8/13の信濃毎日新聞の「戦争と憲法」という連載に、
「イラク戦争を検証を求めるネットワーク」の呼びかけ人になったその思いが紹介された。
見出しは、「「違憲」のイラク戦争関与 問い直す」「米追従の判断 検証重要」
2003年に起きたイラク戦争は、大量破壊兵器の開発疑惑を理由に米国などがイラクに侵攻。
イギリスも追従し、イラクに派兵した。
当時の小泉首相は、翌日、両国の武力行使を支持する声明を出し、イラクのサマワに自衛隊を送った。
このイラク戦争に、ぼくたちは反対した。
だが、戦争を止めることはできなかった。
戦争を反対した以上、戦争に巻き込まれて苦しんでいる子どもたちを助ける活動を始めた。
イラクの子どもたちの医療支援をはじめて12年になる。
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この夏、イギリスではイラク戦争の検証報告が出された。
報告書では大量破壊兵器の有無を平和的に調べる方法があったのではないかとし、当時のブレア首相の過ちだったとも断じている。
民主主義にとって、検証することは大事なことである。
信濃毎日のインタビューにこたえ、ぼくはこう述べている。
「人は不安な心理の中で過ちをおかしやすい。だから、安全保障を常に検証することはすごく大切だ」
大陸と半島との間の領有権の問題は、安全保障に密接に関係する。
不安だから、ぼくたちは過度に防衛しようということになりやすい。
もちろん、国家として守ることは守らざるを得ない。
そのことはよくわかる。
国のリーダーはすばやい対応をとらなければならないこともある。
だからこそ、そのときの判断が正しかったか、きちんと検証すべきなのだ。
アメリカでさえ、イラク戦争を検証している。
そして、大量破壊兵器について、CIAの判断ミスが大きかったと断じ、CIAの構造改革を行った。
イギリスの検証は自国のリーダーに対して厳しいが、アメリカの検証は甘い。
日本は甘いどころか、検証そのものが行われていない。
イラク戦争によって「イスラム国」〈IS〉が台頭し、世界に恐怖を植え付けたことを考えれば、
イラク戦争の開戦は正しかったのかどうか、かなり疑わしい。
そして、イラクで15万人が命を奪われ、200万人近くが家やふるさとを追われている。
国家の形が変わりだしている。
もっとほかの方法があったのではないか。
アメリカやイギリスが開戦しようというとき、日本だからこそ、開戦を止める中立的な動きはできなかったのか。
検証のないままでは、日本は自国の役割をどう果たせばいいのかすらわからない。