熊本を訪ねて②
益城町の被災状況はとても厳しい。
しかし、そこにはあたたかな空気が流れていた。
「大地震、大洪水、いつもそこにはユートピアが出現した。
なぜか、そのとき特別な共同体が立ち上がるのだ」
レベッカ・ソルニットは、『災害ユートピア』と名付けた。
益城町でもそんな光景がみられた。
避難所になっている体育館で、みんなが集まってお弁当を食べている。
野菜やたんぱく質が足りないということで、野菜や豆腐を買ってきたりして、
買い行けないお年寄りに配っている人たちがいた。
その一人である73歳の女性は、火の国熊本の女というような情に厚い人だった。
夫は脳卒中の後遺症があるが、体育館で生活している。
夫の世話をしながら、饅頭屋さんに働きにでているという。
「少しでも働いているほうが気分が晴れる」
年齢や地震なんかに負けてられない、という。
そうやって得た収入でみんなに「タンパク質、タンパク質」といいながら、豆腐などを配ったりしている。
*
巨大な仮設住宅ができ、仮設商店街ができた。
益城プリンを売っている店は、もともと酒屋だったが、この地震で全壊した。
解体の順番を待っているという。
酒を売る許可が出ないので、駄菓子を売っている。
おかげで子どもたちがいっぱいやってくる。
「子どもたちの心も傷ついている。ここは子どもたちがうれしくなる場所。
駄菓子なので、お店の経営は苦しいが、子どもの笑顔を見ていたら、つらさがなくなっていく」とご主人。
不幸の中にありながら、人は困っている人や子どもに手を差し伸べることができる。
すごいなと思った。
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