アルビルの建設中のビルで、避難生活をしているサマーフ一家に夕食に誘われた。
アルビルとモスルの間にある、人口3万人のバシーカというまちにいたが、
ISに制圧されたため、2年前脱出してきた。
それ以来、ずっと避難生活だ。
サマーフはモスル医科大学の学生だったが、学業の継続はあきらめていた。
JCFが応援して、スレイマニアの大学に転入。
無事、卒業できた。
そのお礼を兼ねて、難民キャンプで夕食になった。
いつものことだが、食べ始めようとしたところで停電。
懐中電灯でご飯を食べることになった。
ぶどうの葉に巻いたバターごはん、トマトや玉ねぎをくりぬいてごはんを詰めたイラクの家庭料理、豆とチキン。
どれもおいしかった。
この家族はヤジディ教徒。
ヤジディ教徒は、オスマントルコの時代から何度も迫害を受けてきた。
イラクではヤジディ教徒やキリスト教徒などのマイノリティが受け入れられてきたが、
ISが来て、またたいへんな迫害を受けた。
シンジャール山では5000人が殺されたといわれている。
今もヤジディの若い女性が2000人ほど拉致されている。
サマーフの同級生には、ISにつかまり、自殺を選んだ女性もいるという。
このままではヤジディが消滅してしまう可能性もある。
「ヤジディの教えにも、善行すると天国へ行けるという考えがあるのか」
と、ぼくはサマーフのおじさんに聞いた。
「その通りだが・・・」とおじさん。
自爆テロで異教徒を殺すと天国へ行けると、ISの指導者は若者たちをけしかけている。
「そんな(ISの兵士がいる)天国にはいきたくないから、ぼくはもう地獄でもいい」
おじさんはつらそうに言った。
不思議な空気だ。
明るくてにこにこしているが、必死に悲しみや苦しさ、寂しさ、不安を押しこめている。
この家の希望はサマーフだ。
これから小児科で、小児がんのスペシャリストを目指すという。
地方の医療をする年限があるが、そのときは自分のふるさとであるバシーカであたりたい。
バシーカの人たちが帰れるように祈っているという。