(288)

「呼び覚まされる霊性の震災学」(東北学院大学震災の記録プロジェクト 金菱清編、新曜社)
タクシードライバーが出会った幽霊現象。
たしかにお客さんを乗せて、メーターも倒したのに、後部座席を振り返るとそこに人はいなかった。
幽霊というと「うらめしや」という、この世の恨みをもって出てくるイメージがあるが、
震災の後、報告されている幽霊は違う。
突然、命を絶たれた人の無念の思いを、タクシードライバーたちは受容し、自分のなかに秘めるようにして語らない。
被災地には、多くの慰霊碑が建てられた。
多くは追悼と教訓を記している。
名取市閖上では750人が亡くなった。
行方不明者は40人いる。
その閖上中学の慰霊碑は、死者のことを慈しむような感覚、我が子を抱きしめるような感覚があるという。
遺族は、時々行って死者を抱きしめる。
それはとても大事なことなのだ。

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ぼくたちは緩和ケア病棟で、たくさんの生と死を見てきた。
そこでは4つの痛みをみてきた。
肉体的痛み、精神的痛み、社会的痛み、霊的な痛み。
被災した方たちも、この4つの痛みをもっているのではないか。
霊的な痛みとは、自分の生きている意味や生きがいが失われる、「実存」的な痛みだ。
被災地にはスピリチュアルな痛みがある。
なぜ、我が子ではなく、自分が死ななかったのか、と自分を責める親もいる。
3歳の男の子を亡くしたある母親は、震災から1年後、不思議な体験をした。
子どもを失った親たちとみんなで、子どものことを語り合いながら食事をしてるとき、
息子さんが大好きだった自動車のエンジンが突然かかったという。
だれも触っていないのに。
「きっと息子が、ぼくはここにいるよ、と言っているのではないか」と彼女は語った。
この本を読むと、大切なものを震災で置き忘れ、そして震災に気付かされていることがわかる。
いい本である。

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2016年6月 4日 (土)

鎌田實の一日一冊(287)

「認知症の私からあなたへ 20のメッセージ」(佐藤雅彦著、大月書店)
51歳で若年性アルツハイマー病と診断され、医師からは施設に入るよう勧められたが、自由に生きたいと思い、一人暮らしを続けている。
少し不便でも、時々間違っても、自由に生きることを選んだ。
自分の病気のことを隠さず、たくさんの仲間から応援を得ている。
孤独を楽しんでいるが、孤立してはいない。
認知症になるとできないことが多くなったが、できないことにこだわらない。
したいことをする、ということにこだわっている。
そんな彼から学ぶことは多い。
「できなくなったことを嘆くのではなく、できることに目を向ける」
「いまの苦難は永遠に続かないと信じる」
「自分が自分であることは何によっても失われない」
いい言葉がたんさん書かれている。

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佐藤さんからは週2回ほど、メールがくる。
彼がぼくのことを気に入ってくれたのは、彼の話をじっくりと聞くからではないかと思う。
「私には私の意思がある」
なのに、認知症という理由で、周囲の人が代わって答えようとする。
認知症の専門医ですら、本人ではなく、家族など周囲の人に問いかける。
本人にとってはつらいことだ。
佐藤さんのすてきな本ができた。
巻末にぼくのエッセイも収録されている。
認知症の人にも、家族の人にも、介護のプロの人にも読んでもらいたい。
認知症とは何か、目からウロコである。
そして、彼の生き方は認知症があっても、なくても、参考になる。
生きる哲学がたくさんある本である。

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2016年6月 3日 (金)

地域包括ケアシステムとは何か12

政府は、2015年を地域包括ケア元年とし、10年計画で日本中に広める考えを表明している。
地域包括ケアとは何か、ほろ酔い勉強会で話した。
救急医療や高度医療があったうえに、地域で健康づくりや在宅介護、在宅看護がネットワークで広がり、同時に、本人が望めば地域で、看取りも行われる。
それを地域包括ケアだ。
つまり、どんな状態になっても、住み慣れた地域で最後まで暮らし続けることができるということだ。

