臨時便の船長(上)
気仙沼から大島へ夜間などの臨時船「ひまわり号」を出している菅原さん。
3.11の東日本大震災のとき、船を守るため、沖へと船を出した。
急激な波のアップダウンを6回ほど繰り返し、波に対して斜めに船を操ってのりきった。
4メートルほどの津波にさらわれるか、と思ったとき、意識がなくなったという。
引き潮のがれきに飲み込まれたら、もう脱出できない、という恐怖にとらわれながら、
一晩、沖に漂っていた。
戻ってくると、大島のほとんどの船が大破していた。
大型のフェリーが陸に打ち上げられた光景はなんともつらかった。
船が壊滅的な被害を受けたので、一時期、気仙沼-大島間の便が出せず、大島は孤立した。
なんとか生きている人を助けたい、と数日後から菅原さんは船を出すことにした。
100~300円の船賃、お金がない人からはとらない。
それから約2か月後の5月7日、ぼくは大島に行くために、菅原さんのひまわり号に乗った。
「鎌田先生じゃないか」
菅原さんに声をかけられた。
面識はないが、ぼくの書いたものが載った新聞など、切り抜きをしてとっておいてくれたという。
「よく来てくれた」という菅原さんと、握手を交わした。
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