1605201fullsizerender ほろ酔い勉強会の様子

ぼくが、健康づくりや在宅ケア、看取りについて1時間ほど話した後、
みんなが車座になって、自分たちの考えを話し合い、発表した。
市民が主体になることは、とても大事だ。
次々に手があがる。
そのなかに、なんと、40年前のことを語る人もいた。
その人は娘さんがICUに入ったときの話をした。
当時、医師は6人しかいなかったが、そのなかに鎌田もいて、夜中も医師が集まって、娘さんを診たという。
夫が寝たきりになりかかったとき、介護、看護、リハビリのサポートで要介護2から要支援2に改善したという話もしてくれた。
もう何十年も経っているのに、「感謝している」という。
地域包括ケアってけっこうすごい。

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2016年6月 2日 (木)

地域包括ケアシステムとは何か11

魅力的な人と出会った。
東北学院大学の教授、金菱清さん。
文芸春秋が今後10年間、「世界的に活躍できる逸材108人」の一人である。
「震災学入門 死生観からの社会構築」(ちくま新書)や「呼び覚まされる霊性の震災学」(新曜社)を読んだが、とてもおもしろい。
彼は、被災者が直面している、徹底した弱さの論理からの思考方法を考えたという。
捨てられそうになっている人たちに視点を集めている。
被災地でたくさんの「幽霊」の話が出てくる。
死者の問題から逃げないように、死者たちの無念を忘れないように、霊魂への畏敬の念を大事にしようと、彼はこんなことをいっている。
「死者が呼びかける対象である以上に、死者が呼びかけを行う主体であるとき、
私たちは感受性を研ぎ澄まし、霊性である生ける死者からの声にどれだけ耳を傾けていけるだろうか。
私たちの想像力がむしろ問われている」

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ぼくは死を看取る医療にこだってきた。
どんなに医療が発達しても、人間は死を避けることができない。
だからこそ、死から逃げない医療を、地域包括ケアのなかで展開したいと思った。
死者に呼びかけをしていくというのはとても大事なことである。
同時に、金菱先生は、死者も呼びかけをしており、その声を感受性を研ぎ澄ませて受け止めてあげることが大事だという。
6月の第一土曜、諏訪中央病院緩和ケア病棟の家族会がある。
亡くなった人たちを忘れないようにしている。
亡くなった人に呼びかけ、そして亡くなった人からの呼びかけを受け止める感性をもつ地域包括ケアを展開していきたいものだ。

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2016年6月 1日 (水)

地域包括ケアシステムとは何か10

1999年地域医療研究会の研究会が茅野市で開かれた。
そのとき、ぼくは会長で、全国から地域医療を目指している医師や看護師、
ソーシャルワーカーなど医療看護介護系の人たちと、市民が約500人集まった。
テーマは「真の地域包括ケアを目指して」だった。
諏訪中央病院は、40年ほど前から救急医療や高度医療を軸にしながら、
在宅医療、健康づくり、死を看取る医療を地域包括ケアという名のもとに展開してきた。
病院の隣に、デイケアや老人保健施設、特別養護老人ホームをつくるなど、グループ内の複合体が、一つのモデルになり、当時、年間約2000人の見学者がやってきた。
だが、ぼくたちは、もっと違う形を考えていた。
グループ内で完成しつつある複合体を解体して、「ネットワーク型の地域包括ケア」を考えていたのだ。

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もともと医師会と仲が良かった。
在宅ケアに興味をもつ開業医の先生たちも多かった。
なかには、グループホームや老人保健施設、特別養護老人ホームをつくる先生もいた。
民間のデイサービスや、NPOでデイサービスや訪問介護をするところも出てきた。
諏訪中央病院が全部をコントロールしようとするのは、時代遅れと考えたのである。
諏訪中央病院は「時間的」「空間的」「内容的」に地域に開かれた病院を目指してきた。
グループの複合体を強化するのではなく、地域で生まれてきた芽とネットワークを結ぶことで、
地域の人たちの健康と命を多重的に支えていこうと考えたのである。
それから16年、ネットワーク型の地域包括ケアが地域に根差しつつあると実感している。

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